夢音(ゆのん)~風のおるごーる~ atelier JUNON

~想いをかたちにするために~
天然木を使った、オルゴール作家

祇園祭

2022-07-13 11:49:40 | つれづれ
感染増えてます。

しかしコンチキチンは始まってしまいました。

粽(ちまき)は、通販で買おうとしたけど今年は通販分は少なくすぐに締め切り。

対面販売始まったからです。

母に頼まれたこともあり

よーし、と、一大決心して朝イチに。

大スター長刀鉾

流石に行列できてましたが

風があり涼しく、それにスムーズでした。

四条烏丸界隈だけにして

早めに退散しました。

時間が経つと人がすごく増えますから。(笑)






長刀鉾は、まだ提灯あげたはる最中でした。

久しぶりに見て

何だか嬉しかったです。





こちらは函谷鉾。

人は少なく寂しそうでした。

長刀鉾の方はすごい人気なんですけど。

頑張れの気持ちを込めて手ぬぐい買いました。

お金を落とすことは保存会のためでもあるんです。

だから皆さん粽買って玄関先に厄除けでちゃんと据えておられるわけです。

京都のお祭りは町衆のお祭りなので

暑いのにわざわざ、という感じに思われますけど神輿渡御などもありますし一連の神事が滞りなく行われますことをみんな祈って粽を買うんです。

今日は長刀鉾のお稚児さんの、社参の儀です。

何と3年ぶり。

巡行の日までお稚児さんは地に足をつけてはいけないんです。

もう、神さんに、ならはったわけです。

コンチキチン聞くと何だか嬉しい京都人

コロナよ早く普通の風邪になりなさい❗

飲み薬みたいなのとか、吸引薬とか早くできたらいいな。



郭巨山は組んではるところでした。




こちらは月鉾。

ここも静かで人は少ない。

鶏鉾が見えてます。



愛想ないけど

まだまだ感染怖いので

早めに退散して

すぐに作業に戻りました。(笑)



しかしやっぱり

何だか嬉しかったです。




自分を励ましながら

2022-07-13 04:24:25 | つれづれ
自分を励ましながら

楽しみながら。


お友達と夜に珍しく長電話しました。

彼女は

本当に大切なものを見逃さないように

色々と話してくれました。

何でも最後は自分で決めて

自分で歩みますが

私には見えてないこともあるのだなと。



みそらママ始め

私には本当に宝物のような友人たちがいるのだと改めて彼女は言いました。

彼女は私の周りの人たちと実際に顔を合わして話してますから

苦しい中を生き抜いてきた人たち、創意工夫した人たちを友としていくことの素晴らしさを改めて気づかせてもらった。

そんな人たちは本当に優しく

人への慈愛に満ちてるものだと。

私はいろんな友や知り合いを尊敬の目で見ています。

年齢とか関係ないです。

その人が経験したこと、体験したことがその人に現れていて

私はそんな様々に感動します。

その方のご苦労そのものではなく

それを乗り越えられたり

明るくコツコツ歩まれているその今現在の姿を見ていると

よく繰り返し話してもらう

人生はやったことだけ

自分のやったことだけが現れてくるのだと言うことを実感します。

人の聞きかじりの話じゃなく自分の体験や経験から体得したことは

それについて傷ついたとか苦しんだとか

そういうことじゃなく

そこから何を学んで自分のために生かして行けるかなのだなと

学んで来ました。

そうしてそのことで自分のできることで

人に対しても何か大切な事ができるかもしれないなあと

そんなことを感じています。




底のないような不安とか

初めての事に挑戦することへのドキドキは

誰しもありますね。

今はまた

新たな挑戦に向かいます。


私のおるごーるたちは

色んな場所で歌っています。

おるごーるを

芸術の域に。

なぜそれが大切なのかというと

リュージュの作品たちは芸術として画廊を闊歩していますが

サンキョーの国産の素晴らしいムーブメントも

芸術の域に持っていきたいのです。

もちろん小さなかわいいおるごーるたちも大切。

けれども

おもちゃとか趣味の域で留まれば

やがて淘汰されてしまう気がしますんです。

小さなかわいいおるごーるも作れなくなってしまいます。

利益は大切かもしれないけれど

それを超える愛情みたいなものが大切な気がします。

売れないからそれは作らないとか

お商売される方々には当たり前のことも

これが芸術になると全てひっくり返ります。

価値判断は

工芸とかとは異なるものとなってきます。

例えば工芸ならば

全て自己によるもの。

技法や杢目の美しさが主役です。

芸術ならば

額部分で自分の工房でできるものは作ればいいし、作れない大型サイズならプロに頼めばいい。

それは木が主役なのか脇役なのかの違いです。

一年かけようがおそろしく材料費かけようが

その価値というものは芸術の世界では違う。

材料費をいくら加算しても

これではダメだとか想ったとしても

そんな計算は通用しません。

表現やエネルギーを帯びること

そして何かをその作品がエネルギーとして出していくこと

惹きつけるような何かを帯びていくこと。

私にも価値判断なんかわかりはしない。

でも、本当はそんなことはどうでもいいのかもしれない。

コスパがどうのこうのなんて

なかなか考えられない世界です。

もしも

おるごーるは

芸術の域にある

そんな定義が日本でできたなら素晴らしい。

しかも

その芸術の域というものが

誰か有名な美術家や工芸家とのコラボという形ではなく(そうすると多くはおるごーるは主役ではなく脇役となります)

そのおるごーる自体が主役となるような作品としてのおるごーるを作りたいんです。

天然木を使うのも

全てそれらはおるごーるを生かすため。

あくまでもおるごーるが主役で

天然木は脇役に過ぎないのです。

縁の下の力持ち。

大切なエレメントなのですけれど

表現という翼を持ちたいんです。

まだまだなのですけれど

私自身の個性を

命を

表現できるくらいになってみたい。

そんな厚かましいことを想ってます。

未熟ですけど

コツコツ。


私の航海はまだまだこれから。

よく集大成なんて言われますが

私はまだまだ第一歩。

ゴールのない世界に飛び込んたものだなあと想います。

けれどもそれは

私にとって本当に本当に大切な

自分の人生の羅針盤なのです。

心の羅針盤に従って

と、気づかせてもらった。

気づかせてもらったからには

歩みは止めない。



それにしても

本当に地味なものですね。

でも本物は

地味な日々の積み重ねから生まれてくるものなのだと信じています。

それを積み上げて行くことは

いつまでできるかなんて天のみぞ知るですが

私はおそらく決してやめないのだと想います。

やめるのは簡単なのかなあと。

苦しくてやめるための言い訳は山のようにありますが

続けるための言い訳は少ないです。

ちょっとずつでも進歩したいなあと想います。

表現の翼がほしいです。

天賦の才など持ち合わせてはいないけれど

湧き上がってくるイメージと世界観はあります。

その自分の中に湧き上がってくるイメージが

立体構成故に描くように表現できないのが歯がゆいです。

そこがまだまだなんだすけど

いずれ自分の思い描くイメージ通りに作れるようなりたいです。

暑くて早くに目を覚まし

こんなことを考えている自分は

ありがたいなあと改めて想います。