はな兄の1分で読めるエッセー

ふと脳裏に浮かんだ雑感を気ままに綴った日記

病院うだうだ話①

2022-01-07 20:29:56 | 日記

病院へ到着して、診察カードを器械に差し込んだら

受付が終わりで

後は

腎臓外科の窓口でカルテをもらい

血液検査室で尿と血液を採取してもらい

カルテを再び腎臓外科の窓口へ提出し

後は

診察室近くの待合室のソファで

ボーッとしてるだけ。

実にスムーズだ。

何気なく書いたが

ちょっと前まで

まず病院の玄関受付には

ズラーっと窓口が並び

初診など

どこに行くかで約5分はかかった。

ふと気づいてみると

玄関受付窓口

あるいはそこで働く人の数自体が

激減している。

前述の器械のおかげだろう。

ゆくゆくは

近い未来のコンビニのように

無人病院が誕生するかもしれない。

そうだ。

看護師も医師も、その他の医療スタッフも

救急患者のための人だけで

あとは

すべてオンライン診察とか。

オンライン専門の病院とか。

 

さて。

気になるヘモグロビンエーワンシーは

6・9

だった。

ちなみに今朝の空腹時血糖値は

138

普通の健常者からするとかなり高めだろう。

仕方ないよねえ。

移植して10年後のけっこう使い込んだすい臓だから。

元々のこのすい臓の持ち主だった方は

60歳の男性だった。

すなわち私は現在70歳のすい臓、くわえて腎臓で

生活させてもらっている。

ヘモグロビンエーワンシーというのは

一か月の平均の血糖値を表した数値である。

普通の健常者は5・0~5・5ぐらいだ。

わたしは最悪の頃

15・7の数値が出たことがある。

あれは透析生活に入る直前あたりかな。

だから20年ちょっと前。

当然、強制入院。

一日24時間、血糖値が300を下らず

それが何年も続けば

そりゃカラダ、おかしくなりますよねえ。

そのころ

犬の散歩をしていても息切れするので

途中でしゃがみ込み休み休み歩いていた。

これまでも

血糖値のコントロールが上手くいかなくなり

そのたびに教育入院しては

体調を整え退院していたのが

いよいよそれでは限界となってきたのがそのとき。

腎臓の評価値のクレアチニンの数値が悪化していたからである。

 

 

 

 

 

 


今日は寒かった

2022-01-06 23:27:18 | 日記

う~寒いっす

でも

暑い時は

暑いっすとは言わないのに

なぜか寒い時は

寒いっす

と言いたくなるのはなぜだろう。

 

また書いて恐縮なんだが

小学生時代のクラスメイトの遠藤君は

こういう日は

いつも

「荒野の少年サムイなあ」

が口癖だった。

(正確には、漫画『荒野の少年イサム』)

 

ねえ。

子どもの頃

さむい、さむい

さみいねぇ

サミー・デイビス・ジュニアだよねえ

なあんて言い合いませんでした。

 

言わない?

あ、そう。


馬で思い出すこと

2022-01-05 16:57:06 | 日記

競馬は残念でした。

次の土曜日曜で頑張ろう。

 

ところで

馬で思い出したのが

50年以上も前

伊豆大島に住んでいた頃の風景だった。

切り立った地層沿いの

島の周囲をなぞる動脈ともいえる

当時は唯一といってもよい舗装道路を

馬を連れた馬子が

パカパカ歩いている。

 

特筆すべきは

 

味噌椀を逆さにしたような

歩きながらする馬のウンコである。

柔らかくもなく硬くもないのか

極小のお寺の鐘とみまごう

見事な美しい形をしている。

 

もちろん馬子は、片付けるとかせず

所々に

『極小の鐘』を残しながら

去ってゆく。

 

それからこれは馬ではないが

ロバだ。

中学生の頃

『横浜ドリームランド』という遊園地のそばの団地に住んでいた。

毎日、ミニ動物園に通っていた。

そこにいたロバがかわいい愛おしい。

とにかく目が優しい。

あのときの目は

一生忘れられない目といっても過言ではない。

閉園して

ロバ、どうしたのかなあ。

幸せになったんならいいけど。

 

 

 


朝のテレビ

2022-01-04 18:12:23 | 日記

午前中

NHKプレミアムで

ペットの番組観てたけど

東日本大震災で

『パンダ』という名前の飼い犬が置き去りにされて

最後は結局

美談風にまとめられていたけど

あれは感動物語なんだろか。

確かに

被害にあった人の立場に立ってみろ

といわれれば

なにも反論はできないが

私だったら

なにがなんでも

たとえ犬好きではない犬に関心を持たない

周りの人間から

どんなにバッシングを受けようと

村八分になろうと

愛犬は連れてゆくけどなあ。

 

『南極物語』

にしてもそうだが

なぜあれを美談にするのかが

私には理解できない。


箱根駅伝2022

2022-01-03 19:11:45 | 日記

優勝は、ご存じのとおり青山学院。

シード権争いがドラマだった。

東海大学の吉冨君は、8位でタスキを受け取ったのが

不運でしたな。

いや~なプレッシャーが一番、のしかかりそうな位置だからである。

これが11番目だと

「よっしゃー。俺が一人抜いたろ。シード権獲得じゃ」

と、気合が入るし

10番目だと

「死んでも誰にも抜かれるものか」

と、火事場のバカ力じゃないが、やはり気合が入る。

この8番目というのが微妙でして

抜かれちゃいけないけど、一人もしくは二人ぐらいならまだいい。

攻め一辺倒の姿勢でよいのか

あえて一人ぐらいは抜かせても

前半は抑え気味にして10以内の確保に照準を合わせればよいのか

どっちつかずの気持ちになる。

直前まで迷う。

そして迷いの中でプレッシャーを感じながら

彼はスタートした。

スポーツは心理だなとつくづく思う。

焦れば焦るほどにのびのびとした腕振りは影を潜め

腕を振れないということは、歩幅も伸びない。

 

「俺は箱根駅伝を走った。しかもアンカーだったんだぜ」

と、将来、自分の子どもに、あるいは教師になった場合、生徒たちに

大いなる自慢話になるのがふつうだろうけれども

彼はどうなんだろう。

心配ではあるが、こういう考え方もできるのではないだろうか。

 

すなわち

 

この唯一無二の挫折の経験を語り継ぐことのできる

特典を手に入れた

と。