地元新聞の「編集余禄」欄を読んでいたら、“精力善用”のことが書かれていた。精力善用とは、その自己の力を使って相手をねじふせ威圧したりすることに使わず、世の中の役に立つことのために能力を使いなさいということである。ウクライナ戦争や我が国における軍事費の増大を見ていると、現代はその逆を行っているように思えてならない。
講道館柔道の創始者 加納治五郎氏が唱えた理念は、「精力善用」・「自他共栄」・「世界平和」であった。ロシアのプーチン大統領が、柔道をやっていたとは思われない。
連続テレビ小説「なつぞら」を見ていたら、演劇部の顧問教師が、部員にもっと演技に「魂(たましい)」を入れるようにと言っていたが、顧問教師は、「もっと本気になってやれ」と言いたかったのだろう。精力善用と同じことである。
一方、作家であった三島由紀夫氏は、約1,000人の東大全共闘を前にして、「言葉は、言霊を持って語れ!」と言った。すなわち、心(魂)の言葉で語れということである。 ウソがまん延している世の中なので、日本では心で語る言葉はあまり見られない。
彼は、“自利他利”が大切であるとも言った。”自利利他“とは、自利は自らの悟りのために修行し悟りを開くこと、利他とは、他人のために尽くすことである。すなわち、自らの努力により得たものを他人にも還元し、他人の為に動くことで自分も成長することである。
彼は憂国して割腹自殺で人生を終えたが、人生には大義が無ければいけないのである。大義とは、これから実現しようとする未来に向けて、その行動の源となる正当な動機である。
作家 瀬戸内寂聴氏は、三島由紀夫氏の眼を見て、「こんな目を持っている人はみたことがない」と言ったが、作家 川端康成氏も同じような目をしていたと思う。二人とも自利利他であったから自殺したのではないかと思っている。
三島由紀夫氏が言っていた“武士道”、そして川端康成氏の“日本人の美の心”を言いたかったのだろう。川端康成氏は、1968年のノーベル賞の受賞講演におけるその冒頭は、道元(1200~)の歌だった。
“春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷しかりけり“
と明恵(1173-1232)の
“雲を出でて 我にともなふ 冬の月 風や身にしむ 雪や冷たき”
というふたつの歌を題材に話をすすめていくもので、他に良寛や西行なども引用し、主に歌をみながら日本の心を省みるものであった。日本の心を世界に堂々と示したのだ。今日おもうに、これは何と世界性を有していたことであろうか。さらに、「雪月花の時、最も友を思ふ」を引用し、四季折々の美にめぐりあう幸いを得た時には、この喜びを親しい友と共有したいという。この「友」は、広く人間ともとれよう。
「十勝の活性化を考える会」会員