私は61歳の時、脳出血で倒れて目が見えなくなり、救急車で病院に運ばれ8時間におよぶ手術を受けましたから、生き返ったような人間です。その点が、他人との違いだと思っています。
分かりやすく言えば、一度は死んだような経験をしたので、死というものを身近に感じていることです。例えば、明日に自分が死ぬということに対して、健康な人はあまり意識しないと思いますが、私の場合は経験上、いつ死ぬか分かりませんので、心の準備はしているつもりです。ただ、以前よりも暴飲暴食に心がけ、血圧が上がらないように塩辛いものは避けていますので、長生きするかもしれません。
先日の地元ニュースでは、出勤の際に車が新雪で滑って道路わきの大木に正面衝突、運転手が即死したそうです。大雪であればスピードは出せませんので、雪が少しだけ降ったという不運、車が滑ったところに大木があったという不運が死につながるなど、人生には運と不運がつきものです。
不運にも同じ脳出血で倒れたキャリアだった人は、「人間は生きるか死ぬかの経験をして価値観が変わり、精神的にも一層強くなれる」と言っていました。また、俳優だった樹木希林さんは、ガンが全身に転移してからは価値観も変わったそうです。人間の価値観は、新型コロナ禍などの大きなことに遭遇しなければ変わりづらいと思います。
ところで私は、登山に夢中な時期がありました。なぜ夢中であったかと言えば、楽しかったからです。人生は楽しまなければ損だし、苦しむために生きるなんて無意味だと思います。どうせ生きるなら、どうせ仕事をしなければならないならば、楽しく仕事をしたいと思います。
身体障害により仕事が出来なくなって思うのですが、仕事ができるということは幸せなことです。当然、仕事は辛くて厳しくて楽しいものではありません。仕事は生きていくためにどうしてもやらねばならないもので、命を掛ける仕事もあります。ただ、どうせやらねばならないならば楽しくやった方が良いし、その方が業績も上がると思います。
しかし、笑いのひとつない人が、意外と周りに多くいるような気がいたします。なぜだろうと思う毎日ですが、コロナ禍で世の中が不景気になってきたので、なおさら仕方ないことだと思っています。なお笑っても、お金はかかりません。
ところで、エベレスト峰に酸素ボンベ無しで8回挑戦し、2018年5月21日に滑落死した登山家 栗城史多氏(享年35歳) は、ブログの中で「挑戦すること(生きること)に楽しさがある」と言っていました。人生は、楽しむことです。
「十勝の活性化を考える会」会長
注) 栗城史多
栗城 史多(くりきのぶかず)は、日本の登山家、起業家。北海道瀬棚郡今金町出身。北海道檜山北高等学校、札幌国際大学人文社会学部社会学科卒業。
「冒険の共有」をテーマに全国で講演活動を行いながら、年に1、2回ヒマラヤ地域で「単独無酸素」を標榜して高所登山を行っていた。
エベレストには、頂上からのインターネット生中継を掲げ、2009年にチベット側、2010年と2011年にネパール側から挑んだが、8,000mに達することが出来ず敗退。2012年に西稜ルートから4度目の挑戦をするも強風により敗退。この時に受傷した凍傷により、のちに右手親指以外の指9本を第二関節まで切断。
2015年の5度目、2016年6度目、2017年7度目のエベレスト登山も敗退した。2018年5月に8度目となるエベレスト登山を敢行したが、途中で体調を崩して登頂を断念し、8連敗を喫した矢先の同月21日にキャンプ3から下山中に滑落死した。35歳没。
(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)
ヒグマさん達の頃はそれなりの装備で且つ登れる山を選べたので、登山も楽しめたのではないでしょうか。