十勝の活性化を考える会

     
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私の好きな時間

2021-07-22 05:00:00 | 投稿

 

私の好きな時間は囲碁と読書で、特に囲碁はあの有名な“さかな君”のお父さんである宮沢吾郎プロ棋士とは、40年のお付き合いをさせて頂いている。十勝川温泉のⅮホテルや市内のHホテルでの大盤解説会には、必ず聞きに行った。

宮沢プロは私より1学年年上で帯広出身の天才である。帯広東小学校の時から天才の片鱗を見せて、大人を尻目に全道チャンピョンになった。木谷道場(プロ棋士の養成場)の創始者である木谷実先生の言葉で、「十勝で勢いのある鯛を釣ってきた」は、囲碁愛好家の仲間では有名な話である。

外国人に対してはめっぽう強く、タイトルを二回、NHK囲碁トーナメント戦では準決勝まで勝ち上がっている。木谷道場では、全国から有能な人を集めて七十名以上が弟子入りし、五十名以上がプロ棋士となっている。その一人が宮沢プロで、“吾郎ちゃん”の愛称でみんなから可愛がられていた。当時の道場には、塾長であった大竹英雄さん、人間コンピューターと言われた石田芳夫さん、宇宙流の武宮正樹さんがいた。その中にあって、宮沢プロは人柄も良く全国に大勢のファンがいて、さかな君がみんなに好かれるのは、お父さんの遺伝子を継いでいるからと思っている。

一方、読書のことであるが、三年前からアイヌ関係の本にはまっている。アイヌの本により、岩手県出身の「アイヌ語から分かる日本史物語」を書いた作家菅原進氏や「地図から見るアイヌの歴史」を書いた作家平山崇氏などを知ることができた。アイヌ民族は奥が深く、司馬遼太郎氏の著書“街道をゆく(オホーツク街道)”を読むと、日本列島に住んでいたみんなが縄文人=蝦夷(エミシ)であり、そのDNAを持っているアイヌは、縄文人の文化を守り続けた人々の後裔であると書いていた。

 しかし、エミシは次第に影響力を増大させていく大和朝廷により征服・吸収され、エミシと呼ばれた集団の一部は中世の蝦夷(えぞ)、すなわちアイヌにつながり、一部は和人につながったと考えられている。「蝦夷」の読みがなぜ平安時代に、「エミシ」から「エゾ」に変わったのかは分からないそうである。

アイヌという“自民族の呼称”として使われだしたのは、大和民族とアイヌとの交易が増えた十七世紀末から十八世紀初めの時期といわれている。一方、 “和人”という言葉は、江戸時代後期の幕府が、アイヌに対する大和民族の自称として用いていたという。

全国各地にアイヌ語地名があるが、特に東北地方にアイヌ語地名が多いのは、アイヌが多く住んでいた証拠である。母方の祖父母は北東北の出身なので、当然、私にもアイヌの血が流れていることになる。アイヌコタンは東北地方にも沢山あり、特に私が住んでいた青森県にもあり津軽アイヌコタンや下北アイヌコタンなどと呼ばれていた。

ところで、二刀流の大谷翔平選手は、エミシ征討があった水沢市(現在の奥州市)で生まれている。水沢市は、“大谷館”がある秋田県横手市から約50キロのところにあり、西暦878年に起きた出羽国の元慶の乱はエミシの反乱で、彼のご先祖もエミシだったかも知れない。

「十勝の活性化を考える会」会員T