天津ドーナツ

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子牛→孔子とドーナツ

2011-07-02 18:46:23 | 顧問・アドバイザーから
めきしこさんという方のブログからの転載です。

URLは、http://homepage2.nifty.com/GAKUS/storehouse/hetareron/kousi.html

(転載ここから)

最初に前置きを。・・・そう、今回のスポットは古代中国の偉人・儒教の祖、孔子です。・・・決して、ダジャレではありません。ま、まさか、牛が主人公の中国まんがを描こうと思って、挫折なんかしていません。でも、いつか描写して見たかったもの。というか、孔子とめきしこはちょっぴり似ていたりします。そして、断言してもいいです。孔子はリッパなヘタレです。そして、この悠久なる大陸をヘタレさまよい、こよなくヘタレを愛し、ヘタレ死んだのです。尚、描写は史実に基づきながらも、めきしこ流にヘタレナイズされていますのでご了承ください。

■ ある日の古代中国

そう、仔牛は弟子たちと一緒にヘタレさまよっていました。何しろ世は戦乱の真っ只中、「人を優しくいたわりましょう」などとノンビリしたことを言っている間に、財産は愚か、命まで奪われてしまうような時代なのです。でも、仔牛は言いつづけたのです。「みんながみんなを思いやり、いたわりあって、幸せな世界にしよう!」・・・みんなはバカだと思いました。でも、仔牛とその弟子たちは、ただのバカではありませんでした。何だかヨレヨレでヘタレさまよっているくせに、気品高くいつも楽しげで、理想に燃えています。時には賢い人に招かれて知恵を授けたり、気持ちの正直な人たちからゴハンを恵んでもらったり、そうして中華大陸をあっちいったりこっちいったり。そんな仔牛が晩年、弟子たちと過ごしたある日の午後のことでした・・・。


仔牛「ああ、今日はいい天気だなァ・・・そうだ!みんな、空の下で問答でもしようっか!」
一番弟子・元ヤクザの子路がはしゃぎます。
「イヤッホー!!いいっスねー!アッシは大賛成ですぜ!オ・ヤ・ビ・ン!!」
さっそく一同は、五月の爽やかな風の中で、仔牛の問いをドキドキして待つのでした。
「もし、みんながどっかの国の政治ができるなら、まず何をしたい?」
と、仔牛がワクワクした目で訊ねます。さっそくお調子者の子路がしゃしゃり出て、
「もし、アッシに滅亡寸前の国を任せられたら、三年で間違いなく国民は勇気をもち、軍隊は強くなり、みんなが立派に生活していけるようになれるぞ!」
普段はにこやかな冉有も負けじと頑張ります。
「私だって、三年もあれば衣食をとても豊かにすることができます。そして、散々になった王家を立て直して、リッパな政治をします!」
秀才の公西華も冉有に負けじと胸を張って答えます。
「わたしはリッパな政治を行う為に、公正で有能な人間をじゃんじゃん登用します!」
それぞれ皆が、自分の抱負や意見を述べ合う中で、楽しそうに聞き入る仔牛。
「さぁ、次で最後だね。曾點は何がしたい?」仔牛が訊ねます。すると曾點は、
「私はみんなのように立派な意見はないんだけど・・・」と、少しはにかみながら
「私は春の日、友達をたくさん誘って美しい川のほとりに行きたい!そして水遊びをしたりお弁当を食べたりした後、雨乞いの舞台で楽しい歌を唄いたい!そして、帰り道に唄い残りの歌を輪唱しながら、楽しく帰って来たいっ!」
と、楽しげに語った瞬間!
「ベリィグーッ!いいなー!いいなー!わしもそれにチョー大賛成ーっ!」と、仔牛は大喜び。
そして、仔牛は続けます。
「子路も冉有も公西華も他のみんなもそれぞれにリッパ!そして抱負を持つことはスバラシイ!でも、わしは曾點の意見が一番好きだ!曾點の意見はみんなほどにリッパではないけど、わしは大賛成だ!今すぐやってみたい!楽しいのダ、きっと!国全体が明るく楽しく、賑やかになって、そしてみんながきっときっとハッピーになれる!」
仔牛の言葉を聞いた弟子たち。・・・そして、みんなの心に五月の楽しげな春の風が吹き抜けるのでした。

(転載ここまで)

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この方の子牛論(孔子論)は、すべて読みましたが、映画の『孔子』、日本語の『論語物語』などともちょっと違う、なんだかとっても親しみやすい、それでいてやっぱりすごい人だなと思える孔子像が描かれていました。

興味がある人は、ぜひ読んでみてください。



「現代は孔子の時代と違う」という人もいるかもしれませんが、

私はあまり変わらないのではと思います。



それは、冒頭にある



「何しろ世は戦乱の真っ只中、「人を優しくいたわりましょう」などとノンビリしたことを言っている間に、財産は愚か、命まで奪われてしまうような時代なのです。」



という部分からも分かります。



NHKの特別番組でも、

「日本の老舗企業は外国資本の敵対的買収を防がなければ、伝統がつぶされてしまう」という

イギリスの研究者の声が紹介されていました。

外国資本は、その会社の技術や伝統を守るためではなく、短期間に利益を上げることを目的に買収します。

文化的に価値がある技術や製品でも、金儲けのために「合理化」をせまられてしまうのです。



日本の元金融企画庁長官の方とお会いしたとき、

「世界金融危機は、アメリカのお金で頭がいっぱいになった人間が引き起こしたという側面を否定できない」とおっしゃっていました。



私の勤める大学は「天津財経大学」で、金融を勉強している学生も少なくありません。

そして、コンピューター上でお金を操作することに興味を持ち、新聞の経済関連ニュースを読み漁っている

学生もいます。



しかし、例えば、どうして野菜の値段がこんなに高いのに、農民は貧しいのか、ということを考える授業はありません。あるのは、どうしたら自分がお金持ちの側にまわれるのか、ということだけです。



経済的に不安定だと、気持ちも不安定になるのは、事実です。

給料日に繁華街や高級デパートで買い物をしたり、豪華な食事をしたりするのは、楽しいことです。

でも、人生の楽しみが「お金を使うこと」だけだとしたら、それは、立派な「お金の奴隷」ではないでしょうか。



夏休みに、ドーナツの学生リーダーの研修をしますが、

これこそが私がドーナツでやりたかったことであり、

(畏れ多いのですが)孔子が弟子達と繰り返した問答と行動の真似事です。



1年目、2年目のリーダー達にはできなかった長期休暇中の研修が、

3年目にしてようやく実現できる、そう思ったら、なんだか嬉しくなってきました。



孔子もたぶん、お金がいくら手に入るかよりも、弟子達と話ができるのが楽しかったのではないでしょうか。

そして、「楽しいのダ、きっと!国全体が明るく楽しく、賑やかになって、そしてみんながきっときっとハッピーになれる!」とあるように、みんながハッピーになることが私にとって幸せなこと、そう考えていたのではないでしょうか。