天津ドーナツ

みんなで力を合わせて、天津の日本語教育を楽しく、元気にしましょう。ご意見・ご要望は左下の「メッセージ」からどうぞ。

「心連心」…日本と中国の若者が集う文化交流サイト

2011-07-12 03:44:04 | 日本語学習法
ホームページのアドレスは、

http://www.chinacenter.jp/index.php

です。



その中に、シチュエーション別の日本語会話のビデオがあります。

http://www.chinacenter.jp/japanese/school/school1/index.htm



東京外国語大学の先生と学生たちが演じています。

演技力についてはちょっと…という気がしないでもありませんが、

「どうしてこの言葉を使うのだろう」

「どうして、少し間が空いたのだろう」

というようなことを考えていくと、他の場面でも応用が利くようになると思います。

日本語、そして日本人を理解したい人へ その3…もとNHKアナウンサー塚越恒爾さんのブログから

2011-07-10 20:47:46 | ドーナツの宝
咲弥華さんと川端さんからコメントを頂きました。咲弥華さんの要旨です。
 「“求同存異”素晴らしい言葉ですね。異を切り捨てては議論にならないが、それに振り回されていては大同を忘れ、目的を達成できない。なるほど
 今世界各国でも、人間は同じように感情的になって「求同存異」できなくなり、戦争が終わらないでいる気がします。日本人は特に感情的になりやすく、議論下手なことは否めません。武士の時代の「恥」や「地位」みたいなものが、切腹するまで追い込まれるような尊いものだった時代の何かを引きずっているのかもしれないなとも思いました。。。
 私も、議論が苦手です。これまで、様々なケースで、目的を達成するために意見を述べても、攻撃されたと勘違いされたり、自分の側の利益ばかりを言い立てて、力関係でねじふせられたりすることが多かったからです。
 私自身も、反対意見に出会うと、自分が責められているように感じることがありますし、慣れていないというか、戦う場のようで悲しいです。良い方法を身につけていきたいです」

 天津の川端さんのコメント要旨です。
 「どうして日本では「満場一致」「一致団結」のように、異なる意見・価値観を排除することでしかまとまることができないのだろうか。
 「ムラ八分」から「学校の制服・髪型」まで連綿と続く(と私は考えております)排除の風習はどんな合理的理由があるのでしょうか。
「物言えば、唇寒し…」という句を、松尾芭蕉でさえ詠んだのは、少なくとも数百年の異質なものを排除する歴史が日本にはあるということでしょうか」
 
 お二人のご意見、よく分かりますね。古い封建制度の歴史を、我らは、未だに引きずっているのでしょうかね。
 ただ、松尾芭蕉の「物言えば、くちびる寒し、秋の風」という句は、定説では「人の悪口を言ったあとは、空しい気持ちになる」ということのようですから、「異質を排除する」ということではないでしょう。
 しかし、何せ武家社会という極めつけの封建制度の下では、表現の自由などある筈もなく、全く無縁だとも言い切れませんね。こうした、お二人のご意見をも含めながら、私なりに問題点を洗って見ます。
 
 私はね、むしろ、明治百年、西欧に追いつき追い越せと焦って走り続けた時代の、マイナス面に注目したいのです。 
 「議論」「討論」あるいは「スピーチ」というような、開かれた場でのコミュニケーションは、文明開化の時代になって初めて日本人が体験したものでして、それまでの日本には、お坊様の辻説法くらいしか、存在しなかったのでしょうね。
 
 こんな話があります。
 明治の思想家・福沢諭吉が、英国議会の模様を視察した折り、そこで行われているスピーチや質疑応答の議事進行の有様を見て、腰を抜かすほど驚いた。「学問のすすめ」で諭吉は、こう書いています。
 「演舌とは英語にて『スピイチ』と云い、大勢の人を会して説を述べ、席上にて我思う所を人に伝るの法なり。我が国には古くよりその法あるを聞かず・・・(中略)・・・今世間にて議院などの説あれども、第一に説を述るの法あらざれば、議院もその用を為さざるべし」(演舌の法を勧るの説より)
 そして、明治八年、彼は慶應義塾に演説館をつくり、彼は、隅田川に舟を浮かべて「満場の紳士淑女諸君!・・・」と大音声を発してスピイチの練習をしたといいます。その後、彼は演舌の「舌」は品がないので「説」に変えたという逸話も有名です。
 
 そもそも「スピーチ」とは、「スピーク・話す」の名詞なのですが、ここでは、特別な話法として捉えられていますね。
 碩学の福沢先生ですら、公開の場で意見を述べることは、「話す」というイメージには結びつかなかったのでしょう。
 「音吐朗々」「流れるが如き名調子」「大向こうを唸らせる格調高き・・・」「舌鋒鋭く、満場は水を打ったるごとく」・・・こんな形容詞がふさわしい“読み上げ”を“演舌”としたようでして、ここから日本のスピーチは、一種独特の形を作り上げて行きました。  
  
 さらに、追い打ちを掛けたのが「討論」の二文字です。
 まるで、敵討ちでもするかのような、敵を論破せずんば・・・と言った“闘い”のイメージを、しっかりと植え付けてくれました。この日本独特のイメージは、現在でもはっきりと、我が国会議員たちに受け継がれています。いや、国会議員ばかりではありません。
 新聞を初め、多くのマスコミですら、国会に対して「堂々の論争をせよ」「もっと気迫の籠もった論戦を挑め」などと、けしかけているのですから、ほとんどの日本人が、この間違ったイメージを抱いていると言ってもよいでしょう。
 思うに、この問題は「討」という漢字のイメージが災いして、大きな錯覚を生み出したのだと、私は睨んでいるね。
 「討」とは「ゴンベンに寸・ハカル」と書き、本来“言葉で、探す”という意味なんだな。
 このことは、インドの初代首相ネルー氏が、獄中書簡の中で、娘のインディラさんに、こう言い切っている。
 「人間は、話し合うということによってのみ、真理の糸口を探すことが出来る。話し合うことだ」
 さすがに、マハトマ・ガンジーの教えが生きている名言だと思うね。私にとって、この“ことば”は、終生忘れることはない。
 
 人間と人間が、お互いの智恵を出し合い、話し合うことで、何らかの“果実”を得ようとする創造的な行動が“討論”なのさ。「勝つか負ける」かなどという、愚者の論争とは、まるで異質なものだ。
 インタビューとか、討論とか、人間の対話は全てそうなのさ。“ことば”と“ことば”の出会いだ。新しい“ことば”に出会って、その瞬間にひらめいたり、分かり合ったりする。“ことば”が出会うときのエネルギーが創造なんだ。
  
 以前、慶応大学で教鞭を取っておられた池田弥三郎先生と語り合ったことを思い出す。
 「あなた方がやっている“テレビで本音の討論”って、いいね。聞いていてハラハラするけど・・・でもね、塚越さんも、少々せっかちなとこがあるんじゃないかな。
 だってほら、人前で物事を話し合うなんてこと、日本人が始めたのは、つい最近のことじゃあないですか。それに諭吉さんのころは、標準語すらまだ出来でいなかった。だから諭吉先生も、人間に向かってじゃあなく、川風に向かって叫んでいたんだよ・・・」
 「でも、明治百年、書き言葉はそれなりに進化しているのに、話し言葉は置いてきぼりでしょう。文明開化の時代から進化するどころか、どんどん悪くなっていく心配すらありますからね」
 「まあ、言葉が成熟するには、それなりの時間がかかるもんですよ」
 「でも、学校じゃ、表現力どころか発音すら教えないし、テレビはけたたましくなるばかり、政治家はののしりあい、官僚はウダウダと奇っ怪な答弁に終始する・・・」
 「だからと言ってさ、あせったって、どうなるもんでもないでしょう・・・」
 「でもね先生、NHKでも私らは、一握りの少数派でしてね。大抵のインタビューとか討論番組は、打ち合わせ通りに進行する、形ばかりのものが主流なんですよ。一方で民放さんが近頃始めた討論番組もねえ、やたらに人数を集めて。朝までだらだらガヤガヤの放言集会に堕していますしね・・・」
 「ま、ま、愚痴を言いたい気持ちは分かるけどさ、百年河清を待つ心で・・・あっそうか、もう百年なんだ・・・でもさ、やっぱり待つしかないでしょ。あせんなさんな・・・」
 「そうですね。あせったって、なんにも生まれりゃしませんからねえ・・・」
 「でもさ、あんたたちみたいに、“テレビで本音の討論を”なんて言う人が出てきたじゃない、捨てたもんじゃないさ、日本だって・・・」
 「はあ・・・」
 
 そして、今はもう相談する人さえ、いなくなりました。
 ああ・・・また、長くなっちまった。ごめん!
 


第1回ドーナツ杯天津市PKスピーチコンテスト実施要綱

2011-07-08 14:24:18 | イベント・コンテストの予定
1.日時:2011年11月6日(土)14:00―18:00(予定)
2.場所:未定
3.出場資格:大学日本語科の学生(日本に留学や滞在した経験のある人も参加できます)
4.出場人数:各大学1名まで
1年生から3年生までの合計が120人以上の大学および会場校は2名まで出場可能
1年生から3年生までの合計が200人以上の大学および会場校は3名まで出場可能
5.テーマ 1回戦:ショウアンドテル(show and tell)大切なものを日本語で紹介します。
例:お母さんにもらったネックレス、彼女の手編みのマフラーなど。
PPTで写す大きな写真も用意してください。
      2回戦:自分で決めたテーマ
準決勝・決勝:当日の抽選で決まります。
6.制限時間:1・2回戦:1分30秒以上2分以内
準決勝:2分以内
決勝:2分30秒以上3分以内
7.採点基準:日本語(発音・文法・流暢さなど)
       内容・表現(心に訴えるものがあるか・表現力など)
       制限時間:合図後、速やかに終了すること。
8.大会のルール
 (1)進行
  1回戦:出場者すべてがスピーチをし、上位8名が2回戦に進みます。
  2回戦:8名がスピーチをし、上位4人が準決勝に進みます。
  準決勝:4人がスピーチをし、上位2人が決勝に進みます。
  決勝:2人がスピーチをし、優勝者を決定します。
 (2)応援
  ①2回戦以降に進んだ場合、チームで準備に取り組むことができます。
  ②準決勝に進んだ場合、出場者をチームで紹介します。
(3)順位決定方式
①1回戦から準決勝まで:審査員の採点で決定
②決勝:観客および審査員の投票
(4)その他、準決勝に進んだ4人は1分ぐらいの日本語の出し物を用意してください。
例:歌、ダンス、寸劇、朗読など。
9.表彰:優勝(1人)準優勝(1人)3位(2人)4位(4人)優秀賞(9位以下)
10.申し込み先:各大学のドーナツ責任者まで申し込んでください。      
11.申し込み締め切り:9月30日(金)までに各大学の代表を予選で決め、申し込んでください。
12.原稿提出締め切り:2011年10月14日(金)
※1回戦用の原稿を問い合わせ先にメールで送ってください。    
13.選手の特訓:内容―今回のコンテストで求められるスピーチ、発音・発声・表現の基礎
場所―未定(市内の大学を予定)
日程:10月1日・2日・3日  9:00~17:00            
14.問い合わせ先:天津財経大学 川端敦志 kawa4215@hotmail.com 15822536910
天津商業大学  韓悦  977723705@qq.com 15122638351

目が見えないって小さいこと?

2011-07-07 16:50:03 | 顧問・アドバイザーから
天津市視覚障害者日本語訓練学校に行ったときのことです。



授業の感想を求められて、

「目が見えないというのは、大変なハンディだと思うのですが、

世の中には、体のどこかが動かない人も、心にハンディを抱えている人もいます」

と話したところ、



青木先生が、

「そうです。目が見えないというのは小さなことです」

とおっしゃいました。



先生ご自身、6歳のときに光を失い(目が見えなくなったという意味です)、

アジアの視覚障害者のために何ができるのかを考え、日本そして中国に

視覚障害者の学校を作っています。



特に中国の日本語学校は、中国でも唯一の視覚障害者日本語訓練学校で、

日本政府からも中国政府からも表彰されています。



そして、なんと、あの宋祖英さんに表彰状を手渡され、

「茉莉花」を歌ってもらったのです。(いいな~)



また、私が見学したときに、生徒の中に「千手観音」のチームで琵琶を弾いている

人もいました。

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目が見えない、耳が聞こえない、手や足が動かない、

貧しい家庭で育った、(河南省のように)大学合格ラインが他県より高い、

面倒を見なければいけない人がいる、他人と交流できない、



などのハンディを持っている人は、すくなくありません。

ある人は、生まれたその場所が悪かったとしかいいようのない

ハンディを抱えています。



「不幸など存在しない、不幸だという解釈が存在するだけだ」という人もいますが、

それでも、やはり不幸だとしか言いようのない状態はあると思います。

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その上で、

目が見えない人が、「こんなことは小さいことだ」と言えるのであれば、

私たちのような大学で生活をしている健常者には、どんな大きなハンディがあるのでしょうか。



「先生、宿題が多くて…」

「能力試験の単語が覚えられなくて…」



視覚障害者でも能力試験のN2、N1に合格していますし、

中には150点以上の学生もいます。

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大学の教室を回ってみると、その理由がよくわかります。

空き時間に教室にいる学生は少なくないのですが、

勉強をしているのではなく、「教室にいるだけ」なのです。



教室に座っていればご飯が食べられる、寝るところもある、

それなのに、何で勉強しなければいけないのか、

そう考えるようになっても無理はありません。

何しろ、「小皇帝」として育てられた学生が大部分なのですから。

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「こんな甘ったるい現場は、一日でも早く離れたい」

そう思ったことは、数え切れないぐらいあります。

そのほうがどれだけ楽か、分かりません。



でも、今の自分が持っている環境や条件で、最大の努力をしない人が、

別の場所にいっていい結果が出せるとは思えません。

だから、私はこれからも大学日本語科の中で、日本語科の改善に取り組みます。

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障害者のことを「チャレンジド」と呼ぶそうです。

「障害ではなく挑戦する人」という意味ですね。



大学日本語科にも私自身にも、少なくない障害がありますが、

障害ではなく「チャレンジ」だと思えばいいのではないでしょうか。

大学生のみなさんも、「自分の生活は苦しい」と考えるのではなく、

「チャレンジがいっぱい用意されている生活だ」と考えてみたらどうでしょうか。

夏休みリーダー研修 会長編  研修内容の確認

2011-07-06 15:30:57 | ドーナツの宝
リーダー研修 会長編も、今日で終わりです。

1.2日間の研修のまとめ
2.今後のスケジュールとその目的の確認
3.来年度のドーナツが力を注ぐ2つの活動のうち、
もう一つの活動の実施要綱・スケジュールを整理

の3つのメニューです。


1については、
「ドーナツの目的と達成のための手段」
「ドーナツが選択し、集中する活動とその理由」
「各大学のメンバーがやる気になる仕事の与え方」

の3つを確認しました。

特に、
「上司の期待・要求が明確でない場合、
部下は上司の期待には答えられず、両者の関係が悪くなっていく」ということを、
繰り返し確認しました。

例えば、
「新しいカラオケ大会をやってください」ではなく、
「日本語・中国語・英語・韓国語が揃うような、
今までの日本語カラオケ大会の概念を変えるような
コンテストをしてください」というように、です。



2については、
「視野を広げる・外に出る」ことが、
今の大学生には必要であること、それにはどのような方法が
ありえるのかを確認しました。

しかし、それらのすべての方法を実施するわけにはいきません。

それで、3について確認しました。
「100の力を持っていても、10箇所に分散したら
それぞれの場所では10でしかない。
それでは、11の力を持った人にも負けてしまう。
ドーナツの力を2つのコンテストに集中しよう」ということです。

その2つの活動については、7月中にこのブログで発表する予定です。

その内の一つは、昨日の段階で実施要綱・スケジュールまでつめましたので、
今日は、残りの一つの実施要綱を完成させました。

そして、その活動を成功させるために必要な仕事・連絡先などの
確認に入ったのですが、私が何も言わなくても必要な仕事について、
会長は書き出すことが出来るようになっていました。

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中華杯のスピーチコンテストで知り合ったある日本人の先生は、
「学生に欠けているのは、学んだ知識を運営に生かすことだ」
とおっしゃっていました。


何かを運営するためには、
「状況を把握する力」「判断する力」「人間関係を形成する力」「実行する力」
「継続する力」「柔軟性」など、本当に多くの力を必要とします。

それに対して、ペーパーテストだけに取り組めばいいのだとしたら、
ごく一部の能力だけを鍛えればいいということになります。


私は、それはもったいないと思って、ドーナツをやっています。
大学4年間が、ペーパーテストのためだけに費やされる、
学生も学生のご家族もそんなことは望んでいないと思うのです。


ドーナツ設立から3年目にして、ようやく、
天津の学生のためにという目的を明確にし、それを達成する方法と、
実現に必要な要件を、会長が整理することができるようになってきました。

ここまでくれば、あとは、実践で確かめながら、
計画を進めていけばいいということになります。


「各メンバーがやる気を無くしていないか、コミュニケーションを取りながら
すすめていきます」
「ちょっとだけ、光が見えてきました」

と口にした会長が、他のメンバーをどのように引っ張っていくのか楽しみです。