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ガンバレ、ニッポン

なんか、不安定なニッポンですね。

新型ウイルスの日本の対応

2020-01-28 09:03:58 | 国内
日本の対応は、、

入国は拒まない、ウイルス感染していたら公費で治療して完治後に入国のようです。

すげえ、、国ですね。感染者は日本へ行って治療してもらうってことだ。

それも。無料なのだ。

中国が武漢閉鎖前に1000万人に半分500万人が武漢から逃げた(避難)していたという、、

その中には新型ウイルスの感染者がいたのでは?

さらに感染者が人から人へ感染させたら、、

中国の対応はお粗末すぎないか?

日本の現状は拒否はしない、入国はOKなのだ。

感染者が2月には45万人になるのではと報道されている。

それでも、暢気なコメンテーターはさほど心配する必要はないと日本中にコメントしています。

いいのかなあ~~

感染したら直接、病院に行ってはいけないらしい、保健所に連絡し、指示された病院へ行くとのことです。

亡くなった方の多くは高齢の方で60歳以上のようなので免疫力を高める必要なんだろうね。


指定感染症になったら、無料で治療できるので日本に行く。。

2020-01-27 17:52:58 | 中国
指定感染症指定で治療が無料、、、?

中国人が治療目当てで大量に入国、、、

ヤバくないか!

調べてみた。

ありました、、

。。通常は医療費の自己負担部分が公費で賄われる。。。。。

中国人は頭いいなあ。。ていってる場合じゃないぞ!

日本国民は怒れよってことだよ。

追放、追放。。



 指定感染症とは何か。

A 感染症法は様々な感染症について感染力や危険性に応じて1~5類に分類している。新型肺炎のように未分類の感染症は政令で暫定的に「指定感染症」にすることで対応に法的根拠を持たせることができる。指定は1年以内が原則だが、さらに1年延長もできる。



Q どんな対応が可能になるのか。

A 1、2類感染症は患者に入院を勧告し、従わなければ強制入院させることができる。就業制限の規定もある。指定感染症もこれに準じた対応が可能になる。未指定のままだと新型肺炎の患者に入院や自宅待機を求める場合も「お願い」にとどまり、強制力がない。
Q 医療費の扱いも変わるのか。
A 保健所の勧告で入院した場合は医療費の公費負担制度がある。通常は医療費の自己負担部分が公費で賄われる。
Q ほかの感染症はどう指定されているのか。
A 最も危険性が高い1類感染症にはエボラ出血熱やペストなどが指定されている。2類には結核や鳥インフルエンザの一部のほか、新型肺炎と同様、コロナウイルスが原因の重症急性呼吸器症候群(SARS)や中東呼吸器症候群(MERS)が含まれて

テレビで報道されない新型肺炎・コロナウィルスの危険性 

2020-01-27 15:58:12 | 中国
日増しに感染者が増えて死亡者も増えている。

それなのに国会中継を見てみると、桜の問題、、、、

暢気すぎないか日本?

中国人の民族大移動は細菌テロ、ではないのか?

このように書くと「ヘイト」、かい、、、

日本政府の危機管理はどうなっているんだ

日本の感染者のほとんどが武漢からの観光客です。

武漢からの入国をストップすることもできないのか?

東京オリンピックが中止なんてことに、、、

経済が疲弊します。日経ダウは500円近く下げています。

投資家の先行き不安による投げうり、、、

1000万人もいる大都市の武漢は閉鎖されています。

産業が止まり、経済が滞り中国の先行きは不安です。

日系企業が100社以上あるようですが日本経済にも大打撃になる。

今年の雪不足で雪に頼っていた企業の倒産は増えるだろうし

あのタピオカブームも、、こんな記事が

タピオカブームで便乗し750万円をつぎ込んで冬になったら誰も買わなくなった。

寒くなればだれも飲まなくなった。

あったかいタピオカドリンクを販売してもそれほどの効果はなっかた。

結局、倒産して750万円の借金さけが残ったようだ。。

令和から暗いニュースが続く、、


銀行、地方銀行の倒産が増えるようだ、借り手のいなくなったカネが外資へ流れる構図。

なぜ?国内企業に融資しないのだろうか?

国民から吸い上げたカネが外資に流れる構図が日本国民の貧困に拍車をかける。

いいのだろうか。

令和新撰組でもN国でもオリーブの木にでもいい、

今の日本には救世主が必要だ。





蓮舫氏「古い古い古い価値観」 夫婦別姓のヤジに

2020-01-23 18:20:24 | 議員
朝日新聞の記事だけど

ちょと偏っていないでしょうか?

驚くべきヤジがあった。。。。って そうでしょうか?

憲法で保障されている「結婚の自由」を否定する、時代にさかのぼる発言だ、、って、、

ここで憲法を持ち込むの?

「だったら結婚しなくていい」は結婚の自由を否定している発言なの?

それが何で少子化とつながるのだろうか?

っていうか、くだらなくはないんだろうけど、もっと議論することがあるのでは?

中国の偉い人が国賓で、天皇陛下と握手するそうだけど、、、議論しろよ。

それに、中国の人権問題、ウイグル人の華僑教育や虐殺で臓器移植に使われていることとかあるし、

外国人による日本の土地買収とか。。。

日本終ってる。。。



そーすから

22日の)衆院本会議で驚くべきヤジがあった。選択的夫婦別姓は、今の時代に求められている新しい制度設計だ。そのことに言及した質問・意見に対して、自民党の女性議員から「だったら結婚しなくていい」というヤジが飛んだ。時代に合わせて、多様な結婚の形のあり方、色々な生き方を保障しなければいけないのに、憲法で保障されている「結婚の自由」を否定する、時代にさかのぼる発言だ。こういうおかしいことに対して、今の少子化が進んでいることに対して目をそらして、古い古い古い価値観に縛られている人たちは正しくないんだと言える国会にしていかなければならない。(23日、国会内で)

ポルトガルの奴隷貿易

2020-01-23 17:25:13 | 国際
そーすから

アジア人の奴隷

ポルトガル人が日本人に1543年に初めて接触したのち、

16〜17世紀を通じ、ポルトガル人が日本で日本人を奴隷として買い付け、

ポルトガル本国を含む海外の様々な場所で売りつけるという大規模な奴隷交易が発展した。

多くの文献において、日本人を奴隷にすることへの抗議とともに、大規模な奴隷交易の存在が述べられている。

日本人の奴隷たちはヨーロッパに流れ着いた最初の日本人であると考えられており、1555年の教会の記録によれば、

ポルトガル人は多数の日本人の奴隷の少女を買い取り性的な目的でポルトガルに連れ帰っていた。

国王セバスティアン1世は日本人の奴隷交易が大規模なものへと成長してきたため、カトリック教会への改宗に悪影響が出ることを懸念して1571年に日本人の奴隷交易の中止を命令した。

日本人の女性奴隷は、日本で交易を行うポルトガル船で働くヨーロッパ人水夫だけでなく、黒人水夫に対しても、妾として売られていた、とポルトガル人イエズス会士ルイス・セルケイラ(Luís Cerqueira)が1598年に書かれた文書で述べていた。

日本人の奴隷はポルトガル人によってマカオに連れて行かれ、そこでポルトガル人の奴隷となるだけでなく、一部の者はポルトガル人が所有していたマレー人やアフリカ人の奴隷とさせられた。

『フロイス日本史』によると、島津氏の豊後侵攻により捕虜にされた領民の一部が肥後に売られ、そこで更に海外に転売されたという。

豊臣秀吉は自国の民が九州において大規模に奴隷として売買されていることを大変不快に感じ、1587年7月24日にイエズス会の副管区長のガスパール・コエリョに手紙を書き、ポルトガル人、タイ人、カンボジア人に日本人を買い付けて奴隷にすることを中止するよう命じた。

また、インドにまで流れ着いた日本人を連れ戻すよう言い渡した。

秀吉はポルトガル人とイエズス会をこの奴隷交易について非難し、結果としてキリスト教への強制改宗が禁止された。

文禄・慶長の役で捕虜として日本に囚われていたうち一部の朝鮮人もまた奴隷としてポルトガル人に買い付けられてポルトガルに連れて行かれた。

欧米の一部歴史家は、秀吉はポルトガル人による日本人奴隷売買を阻止した一方で、純粋な民間人と戦争捕虜という売買対象の違いはあるものの、秀吉自身も朝鮮人奴隷の交易を誘発したことを指摘している。

ポルトガルの首都リスボンには少なくとも1540年には中国人の奴隷がいた複数の記録がある。

現代の歴史家によると、中国人が初めてヨーロッパを訪れたのはポルトガル人侵入者によって、おそらく中国南部の沿岸で奴隷にされた中国人の学者がポルトガルに連れて行かれた1540年(あるいはその数年後)という。その中国人はポルトガルの歴史家ジョアン・デ・バロスに購入され、共に中国語の文書をポルトガル語に翻訳する作業に従事したという。

16世紀のポルトガルにおいて中国人奴隷の数は「わずかなもの」であり、東インド人、改宗イスラム教徒、アフリカ人奴隷の方が圧倒的に多かった。

1562年10月23日に記録された遺書には、エヴォラに住んでいたドナ・マリア・デ・ビリェナ(Dona Maria de Vilhena)という上流階級の婦人が保有するアントニオという名前の中国人奴隷について記載がある。

アントニオという名前はエヴォラにおいて男性奴隷に付けられた3つのありふれた名前の1つだった。

D. マリアは奴隷の中で特にアントニオを重用していたが、それは彼が中国人だったからである。

D. マリアが保有していた15人の奴隷のなかで中国人が1人、インド人が3人、改宗イスラム教徒が3人であったことは彼女の社会的地位の高さを表している。なぜなら中国人奴隷、改宗イスラム教徒奴隷、インド人奴隷は評価が高く黒人奴隷より高価であったからである。D. マリアが死んだ時、その意思と遺言により12人の奴隷を自由の身分とし、さらに合計1万〜2万ポルトガルレアルのお金を彼らに遺している。

マリア・デ・ビリェナの父親は上流階級出身の探検家のサンチョ・デ・トバル(Sancho de Tovar)でありソファラの提督であった。D. マリアは二回結婚し、一回目の結婚相手は探検家のクリストバン・デ・メンドンサ(Cristóvão de Mendonça)であり、二回目はディーウの提督のシマン・ダ・シルベイラ(Simão da Silveira)であった。

中国人の子供たちはマカオで誘拐され、まだ幼いうちにリスボンで売り払われた。

フィリッポ・サッセッティ(Filippo Sassetti)はリスボンの大規模な奴隷集落において、大部分の奴隷が黒人だったものの、いく人かの日本人、中国人の奴隷を見かけたと報告している。

ポルトガル人は中国人や日本人などのアジア人奴隷をサハラ以南アフリカ出身の奴隷よりもずっと「高く評価していた」

ポルトガル人は知性や勤勉さといったものを中国人や日本人奴隷の特質であると見なしていた。このことが奴隷としての高い評価に繋がった。

1595年にポルトガルにおいて中国人及び日本人奴隷の売買を禁ずる法律が制定された。