柳家小三治「めりけん留学奮戦記」を聞きかじった。
その冒頭でアメリカでは車が来なければ、「警官でも赤信号を渡る。」
アメリカの法律は「自分の身を守るための約束ごと(道具)」であるのに、
日本では法は「守る対象」というより「人を縛るもの」になっている。
小三治得意のまくらである。
言われてみれば、トランプの言動に現われるように
アメリカ人は「自分のことを守るのは自分」なのに
日本人は「誰かが守ってくれる」という空気に支配され、
憲法やら同盟国やら国連やら「おかみ」が守ってくれる気になっている。
人と人が違うことが同じ、という付き合い方と
同じはずの人が違うことを言ってる、と見るのと
今まで遠くはなれていたうちは両立したかもしれないが、
「飛翔体を打てば響く」距離感になってくると、
何か間違いが起きそうな予感もする。
スマホから「ミサイル警報」が鳴る日が来ませぬように、
としか言えません。
ああ無力。
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