40歳を迎えた今、20年前の1980年代というのは、
ついこの前のように思えてしまう。その訳は、CDという
音源の存在が大きい。10代の頃の20年前は、1960
年代前半となる。カセットテープもなく、ステレオ音源す
ら希な時代だったということになるのだから。
「年度の変わり目」が節目となる生活がかれこれ、30
年以上続いてきた。思い通りになることも、ならないこと
もこの節目が象徴。だたならぬ決意をしても崩れ去りいつ
ものままであったり、気にもとめないような出来事が思い
もよらぬ結果に向かっていったり。
満たされた人生の中で年をとるものだと思っていたが、
そういうものではないらしい。満たされきれず、求めてい
たものは遠くのまま近づくことすらまだできない。ささや
かな願いだった想いすら、あいかわらずだ。
それでも、容赦なく、この節目はやってくるのだ。
今年こそは、と想う。
けれど、今年も、とも思う。
遠く離れた地の友人・知人達にお互い健康であるように。
いつか、また、会えると思いたい。
それは、20年後のことかもしれないが。
ついこの前のように思えてしまう。その訳は、CDという
音源の存在が大きい。10代の頃の20年前は、1960
年代前半となる。カセットテープもなく、ステレオ音源す
ら希な時代だったということになるのだから。
「年度の変わり目」が節目となる生活がかれこれ、30
年以上続いてきた。思い通りになることも、ならないこと
もこの節目が象徴。だたならぬ決意をしても崩れ去りいつ
ものままであったり、気にもとめないような出来事が思い
もよらぬ結果に向かっていったり。
満たされた人生の中で年をとるものだと思っていたが、
そういうものではないらしい。満たされきれず、求めてい
たものは遠くのまま近づくことすらまだできない。ささや
かな願いだった想いすら、あいかわらずだ。
それでも、容赦なく、この節目はやってくるのだ。
今年こそは、と想う。
けれど、今年も、とも思う。
遠く離れた地の友人・知人達にお互い健康であるように。
いつか、また、会えると思いたい。
それは、20年後のことかもしれないが。