hiroべの気まま部屋

日ごろの出来事を気ままに綴っています

川崎大師・境内碑蹟めぐり:大本坊エリア2

2020-03-17 08:06:30 | 寺社・神社巡り

(川崎大師・日本百観音銅板)




 『今朝の天気』


(7:15頃)

 今朝の温度(6:00) 室温 リビング:18.0、 洗面所:21.0、 湿度(リビング):24%
 (昨日の外気温 東京、最高気温:14.4、最低気温: 4.3
  本日の予想気温 最高気温:13 、最低気温: 4 )



 2日ほど間があきましたが、川崎大師・碑蹟めぐりの続き、大本坊エリア2(④~⑥)です。
 なお、冒頭の写真は、大本坊に隣接して設置された「日本百観音霊場・お砂踏み参拝所」です。日本百観音の観音像の銅板で作られたレリーフが並べられています。(参照:過去記事)百観音めぐりがここ出来るようになっています。

 さて、本題の碑蹟めぐりです。

 ④青木正太郎翁之碑
 (写真を撮り忘れました。)
  青木氏は京浜急行電鉄株式会社の前身である「大師電気鉄道株式会社」の社長を務めた方ということです。
  次回は、といってもおそらく来年になると思いますが、写真とともに、詳しいご紹介をしたいと思います。

 ⑤鶴澤勝造碑
 
 「室町の末期、びわなどを用いて広く民衆に喜ばれた新音曲の中に、「浄瑠璃姫物語」というのがあって、それが非常に好評だったので、その種一連の語り物を浄瑠璃と呼ぶようになったといわれる。この碑は、3代目鶴澤勝造の碑で、彼は天保年中、浄瑠璃三味線の名手といわれた勝造の名をついだ人である。本名は金田茂吉といい、そのあと豊沢一造と名のり、ついに勝造と名のった。」ということです。
 大正5年(1916)の建碑ということですが、なぜ川崎大師にということは?です。先にも②六世綱大夫の碑というのもありました。仏教では、歌舞音曲といったやや快楽的な物事に対しては否定的です。華美なものは否定され、色も基本モノトーンの白と黒です。しかし、真言密教では、快楽的物事に対しても寛容です。色もモノトーンでなく5色(川崎大師では、赤・白・黄・紫・緑)が許されます。真言密教はより人間的な仏教と言えるかと思います。そう考えると、義太夫節や浄瑠璃といった世界の名人の碑があるのはある意味お大師さんならでは、という気もします。

 ⑥種梨遺功碑
 
 長十郎梨の発見者である當麻辰次郎氏(1826~1905)の功績を称えた碑。かつて川崎大師周辺では果実生産が盛んで、當麻氏が代表的産物の長十郎梨を育成したということです。(大正8(1919)年の建碑)


 本日はここまで、明日は大本坊エリア3(⑦~⑨)の予定です。
 



 (本日コメント欄お休みをいただいております。)










最新の画像もっと見る