十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

帯広身体障害者福祉協会の花見会

2023-05-20 05:00:00 | 投稿

 

令和5年5月7日(日)、“帯広身体障害者福祉協会 ”の花見会が、約25人の参加者により帯広市緑ヶ丘公園で開かれた。会長の手短な挨拶に始まり、花見会は時間の経過と共に盛り上がりをみせ、バーベキュウ、焼き鳥のほか酒・ジュース類などが振舞われた。なお、地元の新聞記者や元帯広市市議会議員の方も来ていた。

私は酒に目がないので缶ビール2缶を飲みほしたが、たくさん飲むと、また脳出血になる恐れがあり3缶目を控えた。私が座った席の隣には、4年ぶりにあう全盲のご夫婦も来ていた。

1歳上の彼とは、4年前の 「フードバレーとかちマラソン」に、伴走者と3人で参加した仲である。伴走者は帯広市議会議員の人で、大学時代にアイスホッケー部に所属していたらしい。全盲の方がマラソンで走っている時、沿道の応援者に手を振って陽気に応えていたのが印象に残っている。

彼は、50歳の時に糖尿病が悪化し全盲となったが、なぜあんなに陽気に振舞うことができたのだろう。きっと苦しい時があっただろうが、それを乗り越えて生きているのだろう。妻は視力のない人のための音訳サークルに入っているので、彼は妻のことも知っているらしい。

目がほとんど見えない会長の言葉で、印象に残ったものがある。それは、「人間は同じ環境に置かれなければ、その人の本当の気持ちは分からない」という言葉である。だから私は、全盲の彼のことをよくは分からないだろう。

しかし、同じ身体障害者だから、もとに戻りたい思う気持ちは同じである。ただ、人間には運と不運があるので、彼を見ていると私は運が良かったと思っている。私が同会の新年会で唄った無縁坂の歌詞には、運と不運のことが書かれていた。

【唄:無縁坂】

母がまだ若い頃 僕の手をひいて

この坂を登る度 いつもため息をついた

ため息つけば それで済む

後だけは見ちゃだめと

笑ってた白い手は とてもやわらかだった

運がいいとか 悪いとか

人は時々 口にするけど

そうゆうことって確かにあると

あなたをみててそう思う

「十勝の活性化を考える会」会員


環境省帯広自然保護官事務所

2023-05-19 05:00:00 | 投稿

 

先日、環境省帯広自然保護官事務所に行ってきた。行った理由は、5月7日付けの地元新聞に、帯広自然保護官事務所のアクティブ・レンジャーに富良野市出身の谷水亨さん(62)が着任した記事が載っていたからである。

彼は、旧国鉄の池田機関区を振り出しに、民営化後には釧路旅行センターにもいたらしい。登山が趣味で日高山脈や大雪山を中心に、道内の山々の林道情報にも詳しく、登山専門誌の「山と渓谷」の山岳ライターとしても活躍している。日高山脈を愛する者としては、嬉しい限りである。

帯広自然保護官事務所の山北育美自然保護官(42)も、着任してから1年足らずであるが、すでに20座以上の日高山脈の山々を登っているらしい。環境省では、日高山脈・襟裳国定公園の早期の国立公園化を目指して動いており、そのための帯広自然保護官事務所の設置である。

日高山脈は、北海道の中央南部にある山脈で、狩勝峠側の佐幌岳から襟裳岬までの、長さはおよそ150 kmである。「北海道の背骨」といわれるほど地形が険しく、山脈を横断する道路は、狩勝峠のある国道38号線、日勝峠のある一般国道274号線、天満街道のある国道236号線の三つである。日高山脈は、氷河の痕跡であるカールが見られる日本では数少ない山脈で、登山道はあまり整備されておらず登るのが容易ではない。

高山脈は地形や地質に独特のものがあり、植物や高山チョウなど固有種が多数みられ、野生生物の重要な生息環境となっている。外国にあるアルプス、ヒマラヤなどの山脈の多くは、地殻運動による横圧力によって地層が褶曲した褶曲山脈であるが、日高山脈も褶曲山脈である。なお、狩勝峠の「狩」は、札幌市のある石狩から、「勝」は帯広市のある十勝から取っている。

私も趣味が登山だったので日高山脈の主要な山に登ったが、「北海道の登山は、日高に始まり日高で終わる」と言われるように魅力一杯の山々が連なっている。日高山脈・襟裳国定公園が国立公園に昇格すれば、十勝では「阿寒摩周国立公園」、「大雪山国立公園」につぐ3カ所目で、北海道では「釧路湿原」に続く7カ所目となる。日本には34カ所の国立公園があるそうだ。

なお、カムイエクウチカウシは、熊が転げ落ちるほど急峻な山の意で、写真にある左側の真っ白く輝いて山である。日高山脈第二の高峰で、標高1,979mである。なお、日高山脈の最高峰の山は日高幌尻岳(2,052m)で、登山口は日高側にある。

「十勝の活性化を考える会」会員

(出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』)


タンポポ

2023-05-18 05:00:00 | 投稿

タンポポは生命力が強くて、全国各地のどこにでも咲いている。北海道では雑草として嫌がれているが、綺麗な花であることも事実である。写真のタンポポは、自宅の隣りの敷地で咲いていたものであるが、昨年、この敷地に家が建ってしまってすでに無い。

タンポポは、道ばたや野原に咲く多年草で、朝に花開き夕方に閉じる。雨が降らなければ、花は3日連続して規則正しく開閉する。花期が終わると右側の写真のように、白い綿毛になって風で無数が飛んでいき、来年には再びところどころに花を咲かせる。

タンポポの中には、帰化植物で“ウズラバタンポポ”というものも庭にある。紫黒色をしたウズラの卵模様の斑点が特徴で、花期は5~7月で直径3~4cmほどの黄色い花をつける。普通のタンポポよりは繁殖力が弱いので周りの植物と共存しており助かっている。名前を忘れたが、近くの公園に花の色がオレンジで外来種のタンポポが繁茂した時がある。

このように外来種が一斉に咲き乱れた時期があったが、いつの間にか全滅してしまった。日本のタンポポは日本列島によって少し異なるものの日本全土にあり、種類も多いらしい。

先日、十勝川の川べりで犬と散歩していたら、妻の知人の関西人がこのタンポポをみてとても綺麗といった。北海道の大自然の中に咲くタンポポの美しさに、感動したのだろう。

なお、本州には、秋の道ばたに咲く花に、彼岸花(別名:曼殊沙華)というものがある。目立つ赤い色をしており、田んぼなど自然豊かな土地では美しく咲き乱れている。下の俳句は、私と同じ身体障害者が詠んだ“曼殊沙華”の俳句で心にしみるものがあり、俳句会の主宰者が絶賛していたそうである。  

『 今年また 同じ処に 曼殊沙華 』 

この俳句は、身体障害者のような人生に挫折を経験した者だけが詠める俳句だと思っている。なぜなら、この俳句からはかない命の大切さを感じるからである。

「十勝の活性化を考える会」会員

              


“ちょっと”いう言葉

2023-05-17 05:00:00 | 投稿

 

我々は“ちょっと”いう言葉をよく使うが、人によって幅がある。1分であったり、1時間であったり様々である。この言葉に苦い経験があるので、自分は使わないようにしている。

苦い経験とは、以前、脳出血で入院していた時、担当の看護師さんが、「ちょっと待っていてください」と言ったままで、忘れてしまって遂に来なかったからである。

このように、“ちょっと”という言葉は使いやすいが、1分待ってとか3分待ってなど、具体的に言った方が良いと思っている。だから、介護施設の職員には、この言葉を使わないようにアドバイスしている。

この幅のある言葉のあいまいさは、日本人の悪いところだと思っている。ノーと言えない日本人だから、日本人の特徴でもある。自分は、どちらかといえば白黒をつけたがる性格だから、外国人的だと思っている。

話は変わるが、日本の文化のひとつである俳句をやり始めて2年になる。俳句は、松尾芭蕉の“古池や 蛙飛び込む 水の音”でも分かるとおり自然の風景を17文字で詠むものである。

この俳句は、春の季語である躍動する蛙が、まさに「生きる」ことを詠んでいるのである。 静かな古池は、前と何ら変わらずにあるようで、実は違っている。飛びこんだ蛙が今は見えないが、水中で確かに生きているからである。そこには、静まりかえった古池が変わらずにあるばかりで、「わび」「さび」の世界である。

わびびは、慎ましく質素なものの中に奥深さや豊かさなどの「趣」を感じる心、日本美意識である。この俳句がいま、外国人にも流行っているらしい。日本人は繊細な心を持っているから、日本人を理解するためでもあろう。

「十勝の活性化を考える会」会員


農耕民族と狩猟民族

2023-05-13 05:00:00 | 投稿

 

同じ町内会の友人が、農耕民族と狩猟民族のことを話していた。彼は読書が趣味で豊富な知識と幅広い人脈を持つ。博学であり、多くの人が“駆け込み寺”として彼に相談を持ち掛けている。彼の座右の銘は、“着眼大局着手小局”である。

着眼大局とは、物事全体を俯瞰して重要なものを見抜き注目することである。着手小局とは、細かなところに目を配り、具体的な作業を実践することである。私なりに解釈すれば目先を見て物事を考えるのではなく、歴史的積み重ねの過去から現実を直視し、そのうえで未来を見通し、自分たちの「あるべき姿」を描くといえよう。

これまでの日本経済は、景気重視で財政を拡大してきた。これにより大きな景気悪化を免れたものの、結果として国債残高が積み上がり、今回のコロナ対策費がこれに拍車をかけている。そして、ロシアによるウクライナへの侵攻である。

『ロシア人とウクライナ人とは、水と油のような関係で混じり合うことが出来ないのだ。なぜなら、ロシア人は狩猟民族でウクライナ人は農耕民族であるからだ』と、彼は言うのである。だから、ウクライナ戦争は簡単には終わらないのである。

確かにこれは、十勝から130キロ離れた釧路と十勝の関係に似ている。釧路は、昭和44年(1969年)から9年間も続けて水揚げ量日本一を記録した漁業の町である。一方、十勝は日本の食糧基地であるから農業国である。釧路人は狩猟民族であるから魚が獲れる場所を他人に教えず、十勝人は農耕民族であるから、太陽のもとで他人と一緒に農作業をするのである。

魚にしても農作物にしても人間が生きていくために欠かすことはできないが、どちらにしても人類が作ったプラスチックごみや化学肥料が使われている。海洋ゴミの70%は分解されることがないプラスチックとみられており、その量は2015~25年の10年間で3倍にまで増加すると予測されている。

「十勝の活性化を考える会」会員