鉄道模型のある生活ブログ

鉄道模型にかぎらす、なんでも書いてしまいます。

ブラタモリ 2 復活版で淀

2024年11月04日 | 雑談

ブラタモリ 昨晩は淀でした。

淀は隣町、 競馬場で有名です。

ブラタモリも競馬場から始まりました。

競馬場です。 でもね、家から一駅のところなんですけれど、私は競馬を見たことがありません。 テレビではしょっちゅう見ているのですが、馬が走っているのを見るのが気持ちが良いからです。 でも馬の名前は知りません。武豊とかルメールとか有名どころの騎手の名前しか知りません。

この写真は、ここの駐車場でサーカスがあった時に観客がいないスタンドに行って撮った写真です。 ですからここで馬が走っているのは見たことがない。

パドックで子供を馬に乗せてくれます。 孫を乗せました。 怖がらずに上手に乗っています。

 

さて、ブラタモリでは馬が走るコースの下に地下道があって歩いていました。 知りませんでした。 コースの下に車も通れる地下道があるんだ。 そして、コースの端が少し高くなっている事からこの辺りの歴史がわかると、女性の先生が説明していましたが、かなり無理がある様な気がしたんですけれど。

 

次は淀城

その先生の説明では、湿地帯にできた水城で徳川家康が西から東に攻めてくる軍に備えるために作ったとか。

うーん、私の記憶では、秀吉が茶々の出産のために作った城で、茶々がそこに住んでいたので、淀君と呼ばれていたと思うんだけれど、多分それ以前から砦的なものはあったんだろうけれど。 まあ、私の推測でしかありませんが

 

実は、私、小学校に上がる前後、しばらく淀に住んでいたのであります。

淀城は石垣が残っています。

 

淀城の中です。 この道を通って小学校に通っていました。

 

タモリさんたちはこの先の石垣の上に上がっていました。 数年前まで上がれたのですけれど今は柵がしてあって上がれません。

 

石垣の上がれば京阪電車を撮影するのに良い場所なんですけれど。

 

大昔の写真が出てきました。 この石垣の上から京阪電車を撮影しています。

1800系の特急がきました。 

 

2000系スーパーカーです。 もちろんこの頃は高架ではなく下を走っています。

この下の堀は蓮の花で有名でした。

 

淀の駅もこんな形でした。 三角屋根のおしゃれでした。 これを撮影したのは数年前で、取り壊されるのが分かっていたのでわざわざ撮影しに行ったのでした。 今は競馬場がお金を出して、競馬場に直行できる高架駅になりました。 でも、競馬客は良いでしょうが淀の住民は駅が遠くなって不便になったと思います。

 

実は淀に宿があったなんて初めて聞きました。 女の先生の話に疑問を持っていたのですが

お城の中の神社の説明に、テレビで見た地図と同じものがありました。 江戸時代にはこういう形で整備されていたんですね。 で、徳川の城のはずなんですが、幕末の鳥羽・伏見の戦いで敗れた徳川の兵が逃げ込もうとしたら、城主が入城を拒んで、城に入れささなかったとか聞いたことがあります。

(この地図にも疑問を持っています。 当時とは地形が大きく変わっているのはわかりますが、桂川、宇治川、木津川との位置関係があまりにも現在と違いすぎる)

 

でもって、淀城の堀の中に、豊臣だったか徳川だったか忘れたけれど、軍資金が投げ込まれているとずっと言われていました。 そして3〜40年ほど前に、重機を使って堀の中を探していました。1年ぐらいやっていたかな? でも軍資金は出てこなかった様です。

 

ブラタモリ、最後は石清水八幡宮でした。

以前のブラタモリでもやっていたので、タモリさんここはかなり詳しいはずで黄金の雨樋など知っていたはずです。

 

タモリさんはここから、京都タワーを見ていました。 淀の競馬場と、伏見の桃山城を示します。

私の場合は京阪電車を撮るのに都合が良い場所ではありますが、高速道路の高架ができて電車が見にくくなりました。

 

ブラタモリ今夜は枚方です。 ひらかたと読みます。 HNモジュールの運転会を行う場所だし、先週も行ったし、明日も友人と枚方市駅で会う約束をしています。

 

PS : 淀はネタが少なくて苦労したじゃないでしょうか? 宿場の跡が残っていないので・・・

 

 

 

 

 

コメント (2)
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