エラリー・クィーンの小説で思い出した。
大学5年間で私が読んだ本は、エラリー・クィーンだけだった。阪急雲雀丘花屋敷駅に近い下宿の頃は、梅田の紀伊國屋書店や旭屋によく行って、文庫本新書版を買いあさった。
芦屋の国道2号線が業平橋を渡るあたりに下宿していた頃は、三宮の本屋をまわり、日本語で出版された本は全て読んだ。バイトをする他は、大学にも行かずエラリー・クィーンを読むだけ。だったような気がするが、今、そのあたりを歩いてもとんと思い出せない。
芦屋の下宿先は、広い庭のあるお屋敷の書生部屋だったが、今回尋ねたら敷地全部が高層マンションに化けていた。2号線を神戸市東灘区にむけて歩くが、見覚えのある建物が全然無い。通った銭湯の場所もわからない。パチンコ屋はかすかに憶えているがそばにあったであろう他の店が思い出せない。
定食屋はもとの場所にあったが、震災後間口一杯ではなく、少し引いて建てなおしていてわびしげな様子だった。何か丼物でも食べたかったが、そこまでたどり着いたときは午後3時を過ぎていて「準備中」の札が下がっていた。
同じ場所に、同じ人間が来たはずが、前と同じものは何もない、と思った。
大学5年間で私が読んだ本は、エラリー・クィーンだけだった。阪急雲雀丘花屋敷駅に近い下宿の頃は、梅田の紀伊國屋書店や旭屋によく行って、文庫本新書版を買いあさった。
芦屋の国道2号線が業平橋を渡るあたりに下宿していた頃は、三宮の本屋をまわり、日本語で出版された本は全て読んだ。バイトをする他は、大学にも行かずエラリー・クィーンを読むだけ。だったような気がするが、今、そのあたりを歩いてもとんと思い出せない。
芦屋の下宿先は、広い庭のあるお屋敷の書生部屋だったが、今回尋ねたら敷地全部が高層マンションに化けていた。2号線を神戸市東灘区にむけて歩くが、見覚えのある建物が全然無い。通った銭湯の場所もわからない。パチンコ屋はかすかに憶えているがそばにあったであろう他の店が思い出せない。
定食屋はもとの場所にあったが、震災後間口一杯ではなく、少し引いて建てなおしていてわびしげな様子だった。何か丼物でも食べたかったが、そこまでたどり着いたときは午後3時を過ぎていて「準備中」の札が下がっていた。
同じ場所に、同じ人間が来たはずが、前と同じものは何もない、と思った。