辛口の中にも愛を!!ビデオグラファー愛

赤ちゃんから皇室を撮るカメラマン
そんな自身の創意と意志を伝えるブログ

選ばれるカメラマンとは、黙っていても素材を撮ってくれることが求められる。

2016-06-24 05:16:00 | ビデオ制作
とかく思うことは、1990年代の好景気と違うということ。

好景気の時代は、すべてが熱くでも大らかで、
撮影をタイミングを逃しても、すべてにおいて
無罪放免になったし、予算があったので
叱られてもチャンスはいくらでもあった。

しかし、2000年代になり様変わり、
撮ること自体変わらないが、
予算ありきの撮影に変わり、撮影できる時間も短縮される。

で、撮り逃しがあると大騒ぎになることが多い。

別に、撮り逃しを弁明したりはしないが、
結局は、撮影する被写体に一番近いのが
「カメラマン」であるいじょう、全責任はカメラマンにある。

プロデューサーやディレクターからギャラを頂くので、
彼ら彼女らが、たとえ年下でも有っても
物理的な上下関係があるわけで、求められる撮影クオリティーを
切り取らなければ、カメラマンとして仕事をすることは難しい。

でも思うに、お互いの立場っていうものもあるが、

やはり、プロデューサーやディレクターは、カメラマンが育てると言っても
過言ではないと感じる。

つまり、役職はプロデューサー、ディレクターとあっても
所詮、画を切る撮るのはカメラマンである以上、
そのカメラマンの個性 感性が画に出てくるわけなので
素材としてその画を使うし、両者に感じてもらうべきだと私は思う。

育てる、というと横柄な感じがするが、
共存するっていう方が、いいのかもしれない。

これって、料理人も同じことが言えると感じる。

腕前が良くても、料理する素材が悪ければそれまでで、
料理人も、結局は素材を吟味して、採れた季節や食べる人を考えながら
料理するのが自然な流れだと感じる。
だから、料理される素材が料理人を育てると言っても
過言でないと感じるし、いろんな職人さんも追求すると
同様だと考える。

舞台演出家も、役者あってのものだし
まぁ、演出が先か? 役者が先か?、みたいな水掛け論があるけど
結局は、役者が居て演出家が考え(演出する)、それをフィードバックして
役者が演じると私が考える。

そしてもう一つ、
言われてから撮影するのでは、非常に遅すぎると私は感じる。

そのいい例が、スポーツの撮影
まぁ、デェレクターからは、大まかなことしか言われないのが常で、
試合の流れによって、一見、関係ない、見落としがちな
選手の動向だったり、仕草が多いにみられる。

そんな光景を、いちいち言われてから撮っていたたのでは
追いつかないし、次からは仕事がこなくなる。

これはスポーツに限らず、芸能、報道、ドラマにも同じことが言える、
あの芸能だって、いわゆる、画には何ら面白みがないけど、
タレントや俳優の何気ない一言が、音声として非常に意味のあるものだったりする。

その声を撮りのがすのはカメラマンとして仕事がこなくなる。

報道も、テレビで見ていると簡単じゃん、と言われることが多いけど
その現象が起こるのは、本当一瞬で早ければ2から3秒くらいで
終わってしまう瞬間芸を撮影しなければならないし、
不要なところは、撮影を止めないと編集に手間がかかるということが多い。
これが報道取材の本質である。

ドラマも、まぁ、個性的な演出家多いけど
対等な何でも話せる関係性が無いと仕事がこなくなるし、
カメラマンとして演出家が求めていることを、10歩くらい先読みして
撮らないと間に合わない。

恐らく、えーと、思うかもしれませんが、
演出家は役者を見ているほど余裕がなく
カメラマンと同じ視線で、カメラマンが切りとった画角で
ドラマの世界感を感じている。要は、撮影しながら頭の中で
撮影しているので、カメラマンは先読みして
1カットも無駄なく画角を決めないと演出家が混乱して怒り出す人種であるからだ。

と、つべこべ言われなくても
仕事をしてくれるカメラマンが、今は理想とされているのである。

自己採点では、まぁ、70点くらいかなーといった感じではあるが、
おかげさまで、忙しくしているので時代のニーズに合っているかなぁと
感じています。

さらに言うと、例え「画が足りない」と、演出家に指摘されても、
カメラマンとして演出家を説得し納得させられれば、何ら問題はないんです。

つまり、演出家の立場で、勝手なことばかり言わないでー、とい一言なんです。

カメラマンとして、ごまかすのではなく
撮れなかったら、撮れないなりの理由があるわけで、
時間的な制約なのか、撮影する位置が悪いのか、
役者の動きが悪いのか、いろんな要因が考えられるかもしれない。

そんな責任まで、「絵が足りない」の一言で
片付けられては、カメラマンとして責任が多すぎるのではないかとも感じる。
だったら、物理的に時間をかけて撮りませんか? と、結局はなるのである。

カメラマンと同等の立場を自ら気付くのも
ビジネスとしてカメラマンは考え行動する必要が、
これからは比重を重くするべきだと思う。

だから
選ばれるカメラマンとは、何も言わずに、最高の素材を用意(撮影)してくれないと
仕事は来ないのである。