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電車道

多趣味なので、いろいろなことをしています。気ままに語ります。

「おねしょっ子」と掛けまして…

2011-05-02 14:19:40 | 旅行などもろもろ
「三ッ子の魂、百まで」
人間の中身は幼少からずっと変わらない。

実は、自分で最近それに気付いて恥ずかしくなった。

私はたまに、電気を消し忘れたり、ゴミを捨て忘れてしまう。
人に「いつもだらし無いね!」と指摘されると、必ず「いつもはやってるけど、たまたま忘れたんだ。たまたま気付かなかったんだ。」って言っていた。

気付いたんです、これって…例えばこう言い変えたらどうだろうか。

…僕はたまにおねしょをしちゃう。
ママに「いつもおねしょばっかりして!」と指摘されると、必ず「いつもはしないけど、今日はたまたま出ちゃったんだ。たまたま気付かなかったんだ。」と言う。

こういう子供って可愛いよね、とってもすき(笑。
当事者同士じゃないからこういうことが言えるんだろう。
…じゃなくて「いつも」の認識が違うわけだ。
たまたまだって、大人が見れば月1回でも十分おねしょが治らない、いつもおねしょしてる子だよね。

そう、電気を消すのも、ゴミを捨ても、たまたまでもダメだと気付いたんだ。
鍵のかけ忘れとかだったらたまたまでも致命的なわけだし。
そして、子供と同じ言い訳をしてたのにも気付いた。
こんな幼い認識を改めるべきだと思ったよ。

秀才少年が実はまだ家ではおねしょをしててママに…ってシチュは凄くイイけど、筑駒生の殆どはその意味で「おねしょっ子」だね。
でも世間一般の大人達も殆どがそうだと思う。

「おねしょ」と「ぱなし」は違う、と言うかも知れないけど、おねしょした子供が見れば「ママだって同じじゃん」って思うだろうし、その主張を出したらそれこそ醜い言い訳だよね。
あるいは、筑駒生やOBには医師志望の人も多いわけだが、そういう人の場合は特に「無知」が罪悪となってくるわけだから、たまたま知らないことがあったからって平然としていては困ってしまう。

これは自分の受験勉強への戒めでもあるんです。
浪人したから気付いたのかも知れない。
「子供の『おねしょ』と大人の『ぱなし』の共通点」を説くぐらいの脳しかないけど、悟りを開く時間が増えた。


この話の最後に、一応のお詫びということでありますが、前半のおねしょの例え話は決して夜尿症に悩まれている方々への差別的な意図は含みませんので、ご了承ください。


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