天津市視覚障害者日本語訓練学校に行ったときのことです。
授業の感想を求められて、
「目が見えないというのは、大変なハンディだと思うのですが、
世の中には、体のどこかが動かない人も、心にハンディを抱えている人もいます」
と話したところ、
青木先生が、
「そうです。目が見えないというのは小さなことです」
とおっしゃいました。
先生ご自身、6歳のときに光を失い(目が見えなくなったという意味です)、
アジアの視覚障害者のために何ができるのかを考え、日本そして中国に
視覚障害者の学校を作っています。
特に中国の日本語学校は、中国でも唯一の視覚障害者日本語訓練学校で、
日本政府からも中国政府からも表彰されています。
そして、なんと、あの宋祖英さんに表彰状を手渡され、
「茉莉花」を歌ってもらったのです。(いいな~)
また、私が見学したときに、生徒の中に「千手観音」のチームで琵琶を弾いている
人もいました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
目が見えない、耳が聞こえない、手や足が動かない、
貧しい家庭で育った、(河南省のように)大学合格ラインが他県より高い、
面倒を見なければいけない人がいる、他人と交流できない、
などのハンディを持っている人は、すくなくありません。
ある人は、生まれたその場所が悪かったとしかいいようのない
ハンディを抱えています。
「不幸など存在しない、不幸だという解釈が存在するだけだ」という人もいますが、
それでも、やはり不幸だとしか言いようのない状態はあると思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その上で、
目が見えない人が、「こんなことは小さいことだ」と言えるのであれば、
私たちのような大学で生活をしている健常者には、どんな大きなハンディがあるのでしょうか。
「先生、宿題が多くて…」
「能力試験の単語が覚えられなくて…」
視覚障害者でも能力試験のN2、N1に合格していますし、
中には150点以上の学生もいます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
大学の教室を回ってみると、その理由がよくわかります。
空き時間に教室にいる学生は少なくないのですが、
勉強をしているのではなく、「教室にいるだけ」なのです。
教室に座っていればご飯が食べられる、寝るところもある、
それなのに、何で勉強しなければいけないのか、
そう考えるようになっても無理はありません。
何しろ、「小皇帝」として育てられた学生が大部分なのですから。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「こんな甘ったるい現場は、一日でも早く離れたい」
そう思ったことは、数え切れないぐらいあります。
そのほうがどれだけ楽か、分かりません。
でも、今の自分が持っている環境や条件で、最大の努力をしない人が、
別の場所にいっていい結果が出せるとは思えません。
だから、私はこれからも大学日本語科の中で、日本語科の改善に取り組みます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
障害者のことを「チャレンジド」と呼ぶそうです。
「障害ではなく挑戦する人」という意味ですね。
大学日本語科にも私自身にも、少なくない障害がありますが、
障害ではなく「チャレンジ」だと思えばいいのではないでしょうか。
大学生のみなさんも、「自分の生活は苦しい」と考えるのではなく、
「チャレンジがいっぱい用意されている生活だ」と考えてみたらどうでしょうか。
授業の感想を求められて、
「目が見えないというのは、大変なハンディだと思うのですが、
世の中には、体のどこかが動かない人も、心にハンディを抱えている人もいます」
と話したところ、
青木先生が、
「そうです。目が見えないというのは小さなことです」
とおっしゃいました。
先生ご自身、6歳のときに光を失い(目が見えなくなったという意味です)、
アジアの視覚障害者のために何ができるのかを考え、日本そして中国に
視覚障害者の学校を作っています。
特に中国の日本語学校は、中国でも唯一の視覚障害者日本語訓練学校で、
日本政府からも中国政府からも表彰されています。
そして、なんと、あの宋祖英さんに表彰状を手渡され、
「茉莉花」を歌ってもらったのです。(いいな~)
また、私が見学したときに、生徒の中に「千手観音」のチームで琵琶を弾いている
人もいました。
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目が見えない、耳が聞こえない、手や足が動かない、
貧しい家庭で育った、(河南省のように)大学合格ラインが他県より高い、
面倒を見なければいけない人がいる、他人と交流できない、
などのハンディを持っている人は、すくなくありません。
ある人は、生まれたその場所が悪かったとしかいいようのない
ハンディを抱えています。
「不幸など存在しない、不幸だという解釈が存在するだけだ」という人もいますが、
それでも、やはり不幸だとしか言いようのない状態はあると思います。
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その上で、
目が見えない人が、「こんなことは小さいことだ」と言えるのであれば、
私たちのような大学で生活をしている健常者には、どんな大きなハンディがあるのでしょうか。
「先生、宿題が多くて…」
「能力試験の単語が覚えられなくて…」
視覚障害者でも能力試験のN2、N1に合格していますし、
中には150点以上の学生もいます。
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大学の教室を回ってみると、その理由がよくわかります。
空き時間に教室にいる学生は少なくないのですが、
勉強をしているのではなく、「教室にいるだけ」なのです。
教室に座っていればご飯が食べられる、寝るところもある、
それなのに、何で勉強しなければいけないのか、
そう考えるようになっても無理はありません。
何しろ、「小皇帝」として育てられた学生が大部分なのですから。
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「こんな甘ったるい現場は、一日でも早く離れたい」
そう思ったことは、数え切れないぐらいあります。
そのほうがどれだけ楽か、分かりません。
でも、今の自分が持っている環境や条件で、最大の努力をしない人が、
別の場所にいっていい結果が出せるとは思えません。
だから、私はこれからも大学日本語科の中で、日本語科の改善に取り組みます。
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障害者のことを「チャレンジド」と呼ぶそうです。
「障害ではなく挑戦する人」という意味ですね。
大学日本語科にも私自身にも、少なくない障害がありますが、
障害ではなく「チャレンジ」だと思えばいいのではないでしょうか。
大学生のみなさんも、「自分の生活は苦しい」と考えるのではなく、
「チャレンジがいっぱい用意されている生活だ」と考えてみたらどうでしょうか。