(兄の作品より「祈願の坐像」)
仏教思想の中国編(天台・華厳・中国禅・中国浄土)、長くなりすぎましたが、最後の「中国浄土」です。
おそらく、仏教ではこの浄土宗の教えが、一般の我々にも一番分かりやすい、なじみのある教えだと思います。
「南無阿彌陀仏」と称えなさい、そうすればだれでも、極楽浄土に行けます、という教えで、実に分かりやすいです。
どうやら、お釈迦様の創造した仏教には「浄土」世界というのは無かったようで、浄土が登場するのは、大乗仏教成立後
のようです。
お釈迦様の死後、仏教は多くの宗派に別れ、その主張を戦わせ合います。その結果、仏教は煩瑣な理論で一般大衆からは
離れた、出家信者に独占された独善的ものへとなっていきます。これを批判し、お釈迦様の本来の仏教に戻るべきだ、という
運動、宗教改革が「大乗仏教」運動だったわけですが、その中で特に主張されたのが、「慈悲」の精神でした。
小乗仏教の「自利」(自分の利益のため)でなく、「他利」(他人のため、つまりは一般大衆のため)の仏教、それが大乗仏教
だったわけです。
(特に大乗仏教では、慈悲の役割を「菩薩」に求めます。菩薩は仏様になる前の悟りを得た修行者ですが、自らの悟りを得た後は
一般大衆のための慈悲のために活動する役割を与えられ、広く一般大衆の信仰の対象となっていきます。)
その「慈悲」の結果をもっとも端的に表した世界が「極楽浄土」だったわけです。
この世は苦(貧困、罪悪、病気など)だらけの世界だ、だから、観音様に導かれ、阿彌陀様のいる全てが清浄な極楽浄土に行きたい。
そのためには「南無阿彌陀仏」と称えればよい、という訳ですから、一般大衆には分かりやすく受け入れやすかったわけです。
「厭離穢土(おんりえど)・欣求浄土(ごんぐじょうど)」(此岸(しがん、汚れたこの世)を離れ、彼岸(ひがん、浄土)を求める)
家康の旗印として有名ですが、浄土信仰を表した言葉です。
中国浄土は、この極楽浄土世界を表した三つの浄土関連経典(俗に「浄土三部経」)をもとに、「曇鸞(どんらん)」・
「道綽(どうしゃく)」・「善導(ぜんどう)」の三人のより成立、確立されます。
特に善導は日本の法然に強い影響を与え、日本浄土宗の成立につながり、曇鸞はその一字を自らの名前とした親鸞の思想に大きな
影響を与えます。
「浄土三部経」は次の三つで、それぞれ以下の役割を持っていました。
それと、中国で浄土宗が成立した背景として、千々に乱れた時代背景もその要因となっています。世は唐代前の混乱期で
一般大衆は、戦乱に巻き込まれ、その生活は困窮していました。この時代背景をみて、仏教の「末法時代」に入ったと時の
仏教関係者は見たのです。
その末法時代を強く感じた道綽は、この時代に合った仏教として、一般大衆を救う手法として、曇鸞の唱えた「口称念仏」(
口に出して称える念仏)が最もふさわしいと、苦しむ下々の人たちに布教していきます。
なお、中国浄土での三名僧の役割は、曇鸞が浄土宗の理論を確立し、道綽がそれを下々に下ろし、さらに善導が唐の都長安で
広く流布する役割を担いました。
概要が長くなり失礼しました。最も最近に整理した中国浄土ということで、少し詳細に入りました。
この後、日本編4巻(空海・親鸞・道元・日蓮)の整理に入ります。中国編で3年半ほどかかっています。何とか頭が少しでも回転する
うちの終わらせて、さらに次の段階に入りたいのですが、どうやら時間切れの心配も出てきました。
いずれにしろ、少しづつ、楽しみながら続けたいと思っています。
なんとも、よくわからない概要でしたが、3日間お付き合いしていただいた方には、特に感謝です。