ガンバレ、ニッポン

なんか、不安定なニッポンですね。

朝鮮出身の帳場人が見た 慰安婦の真実―文化人類学者が読み解く『慰安所日記』

2019-02-18 14:04:07 | 


本の紹介

朝鮮出身の帳場人が見た 慰安婦の真実―文化人類学者が読み解く『慰安所日記』



英語やハングルで世界に配信してほしい本です。

読んでみて違和感がある箇所が、

著者が「贅沢な戦争」と感じたことです。

日本軍の「贅沢さ」を強く感じたと。

死を前にして性の快楽を味わってみたいという悲しさと異なる、贅沢なセックスがあったと思われると。

ならば、ロシア軍のようにレイプする。韓国軍のようにレイプして虐殺の方を選ぶべきだったのか?!

ただの売春宿が従軍慰安婦とされ、それがもとで未だに日本人を落とし込めている。

水木しげるの作品のなかにもあるが状況悪化で慰安婦たちは日本兵を戦場に残し帰還させている。

「贅沢な戦争」、、

300万人が亡くなっています。

物資の補給もなく多くは飢えで死んだとされています。

「贅沢な戦争」と言ってほしくない。




ソースから

内容紹介
国家基本問題研究所
第五回「国基研日本研究 特別賞」受賞作

本当に「強制連行」「性奴隷」はあったのか!?
「悪魔の証明」といわれた難問に終止符を打つ
第一級史料から紐解いた著者渾身の書き下ろし!

韓国で日本軍による朝鮮人女性強制連行の決定的資料とされた
『日本軍慰安所管理人の日記』の原典にあたり、その記述と内容を精査。



慰安婦から見る慰安業は、営業、商売であった。
つまり、売春業の出稼ぎであった。
朴氏の日記では、彼女たちがどう募集に応じてきたか、
いわゆる「強制連行」されてきたのかについては、一切言及されていない。
この日記には、そうした「強制連行」に繋がるような言葉すらない。


性的被害をもって問題とすることは、どの国、どの民族でも可能だ。
それは、性が人間にとって普遍的なものであり、人間の生存にかかわる問題であり、
恥と人権にかかわることだからである。
韓国が、セックスや貞操への倫理から相手を非難することは、
韓国自身のことを語ることに繋がっている。
つまり、それを詳しく論じることは、
いつか必ず本人に戻るブーメランのようなものなのである。
ただちに中止すべきであると言いたい。

(本文より)


出版社からのコメント
著者の崔教授が研究の対象にしているのは、戦時中、日本軍占領地
(ビルマ、シンガポール)で慰安所の帳場人をしていた朝鮮人、
朴氏が残した日記である。この日記は、『日本軍慰安所管理人の日記』と
いうタイトルで韓国で出版され、日本軍による朝鮮人女性強制連行の
決定的資料だとされている。

崔教授は戦後のバイアスのかかっていない日記原本にあたり、
朴氏の足跡を尋ねて現地調査も行っている。
崔教授のスタンスは明確だ。日韓の政治的な立場から意識して離れ、
あくまで学術的に、日記から客観的な情報を、可能な限り引き出そうと
いうものである。
引き出された情報は慰安婦に関するものにとどまらない。
崔教授は「日本植民地時代の朝鮮人の生活史を知る上で貴重なもの」とも述べている。

この日記を精読した崔教授によれば、
「そうした慰安婦の連行などに関する記述は一切ない」
「『強制連行』に繋がるような言葉すらない」ということであった。
そして、この日記が強制連行の証拠だという主張に対して、親日の日記を
反日に利用するのは矛盾している、と指摘している。

本書では「朝鮮人たちは当時、中国や東南アジアなどの日本軍占領地や前線地域で、
食堂や慰安所などの商売を営んでいた。当地において朝鮮人は、ビルマ、シンガポール、
インドネシアの東ティモールやスマトラ、マレーシア、タイ、ボルネオなどに
広くネットワークを持っており、慰安業以外にも食堂、料理屋、餅屋、製菓所、
豆腐屋、製油工場、写真館などを経営していた」という点も指摘されている。
日記には、このような日本軍占領地でのバイタリティあふれる朝鮮人事業主たちの
経済活動が、随所に描かれている。慰安所の経営も彼らの事業の一つであった。
(“性奴隷"を日本叩きの道具にする人達にとって不都合なことに、この日記に
登場する慰安所の経営者は皆朝鮮人である)。

この日記を書いた朴氏は、遠く離れた異国の地から、東方宮城に向かって遥拝し、
慰安婦とともに開戦記念式に参加して皇軍の武運長久、戦没将兵の冥福を祈る、
典型的な大日本帝国臣民であった。
崔教授は「日記全体の文脈からは、彼が日本の帝国主義に不満を持ち、
母国の独立を願う気持ちを持っていたとは、とうてい思えない」と述べている。
この日記には性奴隷はおろか、「虐げられた朝鮮人」の姿も見られないのである。

著者は韓国でタブーとされている米軍慰安婦について述べ、韓国メディアから
容赦ないバッシングを受けた。だが、そんな圧力に屈することなく、本書でも
学者として客観的な姿勢を貫いている。

内容(「BOOK」データベースより)
本当に「強制連行」「性奴隷」はあったのか!?「悪魔の証明」といわれた難問に終止符を打つ。第一級史料から紐解いた著者渾身の書き下ろし!韓国で刊行された話題の書。『日本軍慰安所管理人の日記』の原典にあたり、その記述と内容を精査。
著者について
崔 吉城(チェ キルソン)
東亜大学人間科学部教授、広島大学名誉教授、東亜大学東アジア文化研究所所長
1940年6月17日 韓国京畿道楊州に生まれる。
1963年8月 国立ソウル大学師範学部国語教育学科卒業。
1985年3月 筑波大学文学博士。
専攻は文化人類学

刀伊の入寇

2019-02-18 08:41:19 | 外国人犯罪
高麗=韓国人であるならば

歴史上明確に韓国人が日本に攻めてきたという事実になる。

1000年前の事件である。

子供や年寄りは殺され女は拉致された事実。




ソースから


 日本史を勉強した人でも今から約1千年前、1019年に起こった「刀伊(とい)の入寇」を知らない人は多い。しかし、この出来事は日本史上で初めて発生した外国勢力(海賊ではあるが)による大規模な侵攻であり、日本人365人が殺害され、1300人近くが拉致されるという未曽有の大事件であった。

 時は平安時代、かの藤原道長が全盛を誇った頃の話である。10世紀頃から日本海周辺で海賊行為を繰り返していた東女真族——朝鮮半島・高麗国の北東辺境(沿海州)に住んでいた蛮族——が1019年の3~4月に賊船約50隻の大船団を組んで対馬、壱岐、そして九州北部を襲ったのである。彼らは、壱岐島で国司の藤原理忠を殺害した上、島民148人を殺りく、239人を拉致しており、その直前には対馬で同様の略奪・殺りく・放火をはたらいている。その上で、九州北部沿岸地域(筑前、肥前)を襲い、太宰権帥・藤原隆家率いる九州武士団と約1週間に亘って大戦闘を繰り広げた末、1300人近い日本人を拉致したまま引き揚げたという。

 この事件の顛末については、同時代の公卿・藤原実資が書き残した「小右記」という日記に詳しく記録されている。私が驚くのは、この事件に遭遇した時の朝廷(公卿)の無策振りである。殆ど何の対応もせず、全て現地任せ。自分たちは「大臣欠員騒動」という内輪の問題に明け暮れる始末である。せめて賊を撃退した九州武士団への恩賞くらいあってしかるべきだったと思うが、これも極めて不十分にしか行われていない。特に、現地で総指揮をとった最大の功労者・藤原隆家に対して何等の慰労も行われていない様子なのは理解に苦しむ。おそらく、こうした朝廷(公卿)の無策・無関心が武士団の怒りを買い、平家の台頭から鎌倉時代へとつながるその後の武士層の影響力拡大の一因になったのではないか。何人かの史家が指摘しているように、260年後の元寇が仮に(鎌倉幕府当時ではなく)この時代に起こっていたら日本はモンゴルに完全占領されていたかも知れない。

 私は、この事件は今日的教訓に満ちているように思う。昨今、東シナ海での緊張の高まりや北朝鮮の挑発的な動向に直面している我が国として、不幸にして軍事的な突発事態が発生した時に政府としてどう対応すべきなのか。第一の問題は、賊の正体が不明な中での即応のあり方である。海賊侵攻の第一報を受けた時の朝廷の判断は高麗(旧新羅勢力)が攻めてきたのではないかというものであったという。現場でも賊の正体が分からず、仮にそれが高麗の軍であれば戦闘はただちに国対国の戦争を覚悟しなければならないことになる。朝廷においては中国に誕生した新王朝・宋と良好な関係を確立したことで、対外関係を楽観視し、朝鮮半島やその北の沿海州の政治・安全保障情勢への的確な情報収集・分析が出来ていなかった。

 第二の問題は、万が一外敵の大規模な侵攻を受けた場合の対応策について事前の検討と現場への支持、安全への備えなどが全くなされていなかったと思われることである。少なくとも、白村江の戦い(663年)の後に臨戦の備えをとった天智・天武天皇期のような防衛体制は全く取られていなかった。

 第三に、事件発生後、政府による問題の重要性把握と迅速な対応策指示がなされていないことも指摘しなければならない。勿論、平安時代の当時は情報伝達手段に大きな制約があり、第一報が都に到達した頃には現場での戦いは既に終わっていたようだが、朝廷としては「終わっていた」ことを知らなかった状況下で如何なる指示を出したのかは厳しく問われねばならない。実際には戦闘状態に入っていた現場では何の役にも立たないような形式主義的な訓令を発出しただけだった。長らく続いた平和の中で、多くの公卿たちに「国を守る」という防衛意識が完全に欠落していたとしか思えない。今日、私たちが置かれている状況に照らすとき、何とも教訓に満ちた話ではないか。



平安中期の外敵侵入事件。刀伊とは朝鮮語で夷狄(いてき)のことであるが、日本では沿海州地方に住んでいた女真(じょしん)族をさす。1019年(寛仁3)3月高麗(こうらい)を襲った女真人が50艘(そう)余の船に分乗し、壱岐(いき)、対馬(つしま)に襲来し、ついで筑前(ちくぜん)国(福岡県)怡土(いと)郡を侵し、志麻(しま)郡、早良(さわら)郡を略奪した。壱岐では守(かみ)藤原理忠(まさただ)以下多数が殺害されたり捕らえられて、残る者わずか35人と報告されている。賊船の大きさは12尋(ひろ)ないし8.9尋。一船に(かじ)30~40。乗船員数は一艘につき30~40ないし50~60。弓矢をもつ者と盾をもつ者とが組んで一隊となり、10~20隊もが上陸して山野を駆け巡り、馬牛を斬殺(ざんさつ)して食い、捕らえた老人子供は殺し、壮年は船に追い込み、人家を焼き、穀物を奪い、殺された者400余人、捕らえられた者は1000人を超えたという。これに対し大宰府(だざいふ)では当時赴任していた権帥(ごんのそち)藤原隆家(たかいえ)が中心となり、京へ飛駅(ひえき)使を立て通報する一方で、大宰府官人を警固所に派遣し防戦にあたった。賊は警固所を焼こうとして失敗し、筥崎宮(はこざきぐう)を焼こうとした試みも撃退され、現地住人らの奮戦もあり、対馬侵奪以来ほぼ1週間で、日本近海から退散した。賊を撃退できたのは隆家以下の府官人および現地の勇士の健闘によるが、朝廷では、戦功抜群の者に褒賞(ほうしょう)を与えるという指示が出される以前に戦闘が終了していたことを理由に、与える必要がないという公卿(くぎょう)の意見もあり、論功行賞にはあまり積極的でなかったようである。防戦過程において府官人の出動状況や現地住人の戦闘活動のほどが知られ、この事件を介し平安中期軍制の実態を知ることができる。




本の紹介 3000人斬り美女の昇天セックス作法 

2019-02-18 08:18:14 | 
本の紹介

3000人斬り美女の昇天セックス作法 


まじめな人は読まなくていいと思いますが。。

AV女優の筆者はJK時代はガングロ、彼氏とエッチした後に渋谷センター街でSEX三昧、お金を貰ったり貰わなかったり

興味深い女性の生き方。

中年男性を励ます本でもある。





内容

北島玲は体験人数が3000人という驚異の人気AV女優であり、私生活でも「好きな男性のタイプはセックスが強い人」と公言してはばからない“エロの申し子”と呼ばれる存在だ。本書は、その豊富な性体験をベースに、どうしたらもっと気持ちいいセックスができるのかについて、その効果的なハウツーを女性の立場から徹底詳解した一冊。知られざるテクだけでなく、「本当はどうして欲しがっているのか?」、「さらに感じさせるためには何をすべきか?」など、多くの男たちが抱える大疑問についても、分かり易く解説する。

著者略歴

北島/玲
1982年、東京都出身。渋谷109の有名ショップ店員から、エステティシャンを経て、2006年に『S1新人×ギリギリモザイク』でAVデビュー。持ち前の美貌と、身長165cm、B96(Hカップ)・W60・H89という抜群のプロポーションで人気を集め、これまでに100本超のAV作品に出演。2009年、男性経験数が3000人(撮影で300人、プライベートで2700人)を突破。『夕刊フジ』や男性月刊誌の連載コラムでも注目を集めている。話題のブログは、アクセス数でAV女優のトップを独走中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

「クルーズ船で入国し失踪」外国人 初の年間100人超 九州で全体7割

2019-02-18 08:04:21 | 外国人犯罪
豚コレラが

中国人観光客が原因とかありますが。。

それと

梅毒が増えているのも中国人によるものとか。。。





ソースから


昨年クルーズ船で入国し失踪した外国人が106人に上り、年間の失踪者数が初めて100人を超えたことが、法務省入国管理局への取材で判明した。ビザ免除などでクルーズ船による訪日客が急増し、中でも中国から近く寄港回数も多い九州での失踪者が2017年は全体の約7割を占めた。大半は不法就労目的とみられ、就労先をあっせんするブローカーの存在も指摘されており、入管当局が警戒している。【宮原健太、浅野翔太郎】



 長崎港で17年の暮れ、中国人の50代の女がツアー客としてクルーズ船から下り立った。だが、女の目的は埼玉に不法滞在している息子に会うことで、中国人の仲介者とソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で連絡を取り入国した。クルーズ船を利用したのは仲介者からの指示だった。

 女は入国後、指示通り長崎市の平和公園で中国人留学生の男と落ち合った。男の運転で福岡に着くと新幹線のチケットを手渡され埼玉へ。帰国の資金などを稼ぐため息子と工場で働いたが、劣悪な環境に耐えられず東京入管に駆け込み、不法就労が発覚。長崎県警が昨年6~7月、女と留学生の男を入管法違反容疑で逮捕した。

 長崎県警は男が失踪を手助けした別の中国人の男女7人も逮捕したが、いずれもクルーズ船で入国していた。県警は背後に就労先をあっせんするブローカーや手配師が存在するとみて調べている。

 18年にクルーズ船で入国した外国人は約244万人で、14年の約41万人から6倍になった。ビザ免除など入国審査を簡略化した「船舶観光上陸許可制度」を15年に導入したことで、クルーズ船での日本旅行がしやすくなったことが大きい。一方で、上陸後の失踪者も急増し、15年の21人から18年は前年比27人増の106人に。寄港回数も多い九州で目立ち、15~17年に計29人だった長崎県では18年だけで20人を超えた。

 「中国のインターネットなどでは『クルーズ船は逃げやすい』という誤った情報が出回っている」。入管関係者は「クルーズ船の利用者数の規模からすれば失踪者は決して多くない」と強調したうえで、そう打ち明ける。

 当然、入管当局も警戒を強め、クルーズ船の運営会社に乗客の資産状況をあらかじめ確認させるなど対策を求めている。運営会社に乗船名簿を提出してもらったうえで入管担当官が乗客全員の過去の渡航歴などを確認し、不審点があれば入国を認めないなどの対応も取る。昨年7月には、失踪者が相次いだクルーズ船1隻について船舶観光上陸許可制度の指定を更新しない初めての措置を取った。

 外国人労働者問題に詳しい福島大の坂本恵教授(行政政策学)は「不法滞在をもくろむ外国人に狙われないよう、審査が厳格に行われていることをアピールすべきだ。それでも失踪者が減らないようなら入国の条件を考える必要がある」と指摘する。

 ◇船舶観光上陸許可制度

 訪日外国人の増加を目的に入管法を改正し導入。指定されたクルーズ船で入国した場合、同じ船で出国することや入国時の指紋提供を条件に、ビザ取得や入国時の顔写真撮影が免除される。入国審査は専用の機械に指紋をかざすだけで済むため、1隻当たり平均2時間半だった審査時間は60分以上も短縮された。日本に寄港するほぼすべてのクルーズ船が指定されている。