またまた随分遅ればせながら、になってしまったのですが
5月の最後の日曜日、母校のOB祭がありました。
私は中高一貫校に通っていたのですが
大学までずっと一緒だったのは通称『ミイラ』ひとりきり。
ミイラとはちょっと不思議な縁があります。
お互い全然覚えていないくらい幼い頃、家が隣同士だったのです。
ミイラはすぐに新しい家に引っ越していったし、私は
祖父母の家でほとんどを過ごしていたので中学に入った時、
親同士がおお!といった感じくらいだったのですが。
中高6年のうち彼女と同じクラスになったのは たった1年だけ
だったし、大学でも学科もクラブも全く違っていたのですが
それでもなんとなくずっと付き合いのある不思議な友人です。
その友人ミイラはボランティアでパレスチナの難民の
母子家庭を応援するという活動をしています。
彼女が母校のバザーに難民の作品を出品する時には彼女に会いに
行きます。
今年も彼女に会いに行き、いろいろおしゃべりをしていたら
昔、ふたりが住んでいた町の話になりました。
お互いに記憶が断片的だったのですが ふたりの記憶を
ジグソーパズルのピースのようにを集めていくと
だんだん街の地図ができてきました。 それがなんとも楽しくて
うれしい時間でした。
きっと街はもう随分変わってしまっていて私たちの作った地図は
この世には存在していないと思います。
でも、たしかにその時にはあった町なのです。
不可能なのは分かっていてもその町に行ってみたいのです。
そして、ゆったりと散歩をしてみたいのです。
今日の画像はパレスチナのお母さんたちが作ったハンドクラフトです。
本当に細かくてステキな作品なのですがちゃんと写ってなくて残念です。
5月の最後の日曜日、母校のOB祭がありました。
私は中高一貫校に通っていたのですが
大学までずっと一緒だったのは通称『ミイラ』ひとりきり。
ミイラとはちょっと不思議な縁があります。
お互い全然覚えていないくらい幼い頃、家が隣同士だったのです。
ミイラはすぐに新しい家に引っ越していったし、私は
祖父母の家でほとんどを過ごしていたので中学に入った時、
親同士がおお!といった感じくらいだったのですが。
中高6年のうち彼女と同じクラスになったのは たった1年だけ
だったし、大学でも学科もクラブも全く違っていたのですが
それでもなんとなくずっと付き合いのある不思議な友人です。
その友人ミイラはボランティアでパレスチナの難民の
母子家庭を応援するという活動をしています。
彼女が母校のバザーに難民の作品を出品する時には彼女に会いに
行きます。
今年も彼女に会いに行き、いろいろおしゃべりをしていたら
昔、ふたりが住んでいた町の話になりました。
お互いに記憶が断片的だったのですが ふたりの記憶を
ジグソーパズルのピースのようにを集めていくと
だんだん街の地図ができてきました。 それがなんとも楽しくて
うれしい時間でした。
きっと街はもう随分変わってしまっていて私たちの作った地図は
この世には存在していないと思います。
でも、たしかにその時にはあった町なのです。
不可能なのは分かっていてもその町に行ってみたいのです。
そして、ゆったりと散歩をしてみたいのです。
今日の画像はパレスチナのお母さんたちが作ったハンドクラフトです。
本当に細かくてステキな作品なのですがちゃんと写ってなくて残念です。