和尚の大和路

和尚が撮った大和路写真を中心に、
旅で見つけた写真なども・・・

秋の青空の下で

2013-09-10 01:57:15 | 風景写真
やっと秋らしい天気になりました。
朝刊休刊日なので遅くまで寝ていました。
明るくなって宇陀方面に出かけました。
稲穂が黄色になり、
早いところでは稲の獲り入れが始まっているだろう。

三輪山はまだ青い穂でした。


山間地に入ると黄色くなって来ます。


吉隠






白河


戒場








額井






玉立橋


ヒガンバナが・・・


今回のイチオシ、ニオシ




宇陀市の秋の田園風景が撮り頃になっています。

東京オリンピック

2013-09-09 06:48:11 | 未分類
2020年のオリンピックが東京開催になりました。
私は良かったと思っています。

しかし
一昨日の大阪の報道番組で
東京オリンピックについてのアンケートをしていました。
アンケートでは関西の人は意外や冷ややかに見ていました。
“他にやることあるでしょ”など半数以上が否定的でした。
これも関西と関東での温度差でしょうか。
以前に大阪市がオリンピック招致に立候補したことがあります。
その時は大阪市は散々な目に会いました。
船場太郎議員は今でも“嘘をつかれた”と言っています。

オリンピック開催の経済効果は大きいのでしょうね。
まあ、東京(関東を含めて)ではかなりあると思いますが、
関西では?

前回のオリンピックの時は
50年前ですね。
私は高校一年生でした。
印象は“東洋の魔女”と大松監督。
マラソンの円谷幸吉
ハードルの依田郁子
体操の小野喬、遠藤幸雄
重量あげの三宅義信
聖火ランナーの坂井さん
など思い出しますが、
ほとんど忘却の彼方にいっています。

むしろ
その翌年の岐阜国体の思い出の方が多いです。
学校が岐阜県大垣市内だったので、
大垣市内が会場である体操の記録補助員にバイト(ボランティア)として行きました。
どう言う訳か体操の部員でないにもかかわらず記録補助員に採用されました。
記録補助員なので会場のどこにでも行けました。
ただ天皇が到着の時は部屋にカンズメでした。
窓の透き間から天皇を初めて見ました。
(これも思い出)
東京オリンピックの体操小野喬氏は審査員として
参加されていましたので、
直接会い、お話もできました。
(もちろんサインもいただきました)
体操では遠藤幸雄、早田卓次、相原信行選手を憶えています。

東京オリンピックから派生した思い出でした。




交差点で遊ぶ

2013-09-08 05:05:01 | 風景写真
朝早く撮影に出ても思わしくない時があります。
そんな時、色々遊びを見つけます。
以前掲載した自演写真も遊び心からのものです。
交差点で遊ぶ・・・あぶない感じがしますが、
いたって安全です。
御所市の楢原南交差点に白壁の民家があります。
道路を通過する車のライトを写し込みます。
明るくなる前の朝が良いですね。






大淀今木


ニラの花


タカサゴユリ?


大淀中増


御所高天


明日香・甘樫丘東麓遺跡

2013-09-06 18:36:38 | 未分類
今日、2回目の更新です。

(奈良新聞より)
飛鳥時代の権力者、蘇我蝦夷(えみし)・入鹿(いるか)親子の邸宅が営まれたとされる明日香村川原の甘樫丘東麓遺跡で、
これまでの調査地とは別の谷でも7世紀中ごろに大規模に造成していたことが分かり、
奈良文化財研究所が5日、発表した。
当時丘が広範囲にわたって開発され、土地利用されていた可能性があるという。

平成5~23年度までの調査で大規模造成が確認されている谷から、
北方約100メートルにある谷で、約800平方メートルを発掘調査。

従前の調査地より小さな谷ながら、斜面を削って低地を最深5・5メートル以上埋め立て、
東西20メートル以上、南北30メートル以上の平坦面をつくっていた。

平坦面には、倉庫など高床の建物の可能性がある東西3間、南北3間の総柱建物跡を確認。
そのほか東西3間、南北2間の掘っ立て柱建物跡も検出した。

出土した土器から、造成は7世紀中ごろとみられ、ごく短期間で遺構は廃絶したと考えられるという。

玉田芳英都城発掘調査部副部長は「東麓は広範囲に造成が行われていたようだ。
これまで点だった遺跡が面的に広がる可能性がある」と話す。

「日本書紀」には甘樫丘に蝦夷・入鹿の邸宅が営まれたという記述があり、同遺跡との関連が注目されている。

現地見学会は7日午前11時から午後3時。小雨決行。駐車場はない。
問い合わせは同研究所都城発掘調査部(飛鳥・藤原地区)、電話0744(24)1122。

コンニチハ

2013-09-06 01:58:35 | 風景写真
コンニチハ
とのさまではありませんがとのさまバッタです。


鼻がかゆい




朝は霧雨が降っていましたが
新聞の配達が終る頃、止んできましたので
安田に向けて走りました。
久しぶりの安田ですが
霧はなく、低い雲が周囲を覆っていました。
諦めて
宮奥ダムに変更です。
ここでも低い雲が覆っていました。
てつまんさんとI本さんがいましたので、
情報交換です。
皆と別れて、菟田野の田園地帯をロケハンです。

宮奥




粟原







和尚も写っています

水滴の中の影はカメラを構えているところです。

千股池でマスイさんと会った時に撮りました。
二上山


今回のイチオシはありません。

朝焼けを求めて

2013-09-05 02:01:11 | 風景写真
昨日も朝焼けを求めて山麓線を南下しました。
朝焼けはなかったものの、
稲穂が色付き、作付けの時期の違いによる色の変化がきれいでした。





御所市鳴神あたりから奈良盆地と吉野川を見ると
霧の流れがよくわかります。
吉野川に沿って川霧が出ているようです。
霧によって変わりゆく景色を堪能しました。












伏見で


関屋で


高天で




鴨神で


今回のイチオシ





悪天候の間に焼けることがある

2013-09-04 04:38:25 | 風景写真
この頃、雨のつもりで朝刊配達の準備をする訳ですが
昨朝は空がきれいでした。
オリオン座が煌めいていました。
配達が早く終えたので
撮影前に
家に帰ってPCの前に坐っていて出発が遅れました。
高天原に行く予定がいつもの森脇になってしまいました。
同じような写真で申し訳ありませんが
写真を撮るものにとっては新しい風景です。
L.Pさんと一緒でした。

天気予報では雨だが、晴れ間が出ることが時々あります。
こんな時には“すごい焼け”になることがあります。
期待して
今日も山麓線を南下します。

以下は昨日の映像です。

森脇で






北の空




潜りました。

ネコジャラシ


水滴








今回のイチオシ


祝10万キロ

2013-09-03 02:15:19 | 風景写真
大和路号が走行距離10万キロを越えました。
長い間ご苦労さんでした。
実質和尚が走った距離は7万キロです。
3年と10日かかりました。
バイク販売店(マルヤス)で90ccで10万キロを越えたのがなかったので
大和路号が最初であります。(50ccではあるそうです)

99999,9km


00000.0km




さて昨日の続きですが
虹が出てから、あわててもっと広い場所に移動しましたが、
消えかかっています。

残念でした。

部分的に





太陽が雲に隠れました。

今回のイチオシ

左上の黒い雲は雨雲です。

葛城山の虹

2013-09-02 12:37:51 | 風景写真
朝刊の配達を終って、一旦帰宅。
天気予報を見ると朝6時から雨の予報。
5時~6時までは撮影出来るので御所の森脇に行きました。
東の空はいい感じです。
朝焼けの予感がします。
東の空が開いています。
空が開いているというのは
地平線近くに雲の切れ目がある状態です。
下写真


いい感じになったのですが

ここまででした。

北の空を見ると

何やら怪しい焼け。

そして後ろを見ると




こんなんでした。