正月休みが終わって、
舞い上がった血糖値を下げるために、
高知市五台山の頂上まで歩いてみた。
小学校の大先輩
濱口雄幸像
県外に出て働いている子供たちが年末帰ってきて、正月早々また出て行った。
長男が残った夜、夫婦ふたりと長男の三人だけ、親として初心の日々を思い出す。
まだはいはいをするのがやっとの子と妻を残し、一週間ほど出張することがあった。
雨の中、市ヶ谷駐屯地バス亭あたりで、急に思いついた。
あの子をこの世に生まれさせるために、私の命はあったのか。
親からもらった自分の命は、へこんだ部分と突き出た部分のある、レゴブロックのひとこまのようなもので、それだけでは不完全、意味も値打もない代物のように思えていた。
しかし、親から子、子から孫へつながる「何か」の一部分としてなら納得がいく。
そんなことがあった。
長男は来春29歳になる。
私と同じように見て、感じたり、考えたりするかはわからないが、親子の順の分だけずれて、いろいろなことを経験して行くのだろう。
そう考えると、おなじような道を前後に離れて歩く、おなじようなひと。
子供ではなく、子という友、なのかもしれない。
なんだか楽しくなってきた。
子友を肴に、また妻と酒が飲める。
舞い上がった血糖値を下げるために、
高知市五台山の頂上まで歩いてみた。
小学校の大先輩
濱口雄幸像
県外に出て働いている子供たちが年末帰ってきて、正月早々また出て行った。
長男が残った夜、夫婦ふたりと長男の三人だけ、親として初心の日々を思い出す。
まだはいはいをするのがやっとの子と妻を残し、一週間ほど出張することがあった。
雨の中、市ヶ谷駐屯地バス亭あたりで、急に思いついた。
あの子をこの世に生まれさせるために、私の命はあったのか。
親からもらった自分の命は、へこんだ部分と突き出た部分のある、レゴブロックのひとこまのようなもので、それだけでは不完全、意味も値打もない代物のように思えていた。
しかし、親から子、子から孫へつながる「何か」の一部分としてなら納得がいく。
そんなことがあった。
長男は来春29歳になる。
私と同じように見て、感じたり、考えたりするかはわからないが、親子の順の分だけずれて、いろいろなことを経験して行くのだろう。
そう考えると、おなじような道を前後に離れて歩く、おなじようなひと。
子供ではなく、子という友、なのかもしれない。
なんだか楽しくなってきた。
子友を肴に、また妻と酒が飲める。