おかあさんは明日のお誘いを頂いた結婚式に備えて静養です。
私は午後、市文化財課主催のふるさとの「再発見学習会」に参加しました。
会場に行くと縄文人が、いえ単に衣装を借りての記念写真でした。
講師は隣市からお出で頂いた成田健氏、初めてお話を聞きましたが、聞く人の立場を常に考えた話しぶりで、説得力のある講演はかくあるべきかと思いましたが、私であったら今少し軽妙洒脱であってもと思ったのですが、軽すぎてはいけません・・・!
「人のふり見てわがふり直せ」は明言ですね・・・!
講演の内容は、古に当地区を訪れた3人の方の紹介でした。
松浦武四郎・・・江戸末期の探検家、北海道の命名者、当地区の10日間の記録(日記)残されている。
窪田空穂(くぼたうつぼ)・・・明治大正期の長野県出身の歌人で十和田湖来訪時の和井内貞行や小田島樹人他との関わりをその和歌を通しての紹介。
柳田国男・・・昭和37年没、著名な民俗学者、兵庫県生まれ、当地区を繰り返し訪れた訳、彼に指示した当地区出身の学者等に関するお話でした。
講演終了後の現地研修は、1時間余の徒歩による研修で、神社3ヶ所、江戸時代の巡検使道の確認、加えて植物の好きな講師でしたので1時間の予定が随分延びました。
私は4時半から歯医者さんの予約をしていていました。1時間の現地研修だと4時10分で終了です。終わってから駆けつけても十分に間に合うと思い、主催の方にも確かめた上で参加ました。 しかし、1時間経過してもまだまだ続きそうなので、途中で離脱しました(勿論講師の方にお詫びをして)。
やはり、時間は守らなければなりません。
私の企画の文化財研修視察では、こうしたことは絶対にないようにしたいと思います。
講師の方が案内してくれた神社にこんな神社がありました。近くの集落の
守り神で「貴ノ宮神社」です。という説明でした。
しかし、私にはこれは「アラハバキ」の神社ではとも思いました。
何故「アラハバキ」を祭っているのではと思ったのは、この小さな祠の中に修験道の像が据えられ、木で作られた2本の足が治められていました「。
以前に「アラハバキ」の神について調べた時に、古い「アラハバキ」の神は「ハバキ神(旅行の時に身につけるハバキから転じた足の神)」に転化しているということがありました。
この地域の方々が「アラハバキ」神を意識して立派な祠を作られたのか。「アラハバキ」神を意識して木の足を備えているかは、聞き取り調査をしないと分かりませんが、多くは期待できません。講師の先生にお聞きしましたが分からないということでした。
いずれにしても、おかあさんの腰が治るように、左足が痛むのが治るように、私も木の足を作ってお祈りしたく思いました。
講師の先生はたくさんの里山の植物を紹介して下さいましたが、私にとって懐かしい植物はこの「カシマメ」でした。中央の実には3個の美味しい実が入っています。まだ収穫には早く、やがてこの実が茶色く色付いた頃に採って食べると美味しいのです。私が子どもの頃に一番美味しかったこの実がこれでした(もう半月もしたらこっそり採りに行きたい気分です)。
講師の先生のお話では、この「カシマメ」の正式の名前は「ツニハシガミ」というそうで、外国ではこれに似たものを「ヘーゼルナッツ」というそうです。
昔懐かしい「カシマメ」と「ヘーゼルナッツ」を比べて見たいと思います。
まだまだたくさんの食物を教えてもらいました。
歯医者さんへの時間がせまってきた時、一本の木の側に「駒形神社」が現れました。田道将軍の馬が亡くなったので建てられた神社という謂われがあり、絵馬があるというので覗いたのですが、1枚だけ発見、時間不足や団体での見学なので、後に良くみることにして歯医者さんへ1人出かけました。残念、残念!
9月16日~17日にお邪魔した時のひなちゃんの写真の1枚です。
大きな目で、これから何を見ていくのでしょうか。
私も、私の身なりや、心根を正して接していこうと思います
私は午後、市文化財課主催のふるさとの「再発見学習会」に参加しました。
会場に行くと縄文人が、いえ単に衣装を借りての記念写真でした。
講師は隣市からお出で頂いた成田健氏、初めてお話を聞きましたが、聞く人の立場を常に考えた話しぶりで、説得力のある講演はかくあるべきかと思いましたが、私であったら今少し軽妙洒脱であってもと思ったのですが、軽すぎてはいけません・・・!
「人のふり見てわがふり直せ」は明言ですね・・・!
講演の内容は、古に当地区を訪れた3人の方の紹介でした。
松浦武四郎・・・江戸末期の探検家、北海道の命名者、当地区の10日間の記録(日記)残されている。
窪田空穂(くぼたうつぼ)・・・明治大正期の長野県出身の歌人で十和田湖来訪時の和井内貞行や小田島樹人他との関わりをその和歌を通しての紹介。
柳田国男・・・昭和37年没、著名な民俗学者、兵庫県生まれ、当地区を繰り返し訪れた訳、彼に指示した当地区出身の学者等に関するお話でした。
講演終了後の現地研修は、1時間余の徒歩による研修で、神社3ヶ所、江戸時代の巡検使道の確認、加えて植物の好きな講師でしたので1時間の予定が随分延びました。
私は4時半から歯医者さんの予約をしていていました。1時間の現地研修だと4時10分で終了です。終わってから駆けつけても十分に間に合うと思い、主催の方にも確かめた上で参加ました。 しかし、1時間経過してもまだまだ続きそうなので、途中で離脱しました(勿論講師の方にお詫びをして)。
やはり、時間は守らなければなりません。
私の企画の文化財研修視察では、こうしたことは絶対にないようにしたいと思います。
講師の方が案内してくれた神社にこんな神社がありました。近くの集落の
守り神で「貴ノ宮神社」です。という説明でした。
しかし、私にはこれは「アラハバキ」の神社ではとも思いました。
何故「アラハバキ」を祭っているのではと思ったのは、この小さな祠の中に修験道の像が据えられ、木で作られた2本の足が治められていました「。
以前に「アラハバキ」の神について調べた時に、古い「アラハバキ」の神は「ハバキ神(旅行の時に身につけるハバキから転じた足の神)」に転化しているということがありました。
この地域の方々が「アラハバキ」神を意識して立派な祠を作られたのか。「アラハバキ」神を意識して木の足を備えているかは、聞き取り調査をしないと分かりませんが、多くは期待できません。講師の先生にお聞きしましたが分からないということでした。
いずれにしても、おかあさんの腰が治るように、左足が痛むのが治るように、私も木の足を作ってお祈りしたく思いました。
講師の先生はたくさんの里山の植物を紹介して下さいましたが、私にとって懐かしい植物はこの「カシマメ」でした。中央の実には3個の美味しい実が入っています。まだ収穫には早く、やがてこの実が茶色く色付いた頃に採って食べると美味しいのです。私が子どもの頃に一番美味しかったこの実がこれでした(もう半月もしたらこっそり採りに行きたい気分です)。
講師の先生のお話では、この「カシマメ」の正式の名前は「ツニハシガミ」というそうで、外国ではこれに似たものを「ヘーゼルナッツ」というそうです。
昔懐かしい「カシマメ」と「ヘーゼルナッツ」を比べて見たいと思います。
まだまだたくさんの食物を教えてもらいました。
歯医者さんへの時間がせまってきた時、一本の木の側に「駒形神社」が現れました。田道将軍の馬が亡くなったので建てられた神社という謂われがあり、絵馬があるというので覗いたのですが、1枚だけ発見、時間不足や団体での見学なので、後に良くみることにして歯医者さんへ1人出かけました。残念、残念!
9月16日~17日にお邪魔した時のひなちゃんの写真の1枚です。
大きな目で、これから何を見ていくのでしょうか。
私も、私の身なりや、心根を正して接していこうと思います