うしくの辺り:魅力度最下位? 茨城県の南部

茨城県の牛久市を中心に、散歩やドライブで見つけた素敵な場所や不思議に思ったことをつづった。魅力度最下位茨城の地味な魅力。

牛久助郷一揆:文化元年(1804年)

2020-08-08 09:00:00 | 名所

茨城県南部、牛久市で江戸時代末期に一揆があったことを知った。

一揆はあちらこちらで起こったようだが、身近であったとは興味深い。

 

 

牛久と名付けられいるが、今の阿見町にその碑がある。

一揆の指導者が阿見町の出身だという。

 

阿見一区南の交差点。

ちゃんとお花が活けられている。

 

ほとんど風化しても読めないが、となりに解説があった。

3人は江戸での厳しい取り調べで評決前に獄死したという。

その供養を兼ねた碑という。

そして、この碑をたてたのが、なんと一揆で打ち壊された家の方であるのも興味深い。

 

 

「牛久助郷一揆」はwikipediaにも記載されていた。

1804年(文化元年)10月、牛久宿近くの女化原に大勢の百姓共が徒党を組み牛久宿問屋の麻屋治左衛門他2人の居宅を打壊し、幕府老中青山忠裕から佐倉藩土浦藩に対して騒動鎮圧の公儀御達が出された。女化一揆とも呼ばれるこの騒動は、打壊しの後間もなく治まり、勘定奉行所の松平兵庫頭が掛りになって徒党共の吟味を行い、翌1805年(文化2年)8月に裁許状が村々に届けられた。

(wikipediaより)

阿見町のネット記事も見つかった。

pdfにはその顛末が要領よくまとめられている。

それによると、

江戸と水戸のちょうど間にある牛久宿は往来も多い重要な宿場だったらしい。

年貢の他、伝馬役や人足など多くを課せられ、天明の飢饉などもあり疲弊した中で、私利私欲を肥やす業者がいて、とうとう爆発したようだ。

牛久の女化稲荷に6000人もの農民が集まったという。

よく統率がとれて、打ち壊しをしたが、盗みや危害は与えることなく引き上げたとされる。

自由民権の先駆的なものと位置づけられている。

 

この場所、グーグルマップには何もでていない。

 

この場所 ↓ なので、興味のある方、訪れてみたらいかがでしょうか。

36.028595, 140.189608666

 

ではまた、ぶらり

 

 

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茨城空港再開:

2020-08-01 13:00:00 | 名所

茨城空港は県中央部の自衛隊の百里基地に並んで運用されている。

コロナウイルスの影響でしばらく閉鎖していた。

もともとスカイマークと中国便、韓国便くらいしかなかった。

国際線はまだだが、スカイマークの段階的な再開で動き出した。

 

急用で実家に帰るのに、羽田、成田の出発もあるが、茨城空港からの出発にした。

最近は安い成田発のLCCをもっぱら使っていたが、成田は今はコロナの入り口である。

羽田も東京が連日200-300人。

こんな時、茨城県内から出られるのはありがたい。

 

さて、用事をすませて翌日夕方、帰ってきた。

ローカル空港の極みともいえる地上を歩いて飛行機に乗り降りする。

こういう空港は少ないと思う。はじめての人は皆驚く。

 

小雨が降っていたので、多少の雨除けがあったが、

ブルーの電飾でスターウォーズのようなゲート。

ローカルなりに努力している感じ。

 

go to キャンペーンのせいか行きはほぼ満席だった。帰りは1/3くらいの客。

もちろんみなマスク着用。

途中、搭乗客にはマスクとキットカットが配られた。

物と人が動いている。

感染が広がっている。

政府はgo to、県はnot go to

that is a question

 

ではまた、ぶらり。

 

 

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牛久沼のカッパ:なんだか寂しい

2020-06-20 09:00:00 | 名所

茨城県南部、牛久観光アヤメ園にはカッパの銅像がある。

この辺で牛久沼と言えばカッパ。

牛久市はカッパのキャラクター関連を積極的に使っている。

沼のほとりのカッパを見に行った。

なんとなく寂しく沼を眺めながら座っている。

 

 

ちょっと痩せ細って、人間にいじめられたのだろうか、と思わせる。

哀愁。

その顔はさえない。

 

 

目は普通だが、口元が寂しい感じを強くする。

 

その傍らには、イヌと遊ぼうとしている子カッパがいる。

イヌは多少警戒しているが、この子カッパとすぐに遊び出しそうな感じがする。

 

 

いつまでも牛久沼のあたりで遊んでいられる環境だといいね、といいたいが、

国道6号線のバイパス整備でだいぶ環境がかわってきている。

利便性と環境の共存は難しい。

 

ではまた、ぶらり。

 

 

 

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石岡市:府中愛宕山古墳、少し削られちまったぜ。

2020-05-30 21:00:00 | 名所

茨城県南部、石岡市の郊外に、関東で二番目に大きな船塚山古墳があるのは前回紹介した。

その近く、300mほど離れたところに、府中愛宕山古墳というのがあった。

道路標識まであって、左は船塚山古墳、右は愛宕山古墳。

愛宕山古墳はあちこちにありますね。

 

こちらの古墳は民家のすぐ裏、というか、古墳の一部を削って民家が建っている。

案内板によると、明治30年に東大の坪井正五郎氏によって発掘調査されたとのことだ。

昭和54年の調査で、全長96.6m、後円部径57m、前方部幅57m、後円部高さ7.5mと大きく、応神天皇稜と似ていることがわかったと。6世紀初頭。

 

けずられて、家にかこまれて、かろうじて残った、という感じ。

かつてはいろいろ出土したらしいが、詳細不明とあるので、どこに行ったかわからないのでしょう。

茨城県県指定の史跡になっている。

 

一部では古墳ブームです。

茨城もけっこうあるが、全国にあるのでオールクリアはかなり難しいだろう。

もしはじめるなら、早くしないと、自分が墓穴に入ってしまう。

やめとこ。

 

ではまた、ぶらり。

 

36.170556, 140.293185

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御嶽神社:牛久市東大和田、google mapにない神社

2019-11-23 12:00:00 | 名所

常磐線、国道6号の北側の小野川沿いを散歩して、東大和田町入り口への坂道を上がると、比較的小さな鳥居と祠があった。

鳥居をくぐり祠にむかう飛び石の周りは掃き清められて、ご近所の方々が丁寧に管理しているようである。

名前は御嶽神社。

 

その横には、石を掘った仏様や祠が6体並べられ、しめ縄がかけられている。

賽銭箱もある。竹筒がそれぞれに2本ずつ立てかけられているのは、何か意味があるのだろう。

 

後で場所を確認するため、グーグルマップをみたら何も書いていない。この辺りはストリートビューも走っていない。

西から来る(小野川から上がると)とちょっと薄暗い狭い林の中の道(舗装してあるが)を通るので、省略されたのか?

ヤフーやBingのマップにはちゃんと御嶽神社と記されている。

 

wikipediaによると、御嶽神社(みたけじんじゃ)の総本社は吉野金峰山寺の蔵王権現堂。

全国、北海道から九州まで所々にあるようだ。金峯神社と呼ばれる社とは同系統らしい。

一方、長野県の木曽の御嶽山にも神社があり、こちらは「おんたけじんじゃ」と呼び区別しているという。

さて、このお社はどう呼ばれているのだろう。

 

ではまた,ぶらり。

 

牛久市東大和田町283

36.001768, 140.152932

 

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