展覧会を見る時の見方として、盗んでも欲しいという欲望を刺激されるものはどれだ。
という素直な見方をしている。(決して盗みませんが・・・)
今回のフェルメール展では、2点あり 『小 路』 『リュートを調弦する女』 だった。
『小 路』 は、自慢げにヒトに見せびらかす場所に飾りたい絵で、
『リュートを調弦する女』は、ヒトには見せないで隠しておく。まるで危ない浮世絵のようだがとにかく隠しておく絵だ
『小 路』については以前書いたので、
『リュートを調弦する女』について気に入ったことを自分なりに称えてみたい。
まずはクリックして絵を確認していただきたい。
『リュートを調弦する女』 (作、1664年頃)ニューヨーク、メトロポリタン美術館蔵
http://www.mystudios.com/vermeer/18/vermeer-woman-with-lute.html
『リュートを調弦する女』の来歴
この絵は、誰かが隠しておいたせいか、保存状態が悪く相当に傷んでいた。
光と色彩の魔術師フェルメールの面目がなく、しかもちょっと前まではフェルメールの真作とは見られていなかった。
この絵が記録に登場するのは2回だけのようで、
最初が1817年であり、この絵がアムステルダムで競売にかけられ65ギルダーでコクレルスという人物が入手しているという記録がある。
二回目は、コリス・P・ハンティングトンがイギリスで6000ドルで購入し、1897年にメトロポリタン美術館に寄贈(1925年に移管)し現在に至っている。
ハンティングトン(Collis Potter Huntington 1821-1900)(Collis Potter Huntington 1821-1900)は、アメリカの鉄道王といわれ、彼の甥 ヘンリー・エドワーズ・ハンティングトンが寄贈したロスアンゼルス郊外サンマリノの彼の自宅敷地にある庭園・美術館・図書館なども有名で、ここには世界でも有数のバラ園がある。
フェルメールが歴史上で再評価されるのは、フランスの評論家トレ=ビュルガー(本名テオフィール・トレ)が1860年代にフェルメールを評価し、ここから純粋芸術の偉大な先駆者として評価されるようになるが
これ以前のアムステルダムでの競売価格65ギルダー、ハンティングトンの購入額(1ドル360円とした場合で216万円)とも極端に安く、フェルメールの真作として売られていない可能性がある。
秘匿したい絵
それにしても、来歴がよくわからず秘匿の時間が長いことだけがわかる。
隠し持っていたいもの、それは“秘められた恋”の匂いがするからではないだろうか?
ナポレオンの浮気の中でもジョゼフィーヌが最も怖がったのはこの“秘められた恋”のようで、妻が最もいやなものはどうもこれらしいと気づいた。
この仮説を『リュートを調弦する女』で検討してみると
・女性は、どう見ても既婚者に見える。しかも美しい。
・壁には、地図がかけられており、夫は海外出張中で留守のようだ。
・はっきり見えないが、女性の前にはもう一つの楽器と空いた椅子がある。
・ということは、誰かを待っている。
・でも、夫ではなさそうだ。何故?
・楽器演奏よりは、お茶の方がいいに決まっている。旅から帰ってきた夫にとって。
地図・楽器などの舞台装置から見てもインテリジェンスが高く、窓の外を見るクールに燃える炎は、
命をかけざるをえない。
燃えッかすをも完全燃焼させるものがありそうだ。
だから余人には見せたくない。ましてや妻という人種には。
ハンティングトン氏に聞いてみたかった。
『リュートを調弦する女』と対照的な女がいたのでクリックしてみていただきたい。
『ワイングラスを持つ娘』 (作、1659=1660頃)アントン・ウルリッヒ美術館蔵
http://www.mystudios.com/vermeer/11/vermeer-girl-with-wineglass.html
特にコメントすることもなさそうだが、命をかけることもなさそうでホッとする絵ではある。
きっと“お馬鹿チャン”なんて言うのだろう。
このような見方をするまでもなく、
フェルメールの絵は、その絵の中から人物を取り出したら(或いは消去したら)成り立たない。
確かに、この女性を取り除いたら魅力がない唯の部屋になる。そして壁と机の距離感が変で壁が前に出すぎているような感じがしてくる。
ということは、この絵は厳密な意味での写実ではなく計算ずくで構成された或いは編集された虚構があることに気づく。
フェルメールは、現実を写真が切り取るように写し取っているのではなく、
テーマ設定がされ、舞台装置がおかれ、台詞が出来ているような気がする。
ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer, 1632年10月31日 - 1675年12月15日)
フェルメール展が今日で終了になる。
そして明日はフェルメールが43歳の若さでなくなった命日に当たる。
フェルメール展のエンディングをここに設定したのは主催者のこんな意図があったのだろう。
今回のフェルメール展は、都合4回行ったことになるが実にいい企画だったと思う。
個人的には、ランチと飲み会とをセットしておいたのでなおさらおいしい企画でもあった。
蕎麦のうまいところ、フランス料理、イタリア料理、中華、すしなど値段が安く味はオリジナル性があるところにいったので満足いくところでもあった。頭だけでなく、胃袋もセンスアップしたのではないかと思う。
盗んだ味はいずれわが台所で再現させてみるつもりだ。
脱線しないで本線に戻ると、
この展覧会を一言でいうと、よくもまぁ~これだけ体系的に集めたものだ。ということにつきる。フェルメールだけでなくオランダの写実主義絵画の代表が一同にそろっており、17世紀中頃の短い時間に、同時多発的に開花したリアリズムのそれぞれの捉え方と表現の違いを見ることが出来た。
植物の世界でも、百花繚乱という言葉があるように、劇的な環境変化のときに様々な方向を向いた種が誕生し、環境適応を結果的に競うようだ。そして適応したものが生存することになるようだが、
フェルメールが時間軸を超えて光り輝いていることはいうまでもない。
今度会えるのは何処でだろう・・・・。
様が書きためておいたものには、植物以外にも素晴らしいものがあるのを(特に美術系)少しは知ってたのですが、今回のを機会にまた、お邪魔したいと思います。(植物画の記事は時に関心があります)有難うございました。
勉強・仕事の世界でも同じかもわかりませんが、興味・関心・好奇心がヒトを動かすエンジンなのでしょう。