モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

クロッカスの花 オールキャスト

2008-03-19 08:45:25 | その他のハーブ

チョッと不思議なことに気づいた。

昨年12個、今年10個 クロッカスを植えたが、
芽の出具合、花の咲き具合は、黄色のクロッカスが断然先行している。

1週以上の遅れで、やっと他の色が咲き始めている。

(写真)クロッカス紫

(写真)クロッカス白&紫絞り


陽当たりが悪いところでも黄色が先行しており、環境ではなさそうだ。
クロッカスはアヤメ科サフラン属なので、サフランと親戚。
春咲きの園芸種をクロッカスといい、
サフランは秋咲きであり、染料・香料としてこのめしべは貴重品だ。
黄色の花の先行は、単なる偶然なのだろうか?

花が少ない時期なので、クロッカスを珍重しているが、
よくよく色彩を見ると、日本の空気感にはマッチしないところがある。

光を吸収せずに全てを反射させる感がある肉厚の花弁。
これにのった紫・白などの色は、
まわりと溶け込まずに、隔絶してなまっぽく光っている。

原産地である地中海の乾燥した空気と強い光に合っているのだろうか?
黄色が何故早いのだろうと考えていたら、色合いが気になりだした。

(写真)白のクロッカス
 

クロッカス(Crocus)
・あやめ科サフラン属
・原産地は地中海
・秋植え球根春咲き
・花が先に咲き葉はその後
・同じ属にあるサフランは秋咲き
・花言葉は、「青春の喜び」「信頼」
・水はけが良い、日当たりの良い場所が適地
・花が終わると葉が茂るが、これを切らないで球根に栄養を与えるようにする。
・また花のお礼の肥料を与える。

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サクラとウメ 満開の野田清水公園

2008-03-18 07:59:30 | 街中ウオッチング
(写真) 満開のサクラの木

(写真) サクラの花            サクラの花アップ



東武野田線清水公園駅から、清水公園までは一直線でサクラ並木があった。

今は、ここに、反対運動にもかかわらず無粋な道路をつくっており、

サクラ並木も間引かれ寂しくなっている。


こんな人間世界の愚痴とは関係なく

急に暖かくなったので、遅れていたウメが咲き誇り

そこに、サクラが突如咲き始めた。

昨年のサクラは、全体的に白っぽい感じがしたが

今年のサクラは、淡い赤がかかり見事なくらいのこれぞ桜色となっている。


(写真) 梅の林

(写真) 紅梅(紅千鳥)                白梅
 

ウメの方は、来週ぐらいが一番見どころかと思うが、

全てのウメの木が咲き始めた。

紅といってもよいほどの紅梅(紅千鳥)の見事な色合い。

ウメとサクラが同時に楽しめる野田の清水公園です。

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外人観光客が多い朝の築地市場

2008-03-17 00:18:54 | 街中ウオッチング
店の外はもう朝陽を通り越し暖かく柔らかな陽ざしが満ちていた。

朝まで秋葉原で飲んでしまったが、このまま帰るのはもったいないので、
男二人で、築地市場に行くことにした。
何しろ、すし屋で飲んでいたが、すしを食べていないというのが築地に行くことになった理由だ。

(写真)築地市場商店街


商店街はすでに一仕事が終わり、仕入れた商品なども店に運び込まれ、
運搬のあわただしさがない時間になっていた。

だが、買い物客・観光客が結構いて賑わっており、行列が出来る店もある。

時間をかけて路地裏をチェックして歩き、
情報収集は、お茶からということで、スタンドコーヒーを飲みつつ
場内のすし屋などの話を聞いたが、
この時間でも2時間待ちということなので、断念した。

酒を飲みすぎているせいか、コーヒーの味がせず・・・・・

行列が出来ていた海鮮丼の店に行き、“マグロうに丼”を食したが、
うにはトロ~リと上あごを刺激し、
のどを通り過ぎる瞬間のコクのあるうまみが素晴らしかったが、
マグロは味がなかった。
赤身通として微妙な味がわかると自負していたが、まったくダメだった。
しらふで食したらきっと絶妙なハーモニーでうまかったのであろうが・・・

さらに物色を続け、路地裏を探索したが、
なんと外人観光客の多いこと。
上野アメヤ横丁は東南アジアからの観光客が多いが、
朝の時間帯の築地市場は、欧米系が多いような感じがする。
日本人でも、朝まで飲まなきゃ築地に行かないのに、
意外な観光スポットを垣間見てしまった。
それにしても、写真の女性は美人でした。

ついつい、ラーメンをも食べてしまいました。
飲みすぎと酔っ払いは、
理性というブレーキをはずしてしまうので困ったものです!
我ながらと・・・、反省と自信で眠りにつきました。

(写真)海外からの観光客
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厳しい生存率だった“めだか”

2008-03-16 08:09:30 | メダカ・昆虫

寒暖を繰り返している間に、
庭で飼っているめだかが動き始めた。

(写真)


冬の間は、エサをあげないし、瓶の水を取り替えるなど一切していない。
大分、水も濁ってきており、冬眠から覚めたら掃除をしようと思っていたが、

いいお天気に誘われ、メダカが動き始めた。

3つの瓶の水を何度も取替え、枯れた水草なども整理し、
生き残ったメダカを確認したが、
一つの瓶は、全滅。
この瓶には、イモリがすんでいたので食べられた可能性があるが・・・
(今年メダカで使用するかイモリの子供のチェックが必要)

二つ目の瓶は、ヒメダカ(緋メダカ)専用だが、10匹中で生き残ったのが1匹。
今年で3年目を迎えるのではないだろうか。

三つ目の瓶は、黒メダカ専用の瓶で、昨年の子供を含めて15匹は越冬したが、
生き残ったのは6匹。
このうちの3匹を緋メダカの瓶に入れてあげ、仲間をつくってやった。

それにしても、イモリが新規参入するなど異例なことはあったが、
厳しい結果でした。
特に緋メダカは。

氷が張ったり、真夏にはお湯になったり、野良犬が水を飲んでいたり
こんな庭の瓶でも、生き残る黒メダカは強い。
メダカの寿命1~2年というが、もっと長いような感じがする。

(写真)掃除したメダカの瓶

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古いタイプのクリスマスローズ・オリエンタルスの花

2008-03-14 08:05:59 | その他のハーブ
引き続きクリスマスローズを。



やはり裏庭で咲いていた。
このクリスマスローズは、9年目ぐらいになる。
大きな鉢に植え替えてからより元気になった。

買った頃は、クリスマスローズとしか書かれていず、
改めて親元を調べてみたが、花弁の形などから見て
“オリエンタルス”のハイブリッドであることは間違いなさそうだ。
しかし名前がないと何とも仕様がないですね~。

花弁の地色は、薄いグリーンであったはずだが、
いまは、赤紫の粒々(スポットというそうだが)が濃くなり変化している。
この変化は、肥料の影響なのだろうか?
写真で見ると、こんな色合いのユリがありそうだ。

古いタイプのハイブリッド種なので、大事にしておこう。
流行りはまた戻る。

クリスマスローズ・オリエンタルスのハイブリッド
・キンプゲ科クリスマスローズ属の耐寒性がある多年草。
・学名はヘレボレス(Helleborus)
・原産地は、ヨーロッパ、地中海沿岸、カスピ海沿岸、中国四川省までの北緯40~50度の地域に生育。
・オリエンタルス(h.orientalis)種は、ロシアコーカサス地方・トルコ・黒海沿岸が原産地。
・夏場は半日陰で育てる。
・乾燥気味がよいので、乾いたらたっぷりと水をあげる。

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ときめきの植物学 その37 22歳で消えたポカホンタスの愛

2008-03-13 07:58:50 | ときめきの植物雑学ノート

タバコとポカホンタス
ローリー卿が果たせなかった夢である新大陸の開拓事業を
軌道に乗せることが出来たのは、 “タバコ”と“ポカホンタス”だった。
もっと大胆に言うと、
“タバコ”と“ポカホンタス”がアメリカ合衆国の基礎を創ったと言ってもよい。

“ポカホンタス”はディズニーアニメのキャラクターではなく
実在の人物で、ロンドンに行った際に録った銅版画だけに肖像が残されている

“ポカホンタス”には後ほど登場してもらうとして、
“タバコ”がアメリカ合衆国を作った話からはじめよう。

ローリー卿の失敗
ローリー卿のロアノーク島入植事業は失敗した。
要因はいろいろあるが、いつの世でも変わらないのは、
資金力でどれだけ支えられるかという体力と、
ビジョン・方針を具体的に遂行できる人間とその組織力、
そして運が必要だが、

ローリー卿の個人および少数の仲間での出資という資金力のなさ、
仲間といえば、危険で未知の領域にチャレンジしたのは海賊と若干の専門家で、
食料の自給自足を考えていたのはごく少数だった。
多くはもともとが海賊なので、スペイン同様に黄金の一攫千金を狙っていた。
黄金がなかったことに挫折し、食料もなく、スペインとの戦争で補給ができなかった。
という運もなくロアノーク島への第2次入植者は、全員が消えてしまった。

ヴァージニアのタバコ
1612年ヴァージニアの入植地で、ジョン・ロルフ(John Rolfe:1585-1622)が
西インド諸島から手にいれたN・タバクムの種子で煙草の栽培を開始した。
現地産の煙草はあまり美味しくなかったが、カリブ海の島で栽培されたものと交配して
つくったこの新種が本国で大評判となった。
ここに、新大陸の植民地での経営スタイルが誕生した。

タバコなどの換金作物を大農園で栽培し本国に輸出するということだが、
1618年には、ヘッドライト(人頭権)制という大農地を、
株主(1人100エーカー)、新たに自費で渡航してくる者(1人50エーカー)に支給する制度が実施された。
1エーカーは約4046㎡なので、労働力から見てかなり広い土地を支給した。
1619年にはオランダが西インドから20人の黒人労働者をヴァージニアに運び、
これが、黒人労働者での大プランテーションの契機となる。

広い土地、アフリカからの奴隷、換金作物の栽培という
現在のアメリカ的農業は、タバコから始まり、
これが植民地の経済基盤を作り、人が集まり町となり、そして議会を作るまでになった。
北米最初の議会は、タバコ栽培にめどが見えた1619年に
ジェームズ1世にちなんで名づけられたジェームズタウンで開かれた。

ポカホンタス
ヴァージニア新植民地の成り立ちを“タバコ”で救うことになるジョン・ロルフは、
インディオの酋長の娘ポカホンタス((Pocahontas、1595頃-1617))と結婚した。
ポカホンタスは、ヴァージニア移民白人を友達として扱ったインディオであり、
ロルフとの子供は、アメリカ人第一世代とでもいえる存在だ。

資金不足で困っていたヴァージニア会社は、新たな投資を募るために
ポカホンタス一家を1616年にロンドンに派遣した。
この広告宣伝活動は大成功ではあったが、
ポカホンタスは、ヨーロッパの病原菌に犯され翌年に死亡した。
22歳であった。
ポカホンタスは、アメリカ建国の恩人として慕われている。
真偽は不明だが、
ブッシュ大統領一族のルーツは“ポカホンタス”だと言っているそうだ。
短いなりに歴史にこだわるアメリカ人の、氏素性にこだわる心情が垣間見られる。
だが、レーガン元大統領の夫人ナンシーさんは正真正銘の
“ポカホンタス”の子孫のようだ。

改めて、ディズニーのアニメ『ポカホンタス』を見た。
子供相手のアニメといいながらも、アメリカ合衆国始まりの出来事だけあって、
アメリカ人或いはディズニーにはこだわりがありそうだ。
このアニメを見る限り、ポカホンタスの結婚相手は
入植者隊長のジョン・スミス(1580-1631)と思ってしまう。

“タバコ”“ポカホンタス”が、イギリスの植民地経営を軌道に乗せたといってもいいが
1607年―1622年までにヴァージニア会社が送り込んだ入植者1万人のうち
1622年以降まで生き延びたのは20%にすぎない。
というからニューフロンティアは危険だった。
現代の平和で安全なニューフロンティアはありがたいが、
危険率が低いだけにリターンも低くなるのは当然だろうし
欲をかいてはいけないということだろう。

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ローズマリー・ディープブルーの花

2008-03-12 07:43:24 | ローズマリー&ラベンダー
(写真)ローズマリー・ディープブルー


ローズマリーが花をつけ始めた。
これは、「ディープブルー」というローズマリー。
名前のとおり、深みのあるブルーが美しい。
この美しさは、淡いブルーの地に濃いブルーのスポットが点在するから、
全体の色を鮮やかにしている。

「記憶」に効果がありそうなローズマリーは、
高齢化社会でのお友達だが、
これからの「新しい記憶」は困難だが、昔の「古い記憶」は意外と引っ張り出しやすい。

サイモン&ガーファンクルの『スカボロー・フェア(Scarborough Fair)』
こんな歌詞で始まった。(懐かしいですね~)

Are you going to Scarborough Fair?
Parsley, sage, rosemary and thyme,
Remember me to one who lives there,
For she once was a true love of mine.


この唄に、呪文のように入っていたのが、
“Parsley, sage, rosemary and thyme”
“パセリ、セージ、ローズマリーとタイム”

この原曲は中世末からあったそうで、
パセリ、セージ、ローズマリー、タイムは、
この時代では、薬・香辛料として金銀に匹敵するほどの貴重品の数々であり、
私も大好きな植物だが、
今ではそれぞれ品種が多くなり“コモン”という名が冠されるようになった。

ローズマリーも品種が多くなり、マニアックな商品になってきた。

ローズマリー(Rosmarinus officinalis "Deep Blue")
・シソ科マンネンロウ属の常緑小低木。
・原産地は地中海地方。乾燥したアルカリ性土壌を好む。
・耐寒性は強い、耐暑性もあり。
・草丈は20~60cmの立ち性。
・肉厚で濃い緑色の小さく短い葉。
・開花期は、秋から春と6~7月。冬場の花として貴重。
・濃い青紫の花色は、名前のとおり深いブルー。
・乾燥気味に育て、湿気がない風通しの良いところで育てる。
・花が終わった頃に軽く剪定し形を整える。

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クリスマスローズ・オリエンタルス赤系の花

2008-03-11 08:05:10 | その他のハーブ

(写真)クリスマスローズの花


クリスマスローズ・オリエンタルス赤系の花が咲いていた。

クリスマスローズの花は、葉の下に隠れるように下向きで控えめに咲くので
2~3月が開花期だが、注意してみていないと発見できない。
このクリスマスローズも、2年目で咲いたので、すっかり花が咲くことを失念していた。

薄赤紫の花ビラと思いたいが、これは花を大事に守る“顎(がく)”で、
その中心に小さくあるのが花。
植物の知恵というのだろうか、昆虫類に目立つように誇張した表現形をとっている。

クリスマスローズは、
夏場は半日陰がいいので、日当たりが良いところから撤去し、裏庭にもって行き、
冬場になると、緑が少ないので、前庭に持ってくる。
そのためか、目配りがおろそかになってしまい、関心も低下していた。
こんなところで、花が咲いていたので、急にテンションが上がり、
あと二鉢あるクリスマスローズの面倒を見ようという気になった。
時すでに遅い感もあるが、夏場さえ注意すると意外と丈夫なので、手入れをすることにした。

ヨーロッパでは、花の少ない12月に咲くので、“クリスマスに咲くローズ”と珍重されているが、
20種ある中でのニゲル(h.niger)という白い花が咲く、1つの種だけをそう呼ぶそうだ。
日本でもクリスマスローズの園芸種が増え人気が出てきているが、
いろいろな種がごちゃ混ぜになっているので、呼称の訂正がそろそろ必要かも・・・・

これまで、クリスマスローズには特に関心がなく、春までのつなぎとしか捉えていなかったが、
顎の色、形、文様など様々であり、これらの違いが理解できるようになるとマニアになりそうだ。
その魅力は、違いがわかる固有名詞が重要だろうと思う!
名のないものを識別できないので、その他大勢の中に入ってしまう。
日本クリスマスローズ協会というものがあるそうだが、
是非とも個々の種別の固有名詞化を検討していただきたいものだ。

(地図)クリスマスローズの原産地エリア


クリスマスローズ・オリエンタルスの赤系ハイブリッド(Helleborus)
・キンプゲ科クリスマスローズ属の耐寒性がある多年草。
・学名はヘレボレス(Helleborus)
・原産地は、ヨーロッパ、地中海沿岸、カスピ海沿岸、中国四川省までの北緯40~50度の地域に生育。
・原種は16種だったが、新たな種が発見され20種といわれる。
・夏場は半日陰で育てる。
・乾燥気味がよいので、乾いたらたっぷりと水をあげる。
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『嘉賓(kahin)』のお粥

2008-03-09 07:36:33 | グルメ
飲みすぎてしまい胃の粘膜がおかしい。
脱水症状もあり、水を飲むのだがおいしくないときている。

こんな時は、中華粥にかぎる。
うすい塩味でトロトロの粥。
きざみショウガと万能ネギの刻んだものが薬味としてあり
アワビが深みのあるダシとなり次の一口を楽しませてくれる。

(写真)アワビのお粥


千代田線新御茶ノ水にある広東料理の『嘉賓(kahin)』は、
四谷にある『嘉賓(kahin)』と同じグループで、5店舗あるそうだ。
銀座にも同名の中華料理店があるが、同系列ではないそうだ。
この店も大好きな店だが・・・・・

このグループの名物は、“カキソース和えヤキソバ”と“お粥”。
いずれも、無駄なものを排除した最小・最適ミックスの典型であり
力がなければ出来ない。

“アワビのお粥”で胃の粘膜を調整し、“カキソース和えヤキソバ”でビールを飲む。
そうすると、今日も無理が出来そうだという仕上がり感になれる。
シンプルな食材は、痛んだ胃を直してくれているということに気づき、
困った時の神頼みとして利用している。

(写真)カキソース和えヤキソバ
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その36 ローリー卿とハリオットの夢

2008-03-05 08:28:55 | ときめきの植物雑学ノート

> <不等記号を発明したトマス・ハリオット



オックスフォード大学出身の数学者・天文学者トマス・ハリオット(Thomas Harriot 1560頃-1621)は
鼻に生じたがんにより1621年に死亡した。
彼は、新大陸からタバコを持ち帰り、喫煙は身体に良いと考えてその後ずっとパイプを離さなかった。
喫煙によるがんの犠牲者第1号かもしれないと言われている。
タバコ喫煙の普及を促進した積極的な援護者としても知られる

新大陸開拓者ローリー卿



映画『エリザベス ゴールド・エイジ』に登場するエリザベス女王の愛人
ローリー卿(Walter Raleigh, 1554年-1618年)は、新大陸でのイギリスの
最初の植民地を築いたことで知られる。
後進国イギリスが新大陸に進出するには、海賊行為だけではダメで、
植民地開拓が重要と考えていた。この当時としては先進的な思考の持ち主だ。

トマス・ハリオットとの出会いは、支配下にある海賊達の頭と航海術を高めるために、
天体観測・数学を教育する必要がありオックスフォード大学出身の数学者を採用した。
これが、ハリオットであり、ローリー卿がホワイトホール宮殿で斬首刑になるまで
二人は終世のパートナーであった。
それにしても、何かをなして長生きするということは、至難な業であることは間違いない。
「まったく何もしないよりも、何にも値しないことをするほうがいい」とは、ハリオットの言葉だが、
メモ以外何も残さなかった天才ハリオットだから言えることだろう。

ローリー卿の新大陸植民事業とハリオットの博物誌
ローリー卿は、出資者を集め1585年にアメリカ大陸ロアノーク島入植事業を開始したが、女王からは彼の出港の許可が出ず、
代わりにミッションを持って行ったのが盟友ハリオットだ。

そのミッションとは、処女女王にちなんでヴァージニアと名づけられた
新大陸の住民・植物相・動物相に関して詳細な記録を取り、
新大陸への出資者・入植者を集めるための宣伝パンフレットをつくる目的を持っていった。

ハリオットは、1586年ロアノーク島でキャプテン・ドレイクの船隊に救助され翌年イギリスに帰還し、
1588年の3月に新大陸ヴァージニアを紹介する四つ折のパンフレットを発行した。

簡潔な文章で記述された新大陸の博物誌であり、彼がお気に入りの“タバコ”に関しては

「原住民が他の作物と切り離して栽培する草にアッポウォックと呼ばれるものがある。
これは西インディーズでは栽培地域により呼称がいろいろと異なる。
スペイン人はこれをタバコと称している。」

こんな紹介がされている。

新大陸アメリカの博物学書が誕生した。
これは今日、ぺーバーバックとして廉価で入手することができる。
太陽の黒点の発見者ハリオットは、科学的な観察眼を持った博物学者としても一流であることがわかる。


A Briefe and True Report of the New Found Land of Virginia (Rosenwald Collection Reprint Series) (ペーパーバック)

ロアノーク島の謎
1587年、第二次ロアノーク島入植事業がはじまり、女性や子供を含む107人が再びロアノーク島に上陸した。
イギリスとスペイン「無敵艦隊」との大海戦が始まったため、ロアノーク島への物資補給船の出発が大幅に遅れてしまい、
ようやく1590年に救助隊が到着した時、ロアノーク植民地は文字どおり空っぽになっていた。
インディオ、海賊などに殺された或いは奴隷として拉致されたなどの憶測はあるが、
ローリー卿の入植事業は失敗と終わった。

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