私のクラスでも、子どもたちが
「静かにしてください」という。
しかし、なかなか静かにならない。
どうも、子どもたちは、
「静かにしてください」
だと、
自分は小さな声で話しているから、静かだ。
と、瞬間的に、または潜在意識で判断しているのではないか。
だから、おしゃべりはやめない。
それがクラス全員、学校全員であると、
大きなざわめきとなり、話し手の声が聞こえない。
子どもでも、教師でも、どんなに強く
「静かにしてください」
と言っても、やめない。
しかし、
「おしゃべりを、やめます。」
「お話を、やめます。」
「口にチャックをします。」
などというと、やめる。
これは、静かであればしゃべってもいいという内容ではないので、
子どもも瞬間的に、または潜在意識でやめる判断をするのではないか。
また、
「お話を、します。」
といっても、有効だ。
これは、子どもたちの脳に、
教師の話は聞かなければいけないという回路が
できているからではないかと思う。
我が校でも、ベテランの先生は、このような言い方をする。
やはり、経験則から、身についてきたのだと思う。
以前、児童会担当だったときに、児童会の子が
「静かにしてください」と怒鳴っていても、
子どもたちはおしゃべりをやめないので、
普通に「おしゃべりをやめます」と言わせたところ、
子どもたちは静かになったことがある。
言い方一つで、子どもたちは変化する。
「静かにしてください」という。
しかし、なかなか静かにならない。
どうも、子どもたちは、
「静かにしてください」
だと、
自分は小さな声で話しているから、静かだ。
と、瞬間的に、または潜在意識で判断しているのではないか。
だから、おしゃべりはやめない。
それがクラス全員、学校全員であると、
大きなざわめきとなり、話し手の声が聞こえない。
子どもでも、教師でも、どんなに強く
「静かにしてください」
と言っても、やめない。
しかし、
「おしゃべりを、やめます。」
「お話を、やめます。」
「口にチャックをします。」
などというと、やめる。
これは、静かであればしゃべってもいいという内容ではないので、
子どもも瞬間的に、または潜在意識でやめる判断をするのではないか。
また、
「お話を、します。」
といっても、有効だ。
これは、子どもたちの脳に、
教師の話は聞かなければいけないという回路が
できているからではないかと思う。
我が校でも、ベテランの先生は、このような言い方をする。
やはり、経験則から、身についてきたのだと思う。
以前、児童会担当だったときに、児童会の子が
「静かにしてください」と怒鳴っていても、
子どもたちはおしゃべりをやめないので、
普通に「おしゃべりをやめます」と言わせたところ、
子どもたちは静かになったことがある。
言い方一つで、子どもたちは変化する。