風のあとりえ
最初頼んだ知り合いの大工さん
見積もり遅くて
なぜかなんにも進まなくて2か月経ち
とうとう友人達に手伝ってもらい不用品撤去
家主さんにしてみたら
本来は私や私の友人がすることではないので
大変悪く感じられて
その大工さんに対する心象は悪化していき
とうとう全ての家主さんがなさる私のためにリフォームされる工事は
みんな他の大工さんに頼まれました。
それがこの前のすごくいい大工さん、トッポ・ジージョ。
最初頼んだ大工さん落ち込んでたからかわいそうだと想い
主工房の床張りと電気を引くのだけ残して彼に先月頼みました。
たったそれだけですからいくらなんでも進めるだろうと。
ところが今回行くと何にも先月から進展がない。
先月仙人と話してよくわかりましたというが施主は私なんだけどなあ。(笑)
来月は最低限床張りと電気を通してもらわないと
9月は私はとても忙しくてゆっくり行けないので
どうしても照明の器具のことや色々と電気を実際に張りスイッチ取り付けてしまいたいな。
段々とドキドキしてきました。
今の京都の工房の電設はたった一日でスイッチも私の希望するところにすぐに付きました。
何の苦もなくしてもらいました。
問題ない。
床張りも一日でできた。
今の場所も、そんなに難しい場所には見えません。
全部引き上げるのが悪いからと残したが仇になったのかなあ、
それとも負担になってるんだろうか?
本当に彼はできないのだろうか?
私は心底悩んでしまいました。
当地でお友達になったからこそ
お願いしたし
信じる気持ち大きいんだけどな。
そこも他のこの前の、大工さんに頼めば見積もりも目の前で出してくれるしすぐにできるのだけど。
わざわざ残したのがいけなかったのかな?負担なのかな。
でも
常識的に大工と名乗るならば最低限できるだろうし
もしもできないなら何ができないのかを何年も友人付き合いしたのなら言ってほしいなあと思った。
この前落ち込んで私に相談してきたとき
今回のことがあなたの試金石になるのだから
できるなら一緒に必死でやろうよと言いました。
コロナで人員足りないと言いました。
うーん。
人員って
床張り一人でもできる。
私は先月帰りに言ったのです。
一人でできないならば私が一緒にするから、遠慮なく言ってねと。
床張りの段取りは色々と見てきて知ってる。
最近You Tubeでもよく動画あるし。
私はあそこで作品作らねばならない。
注文でも、どうしても京都の狭いところではやりにくい作品もあるからなおのこと。
それらを早く進めたいのもありますから工房作りを急いで整備進めています。
私は見かけはボケーッとしてますけど
このみちゃんがこの前言いました。
「我々作家ってね、お尻がきちんと帳尻合わなくなると困るよね。だからふらふらしてるように見えても、必死で進めるよね。遅れると焦るね。」
そうなんです。
待っててくださってる方々に申し訳ないからそこはシビアに計画しています。
やや長尺な材料の加工とか
やや大きいのとか
これまでみたいな苦労しなくて済むようになりますから。
本当に彼はお盆までに間に合わせるのかなあ?
信じたい気持ちがある。
そんな私の気持ちがわかってくれてるのかなあ?
この前ラインで
私の作品づくりは待ったなしだと言いました。
そしたらコロナがどうこう、初盆のところがどうこう、ときたので
私はちょっと不安になりました。
私は春から頼んでるよって。
初盆とかコロナとか
そんなことはあとからでしょ?って。
それなら早くできないと手放してくれたらいいのにとついつい想いました。
人間的にいい人なのはよくわかるんですが
それとこれとは別の話だしなあ。
来月何にもできてなくて言い訳するなら辞めようととうとう決めました。
彼ではなく
トッポ・ジージョに頼む
そう決めました。
もう日がないということを彼はわかってくれているのだろうか?
この前から大きな仕事を手放してる。
悔しいと彼は言った。
悔しいならやればいいのに❗
と、弟みたいな年齢なのでついつい言いました。
わかってくれただろうか?
信じて進めてほしいというこちらの気持ちをわかってくれただろうか?
うーん。
いつも仙人の事を彼は言うが
仙人が頼めばやるのか?
それは違うだろ?と、想った。
私の事を何と思ってるのかなあ。
あの工房は私の工房なのだ。
トッポ・ジージョは
私の仕事の内容をポツリポツリと聞き出して
「何でもするから言ってくれ」
と、言いました。
この前大雨のとき
線状降水帯のとき
傘も効かないような大雨の中来てくださり
休みじゃないの?と聞くと
風防部分にどれ位雨が入るのか雨の日だからこそ見たかったと。
プロだ。
そして木を保管するところ
雨の日に実際に見られたことで一部仕様が変更になりました。
プロだ。
逆に私はトッポ・ジージョから学んだことが多いです。
人様からお金を頂くということはどういうことか
そんな姿勢を学んでました。
私も
創作は大工さんみたいな段取り仕事ではとてもできないにせよ
その取り組まれる姿勢や努力は見て真似できる。
いいことは必ず真似をする私です。(笑)
失敗だらけにせよ
中身が違っても
必ず取り入れられるいいことは吸収します。
それはどんなお仕事の方からでも。
違う業種の方からも
色んなヒラメキを与えてもらう事はたくさんたくさんあります。
限定しないで
色んな事を咀嚼し自分のものにしていきたいです。
全ては学びですね。
大工さんの仕事をじーっと見てたのですけど
大工さんはやりにくかったかなぁ?(笑)
どんな風にここを直されるのかな?と見てました。
押し入れの扉のところ一箇所
気に入らないみたいだけど予算の関係あると言われた。
私はそれを見て笑いながら
気に入らないのよくわかる。と、言いました。
「削ろうかな。しかし彫刻みたいなことはできんしな」
ちょっとみんな終わったら自分で外して扉だけ別作りにして素敵にしようと想いました。
大工さんの仕事は頼まれた範囲しかできない。
私はそれを美しく作り直せる。
彫刻みたいなことが私ならできるわけです。(笑)餅は餅屋。
仙人まではいかなくとも
仙人の仕事をじーっと長年見てたのは
ただ見てただけじゃない。
自分のできる範囲で
美しくしていくことは可能だし
それに付け加えて
更に女性的なプラスアルファを加えることは可能なわけです。
私は最初は真似しますが
真似して真似しては練習。
それは自分のものじゃない。
次に自分のやり方にして
全く違うデザインや工夫の自分のものにしたいのだ。
扉も把手も
私の手に合わせたものを作ればいい。
なかなか思ったような成長などできないし苦しいことも多いですけど
わずかなわずかな毎日のことを、積み重ねると
少しずつ形になって行くのかなぁと想います。
私は芸術の世界の中で泳いでいますから
大工さんの世界とはもちろん全然違います。
大工さんみたいな時間軸では創作はなかなかできません。
でもその、創作を進める場所である工房は
大工さんが大工さんの時間軸で作ってもらわなければ困るわけです。
私は作品を2年や3年がかりで作ることもたくさんあります。
閃かなければそれ以上かかる作品もあります。
でも
大工さんがそれでは作家は困るのです。
けど
三年がかりで作る作品でも
それでもいつもいつも色んな試行錯誤はしょっちゅうしてるんです。
今日も彫刻刀で
作品の中で
色々と彫っておりますが
これを応用すれば
把手も面白くなるかなあ?
私の手のサイズにしっくりくるなとふと想いました。
大工さんには
ちょっとできないことをしようかなあ、って決めた。
大工さんは工房できたら見に来ようかなと言った。
見に来たらビックリするような事を少しばかりして見よう
そんなワクワクする企みがある。
それこそが
何に対しても好奇心や向上心になるし
何よりも
作品の進化のもとになるのです。
できない、なんてあまり言いたくない。
もちろんできないことも多いです。
少しずつ少しずつ
できることは自分のものにしてできるようにしていく。
悠長にしている時間はないなあ。(笑)
作りたい世界がある。
あの、夢で見たオートマタの世界を実現したいんだ。
ゆのんの世界。
ゆのん〜夢のつづき〜
これを実現しなきゃ
死ぬに死ねない気がします。(笑)
執着持つわけではないが
せめて、
せめて
そこまでは行きたいのだ(笑)
人様の評価とか名声とかは
行きがけの駄賃。
そこを目指していたら
本物にはなれない気がするんです。
何にも考えず
子供の頃のような情熱1つで歩きたいです。