少々昔の話になります。
年配の方ならご存じ、声優の徳川無声さんを知る人が少なくなりました。
私の少年時代には、無声翁が独特な節回しで語る「宮本武蔵」が始まると、ラジオにしがみつくようにして、耳を傾けたものでした。
その無声翁が、生涯に只一冊、「話術」という著書を書いています。
この本を読みますと、「話術は“間術”なり」とか、「間(マ)とは、動きて破れざるバランスなり」・・・など、名人といわれた無声翁の、“ことば”に関する数々の名言を見ることができます。
この著書の発行は、昭和24年。かなり古い本ですが、名著として評判でしたから、今でも図書館で読むことが出来ると思います。
その中に、こんな一節があります。
ーーー雄弁術の神さまデモステネス(紀元前三百年ごろのギリシャ人)が、或る時、彼の雷名を慕って遙々訪ねて来た人から、
「先生! どうか雄弁術の秘訣を教えて下さい。」
と云われて、次のように答えた。
「折角のお出でだから、虎の巻をお教えしましょう。雄弁術の大家になるには、何よりもまず、自分の態度に注意することが肝要です。」
「なるほど。その次には何が肝要でありましょうか?」
「態度に注意することです。」
「いや分りましたが、その次は何が?」
「態度に注意することです。」
(中略)
これも、或は後世のツクリ話かなと思われるが、然し、立派に真理を含んでいる話だ。 とかく世人は、雄弁と云うと、ただお喋りが上手ならよろしい、と考え勝ちである。
それをデモステネスは、根本的の戒めとしているのだ。(白楊社)ーーー
ここで無声翁の云う“態度”とは、英語で言えばアティチュードでしょうか、対話へ参加する姿勢を言っているのですね。
「肝要なのは態度だ。いや態度に尽きる」というデモステネスの“ことば”は、無声翁にしても、同じ思いだったのでしょう。
「釣はフナに始り、フナに終る」という“ことば”もありますが、講演やインタビューならずとも、対話に参加するベーシックな姿勢として「対話は態度に始り、態度に終る」それくらい大切な要素なのだ、と言いたかったのでしょう。
要するに、“肉声の対話”は、その中身であるメッセージそのものよりも、メッセージを届けようという態度・姿勢・想い・・・と言った人間の表情・物腰に至るまでの総和が大切なのであるということではないでしょうかね。
こうしたメッセージを包むエネルギーが、+にせよ−にせよ、対話する人間と人間の間にあることが、話す・伝えるーーー聴く・受け取るというメッセージ交換の主役なのだ。そうかんがえるべきだと、私も思うのです。
「阿吽の呼吸」もそうですし、「つーかーの仲」だってそうでしょう。
コレが、マイナスに働けば、「木で鼻をくくる」「他人事のような答弁」・・・と、昨今の国会での“目を覆いたくなるような無惨なコミュニケーション劇”を見るにつけ、憤りを通り越して、悲しくなるのは私ばかりでしょうか。
無声やデモステネスが生きていたら、なんと言うでしょうかね。
このブログでも、折に触れて、こうした問題を取り上げてゆきましょう。
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