癒しの庭Ⅲ

集おう癒しの庭へ

城跡見学!

2007年09月01日 | Weblog

   私が事務局を担当している文化財保護協会の研修視察の時期が近づいてきました。私は九戸政実の乱のあった九戸城址(岩手県)を見た時に、今年の研修視察はここ、テーマは九戸戦争と決めました。

                                                         九戸政実の乱
                           九戸城 

   今日岩手県にお出かけの帰り一戸町(岩手県)にある姉帯城と一戸城を見学しました。
  
              https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/88/b82867f35692caffff1513f9e17d1c7b.jpg

    https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/12/a565ad11b610025cd592da15e8e523ca.jpg

  姉帯城は馬淵川に守られた堅固な中規模の城です。

                          姉帯城5年生の調査報告
                          姉帯城の詳細

 姉帯城は南部氏一族、姉帯氏の居城でした。

  以下、九戸の乱との関係は以下のような具合です。

 天正19年(1591)の九戸政実の乱にあたり、当時の城主・姉帯大学兼興とその弟五郎兼信は、血縁である政実方に与する事となる。豊臣秀次を総大将とする仕置軍は、九戸城を攻略する前哨戦として軍監・蒲生氏郷に命じて姉帯城を攻撃、篭城して抵抗する近隣の諸豪族や姉帯氏の一族郎党の大半を討ち取り落城させた。
 馬淵川北側の断崖上に築かれた典型的な山城で、東西二つの郭で構成されている。西郭は東西130m・南北60m、東郭は東西120m・南北100mの規模を持ち、西郭には高さ2.7mの土塁が築かれ、その奥には二つの郭を区画する幅20m以上の堀が残る。また東端には幅10m以上の堀が二重に巡っているという。
 発掘調査の結果、西郭跡から建物跡や墓跡が見つかり、それらの周辺には中国産・国産の陶器類や当時流行した茶道具、また人骨や副葬された鏡・古銭などが出土している。また周囲からは大量の鎧・槍先・刀・矢じりなどの武具が出土しており、激しい合戦があった事を物語っている。

   
            https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/7a/9201775c47a95d805571b0103e2f85af.jpg

  こちら一戸城は、国道4号線沿いの町に近い所にある小さな城跡で、あまり手入れはなされていませんでした。

   一戸城は一戸南部氏代々の居城でした。

   九戸の乱との関係概略は以下のようです。

  天正19年(1591)九戸政実の乱前までは南部26代信直方の城であったが、政実方に荷担する者があり、乱の際には政実方の南の前線基地となった。城将として一戸彦九郎が上方勢を迎え撃つべく籠城したが、多勢に無勢、大軍に敵せず城を焼いて九戸城へ退却した。
  八幡館・北館・神明館・常念館などから構成されているが、現在は公園・宅地・畑地などとなっており、空堀の一部が残るのみである。一戸公園となっている部分が北館跡で、城郭の主要部分であるとされる。
                                                      
   九戸の乱が戦国期の最後の戦いで、当市とも関わりがあります。

   文化財保護協会の研修視察では一戸町は視察しませんが、位置関係や城の規模の大きさなどが理解できました。

   研修視察は、九戸城跡、三戸城(九戸氏の敵)、八戸(九戸氏の味方)の三ヶ所を視察、昼食は八食センターを予定しています。

   時間内に収まるか、ガイドさんの予約など、近々に下調べに行き、計画書を書かなければなりません。

   頑張ります