先日の日曜美術館は日本近代絵画の父と呼ばれる黒田清輝 (1866~1924)が取り上げられました。
現在東京国立博物館で「生誕150年 黒田清輝─日本近代絵画の巨匠」が開催されています。
私の好きな画家のひとりで、本日はぜひ見に行きたいと思っています。
黒田清輝は明治大正にかけ西洋画を日本に根付かせようと奔走した画家であり、
同時に西洋画を日本に根付せるため、 裸体画問題と格闘し続けた人生でもありました。
今回の放送は裸体画を中心に取りあげられました。
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黒田清輝は明治17年17歳で法律を学ぶためにパリに留学します。
しかし19歳にとき画家になることを決意します。
黒田が師事したのはラファエル・コラン裸婦を中心に女性像を多く描いた画家です。
コランの代表作「フロレアル(花月)」
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古代ギリシアより裸体が美の理想を表すという西洋画にふれ、黒田も多くの裸体画デッサンを残しています。
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24歳のとき初めてフランスのサロンで入選した作品
「読書」
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本を読みふける女性の手や顔を窓からの光が照らしています。
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次にサロンに入選したのは日本で物議を醸す出すことになった裸体画です。
「朝妝」(ちょうしょう)
9年間に及ぶパリ留学の総決算として描いた絵です。
実際の作品は戦災で焼失しています。
この絵は京都で開催された内国勧業博覧会(1895)に出品されます。
しかし風俗を乱すと世間から激しい非難をあびます。
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裸体画騒動の翌年明治29年東京美術学校(現東京芸術大学)に西洋画科が新設され、
黒田が指導を任されます。
黒田は自分がパリで学んだように、実際のモデルを使い授業を行いました。
重要文化財「智・感・情」
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ほぼ等身大の全裸の女性が金地を背景に描かれています。
日本人をモデルにした裸体の三部作ですが、明治の日本女性で7.5 等身の体の人は
実際にはほとんどいなかったと言われています。
黒田は日本人モデルをもとにしながら理想的なプロポーションに作り替えていきました。
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1900年のパリ万国博覧会が開催され、日本からも工芸品や日本画とともに多数の洋画も出品します。
黒田も「智・感・情」とともに五点出品し、そのひとつが「湖畔」です。
重要文化財「湖畔」
湖のほとりに腰掛ける女性、日本の美人画のように団扇を手に浴衣姿で涼んでいます。
油絵で描いた日本的洋画と言われます。
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パリ万国博覧会の翌年黒田の裸体画はまた世間を騒がせます。
「裸体婦人像」
裸で横座りする西洋の女性
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しかし警察はこの絵は風俗を乱すとして、この絵の下半分を布で覆ったのです。
いわゆる「腰巻事件」です。
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黒田はそれでも臆することなく裸体を描き続けます。
戸外での作品です。
「春」
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「秋」
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「花野」
40代になった黒田が精力的にとりくんだ裸体画の大作です。ー
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晩年黒田は貴族院議員になり、さらに帝国美術院院長に就きます。
そのようなときまた裸体画騒動がふりかかります。
大正13年(1924)東京でフランス現代美術館展が開催され、マチスやゴッホ、
ゴーギャンなどとともに黒田の師匠コランの絵も展示されます。
しかしここでもまた警察の介入があり、黒田は文部省や関係部局との調整に奔走し、
やっと特別室での展示となります。
しかしその心労もあったのでしょうか、展示会の後亡くなります。
58歳、まさに日本における近代洋画の父は裸体画との格闘の人生でもありました。