「大地讃頌」。久しぶりにこの曲を聴いた。何年ぶりだろうか。
合唱曲として歌いつがれているこの曲は、「土の歌」という組曲の一部、第7楽章(最終楽章)なのだそうだ。
本州から、北海道にきてこの曲を初めて知ったのは十数年前のこと。私が中学生の頃、卒業式に歌った「一粒の種」(作者不詳)という合唱曲に共通するものがあった。農村部に育った私には、大地というものは、まさに母であり、畑を耕すことは未来の象徴であったからだ。
「土の歌」は、平和を願い、人間の可能性を信じようとするメッセージに貫かれている(うたごえサークル「おけら」HP)。
その昔、「芸術の民衆の中へ」という文化運動があった。音楽は決して、遠い存在ではなく、生活の中に、日常の中に、というメッセージだ。映画「ここに泉あり」の題材となった高崎市民オーケストラの活動もそのひとつだろう。また、映画「俺たちの交響曲」のモデルとなった川崎市の若者たちの運動もあった。
日常の生活の中に、労働の中に「音楽」があり、それは人に支えられ、人を支えているのだと、しみじみ思った。
合唱曲として歌いつがれているこの曲は、「土の歌」という組曲の一部、第7楽章(最終楽章)なのだそうだ。
本州から、北海道にきてこの曲を初めて知ったのは十数年前のこと。私が中学生の頃、卒業式に歌った「一粒の種」(作者不詳)という合唱曲に共通するものがあった。農村部に育った私には、大地というものは、まさに母であり、畑を耕すことは未来の象徴であったからだ。
「土の歌」は、平和を願い、人間の可能性を信じようとするメッセージに貫かれている(うたごえサークル「おけら」HP)。
その昔、「芸術の民衆の中へ」という文化運動があった。音楽は決して、遠い存在ではなく、生活の中に、日常の中に、というメッセージだ。映画「ここに泉あり」の題材となった高崎市民オーケストラの活動もそのひとつだろう。また、映画「俺たちの交響曲」のモデルとなった川崎市の若者たちの運動もあった。
日常の生活の中に、労働の中に「音楽」があり、それは人に支えられ、人を支えているのだと、しみじみ思った。