癒しの庭Ⅲ

集おう癒しの庭へ

今日も枝の後始末!

2006年09月15日 | Weblog

 日中の暑い時間は除いて刈り込みした枝の後始末をしましたが、残念ながら全部でかすことはできませんでした

 休憩時に「空気入れ」を買いに行ってきました。

 数年来、欲しいと思っていました。1輪車が2台ありますが1台は空気が抜け欠けています。これまではこういう時は、近くの自転車屋さんに行って空気入れを借りていたのですが、もうそろそろ欲しいと思っていました 

               

   値段はわずかに497円、もっと早くに買えば良かったです。この空気入れは、自動車にも自転車にも、ボールにも、その他浮き袋等他用途に使えます

 

   1輪車は7月末、これまでのが1台壊れたので買い換えました。少し値段は高いのですが、半分ほどの軽さです

  良い仕事をする人は良い道具を必要とするとは本当のことかもしれません

 加えて良く手入れすることも良い仕事をするためには大切な事のようです

  チェーンソー、鋏、鉈(なた)などはよく研いで(砥石で)使うと、気持ちよく仕事ができます。

   良い仕事は気持ちよく楽しくする工夫が必要です。

   急がば回れです

 

                あたりまえのことかな  

 

    さて、今日は白い花のきれいどころさんです

        

   お茶の花が咲きました。北限を過ぎた鉢植えのお茶の花です。冬は家の中で冬越しをさせました。まだ花芽がたくさんついています。

           

         白い花の2つ目、バイカウツギです。

             

              エンゼルトランペットです。

  バイカウツギは樹木ですが、エンゼルトランペットは一年草です。草なのにバイカウツギよりも草丈が高く、花も巨大です。

  エンゼルトランペットの色の白さは天下一品、純白です

 


今日は生け垣の枝の後始末!

2006年09月14日 | Weblog

   今日は枝の後始末です。今刈り込んでいる生け垣は西側の垣根なのですが、昨日から取り組んでいるのは冬に倒れた東側の枝の後始末です。

  山ほどあった枝は先日、犬走りの作業に来てくれたシルバーの方と軽トラで処分したのですが、時間不足で1/3程が残っていたのです。明日は全部片づけることができるでしょう。きっと

         

 

    大滝方面に小用があって出かけたら途中で、新しくできたらしい温泉を見つけました。

            

                       

   軽井沢温泉です。

   時間もなく、入浴の準備もしていなかったので、玄関前まで行って確かめました。入浴料金150円 、第2・第4月曜日はお休みと書いていました。我が家より20分ほどの距離、直観ではあまり多くは期待出来そうもありませんが、近々確かめてみます

 

           

   小屋の前の庭です。

   以前に飛び石を打っておいたのですが、この飛び石を伝って行くとこれまでは行き止まりになっていたのです

  ところが、先日突き当たりにあるサツキを移動したので回遊できるようになり、お母さんが草や笹などをきれいに取り除いてくれたので、素敵な庭になりました

    今までここには、ダイモンジソウ、エビネ各種、ショウジョウバカマ、ナツハゼ、ナンテンなど、楽しいものがあるので、更にクマガイソウやヤブコウジなども移植し、苔(スギゴケ)も一面に増やして、この庭は「苔庭」と名付けたいと思います  

    この小道を進むと2つの小さな川(枯れの小さな川と、池から流れてくる川)を超えます。

    川にはやはり橋が必要です

    どんな橋にしましょうか。一つは石橋、もう一つは木橋かな

    庭師は、今日も庭を考えるています

 

 


我が家の庭にも秋が!

2006年09月13日 | Weblog

  今日は外出する事なく家で過ごしました。

   庭仕事もほとんどお休みし、文化財保護協会事務局の仕事をしました。 研究発表会の案内、その為の理事会の開催案内、各地区史談会交流会の案内、機関誌への投稿案内や依頼等、明日で全部終わります

   理事会は21日、研究発表会は10月13日です。各地区史談会交流会は11月13日の予定です

    庭に出てみると我が家の庭にもはや秋が忍び寄っていました。

           

 

   マユミの実が熟してもう割れています。

    この実の付いた枝は、もっと乾いたら、生け花に使われます

    白い花が咲いていたヤマボウシには、赤い実がついています

  今日のきれいどころさんです

   

                                     アザミさんです

 

            

                       秋海棠(シュウカイドウ)さんです

   どちらも秋の花、間違いなく秋が近寄っています 

   秋が来ると、間もなく冬がやってきます

   でも、今年の冬は玄関のあたりは楽しそうです

   垣根は倒れないでしょうし、藤棚もつぶれないでしょう

   今冬は、最低3日に1回は庭を巡って木々の雪を降ろしてあげます

  今冬の庭師は、冬も庭師をやります・・・

 


史談会の野外学習会!

2006年09月12日 | Weblog

   今日は当地区史談会の年2回目の野外学習会です。

   春の野外学習会は「花巻方面」でした 今日は秋の野外学習会です。 

   方面はこちら・・・。

  さて、どこでしょうか

           

  この箸の袋には五千円札の「新渡戸稲造」さんの写真が印刷されています。

    箸置は「馬」の姿をしています。

           

  

   箸の袋には、

    五千円札のふるさと 十和田市 とあります  

    今回の旅行の昼食は、青森県十和田市の「旅館しもやま」(1,050円)でした。

         

    新渡戸稲造さんのお父さんの「新渡戸十次郎」さんとそのお父さんの「新渡戸伝(つとう)」さんの親子が、江戸時代の安政2年から5年の月日をかけて、当時三本の木しかい寒村であった三本木原(今の十和田市)に川を引いたのです。現在、青森県内で米の生産量は十和田市が1位である

  今日の現地学習の半分は、十和田湖から流れる奥入瀬川から水を引いて作った「稲生川(いなおいがわ)」

新渡戸親子の業績をたどるもので、講師の方の研究の深さには頭の下がる思いでした。上の写真は今の「稲生川」です。

  「稲生川」の取水口で不思議なものを見ました。

   川の上を川が流れているのです。

   普通は川の上に川を流すためには、上の川は橋をかけて交差をさせますが、ここは川の下をくぐらせて水を流すのです。

  いわゆるサイホン(逆サイホン)です。驚きです

    これまで流れてきた生川が、十字にクロスする中里川(奥入瀬川のもう1本の支流)の前で突然地下に潜るのです。そしてクロスする中里川の向こうで勢いよく地中から水が噴き出しているのです。そしてこの始まったばかりの稲生川は、江戸時代に掘られた1.6kmのトンネル(穴堰)へと入っていくのです(江戸時代の南部土方衆のトンネルの堀り方についてはここでは略、サイホンは昭和11年に作られています)。

      

    ここから水が噴き出しています。クロスしている中里川のずっと向こうからこの稲生川は地中に入り込んで流れて来たのです。江戸時代はもう少し下流で2つの川を合流させていました。(今はここより少し上流の水門で、中里川の水の一部を稲生川に合流させるようにしています。)

   稲生川の命名は40代南部藩主、南部利剛(としひさ)公です。

  新渡戸記念館を見学しました。新渡戸親子3代の詳細が分かります。以前この記念館のすぐ側に「新渡戸明」と表札のある立派なお屋敷を発見しましたが、今回確かめたらここの館長さん宅で、新渡戸家の末孫だそうです

 

               

   江戸時代に、当市の廃寺から移された(遠回りをしてご本尊も)「理念寺」浄土真宗太谷派のお寺です。

   ここで、お母さんが私を悩ませる貼り紙(ポスター)を見つけてしまいました。清め塩は使いません-死んだ人を汚れた人とは考えないからです-と書いています

   私は「曹道宗」、これまで「清めの塩」をいつも使っていました。思わず考えてしまいましたが、やはりこれまで同様「清めの塩」(お葬式のあと等我が家に入る前に、玄関先で、手や身体に塩を振りかけて清めること)は続けようと思いました。

   私にはまだ死はそれほどに親しいものではありません。ですから結界としての印として塩をまきます

   しかし、浄土真宗の本堂に「清め塩は使いません」という貼り紙(ポスター)を見た時に、私もそう思う日が来るのだろうと思いました  

 十和田市の見学は2時で終わり、十和田市から1時間で八戸へ、3時から4時まで八食センターで買い物の予定でした。

        

   シューリ貝とはどんな貝でしょうか。以前のムール貝と似ていますが同じものなのでしょうか。どなたか教えて頂けないでしょうか

 

 八HIROさんは勤務中と思い連絡は差し控え、八食センターで美味しいものをたくさん買いました。

 私は、またまた豚になるのでしょうか。

   これから、体重を測ってきます

 

 

 

 

 

 

 

 


市議会傍聴!

2006年09月11日 | Weblog

  当市は年1回日曜議会を開いています。 議会の様子を市民に見てもらいたいという意図からです。ようやく自由の身になったのですから、しっかり見たいと思っていました。

  去年は、12月の日曜日に行われ、市教育委員会が厳しく議員より批判されているのを初めて目の当たりにしました

  今年は昨日の日曜議会に引き続いて今日も議会が行われたので傍聴に行くことができました。当市豆新聞によると昨日と今日で22名の傍聴と、今日は8人の傍聴だったので昨日の日曜は14人の傍聴者、随分少ないですね

             

    議会中央の白いポロシャツ(全員が国体PR用のポロシャツを着用?)の人が議長さんで、家が近く(隣町内)同期生です。司会をしながら「あっ、間違いました」などと言った時には、我がことのようにドキドキしてしまいました。同期生、同年代、私もこんな場では間違うかもと、我が身に置き換えて考えてしまいました  

   午後は刈り込みしたヒバの整理、かなりのラーメンのスープづくりができそうです。

   ラーメンだけでなく「おでん」も作れそうです。

   食べたい人は是非いらして下さい。

   我が家の「おでん」は格別に美味しいです

  

 

 

 


先祓い舞を選択!

2006年09月10日 | Weblog

 今日は、三沢の航空祭、秋田北空港祭、日曜市議会、だんぶり長者まつり他、たくさんの行事がありました。

 三沢の航空祭には、昨夜八HIROさんからお誘いがありましたが、行きたかったのですが残念ながらお断り申し上げました。市議会の傍聴は明日もあるのでこれも断念 ・・・

  だんぶり長者祭りには、私が調査を依頼されている先祓い舞が出演するので、お母さんと出かけました。

      

      

   前回の神社での先祓い舞調査の再確認、由来や踊りの数、所作の意味など改めて確認ができました

      

    東北5大おどりの1つ「盛岡さんさ踊り」が招待されていました。この踊りは8月1日から4日まで、盛岡県庁通りで2万人の踊り子が踊る盛岡最大のお祭りです。

  今日は40人ほどの踊りでしたが、2万人の踊りを是非見たいものです

   その他にもたくさんのプログラムや出し物がありました。

   3時前には帰路についたのですが、雨です。よく踊りの間は降らなかったものです。残念ながら、今日は垣根の刈り込みはお休みです

   明日に備えてチェーンソーを鑢(やすり)で研ぎました。

      

    このチェーンソーは今年で3年目、去年とおっ年は年1回お店に持っていって研いでもらっていました。

  研ぎ賃は、おっ年は500円だったのに去年は1000円でした。      その時、「自分で研ごうと思いますが鑢(やすり)はありますか」と聞くと、「ある」とのこと、「何分ぐらい研ぐのですか」と聞くと、答えないのです。

   そこで、「30分ぐらいでできますか」と聞くと「10分ぐらいでできるや」とのこと、10分働いて1000円は言い商売だなと思ってしましました

   「どうして研(と)ぐのですか」と聞くと「教えね!・・・あと儲がらねがら」と言ったのです・・・

   それでも、鑢(やすり)を手渡す時に「押して研ぐんだや、押したり引いたりして研ぐんでねや」と教えてくれました。

   今日、私は押すだけで20分位研ぎました。

   明日、私のチェーンソーはどれ位切れるのか楽しみです

 

 

 

 

 

 

 

 


ヒバ垣の刈り込み・・・選定作業の仕上げ!

2006年09月09日 | Weblog

 今日も西側の生け垣の刈り込みです。

 単なる刈り込みではなく、背丈を低くする剪定作業です。

       

   昨日よりいくらか垣根の水平線が伸びました。

              

   たくさん垣根をでかしたいのですが、

切り取った枝の後始末も大切です。

最近、先に楽しいことをたくさん(刈り込み)して、

後で難儀なこと(後始末)を黙々とすることは止めようと思い始めました。

刈り込みと後始末と交互に行い、

自分の体力に合わせ

いつでも楽しく仕事をする方法を考えたのです。

   楽しく仕事ができるかどうかも工夫次第、

切った枝は小屋のストーブで焚ける長さに切り、

束ねて小屋の後に積んで干し、

やがて、美味しいラーメンのスープをつくる燃料とするのです。

  高さを揃えたヒバ垣の仕上げをお母さんに頼んだら、

1cm以上の誤差は許さない正確さで、剪定鋏で刈り込みます。

そして刈り取られた小さな枝を丁寧に振り落とします

   私の刈り込みの誤差は許容範囲は2cm、

刈った枝は軽く振り払うだけ、

お母さんの作業は庭師の鏡です

   私も、今後の仕事に取り入れます。

   二人で仕事をすること、

もしかすると一人で仕事をする時の100倍も勉強になるように思います

     

  

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ヒバは何種類ある?

2006年09月08日 | Weblog

      

   我が家のヒバのほとんどは「サワラヒバ」です。昔は我が家の四方全てが 「サワラヒバ」の生け垣で、他の「ヒバ」はありませんでした。「サワラヒバ」は俗に「青森ヒバ」といわれ丈夫で、刈り込みにとても強いヒバです。

    平成5年の私の増改築で、北西の角に「車庫」ができて生け垣の一部が欠けてしまいました

    小林おじさん夫妻が借りていたお宅、九美ちゃんが生まれ育ったお宅に、とてつもなく大きな「ヒムロヒバ」の木があって、私がお邪魔した折、挿し穂(挿し木をするための枝)をたくさん頂いてきました。

       

    私の挿し木した「ヒムロヒバ」は全てついて(根付いて)、坪庭の垣根の全てと、西側の垣根の一部に補修用に入れたものが完全な垣根になってしまいました。九美ちゃんの生まれた時からですから、大きくなっても無理もありませんね

   「ヒムロヒバ」は葉がこまく、明るく華やかな色をしています。上手に管理をしているといつも綺麗なのですが、強く刈り込むと茶色く枯れてしまいます。枯れた小枝は小さな1本1本の葉となって落ちます

      

  我が家にあるヒバの3つ目は「シダレヒバ(枝垂れヒバ)」です。私が生まれる前から裏庭大きな池の滝口、左後にあります。その後私がその枝を挿し木し、今はもう一本大きな「シダレヒバ(枝垂れヒバ)」があります。裏庭右側の小さな池・小さな滝の右後にあるのがそれです。40年程はたっていると思います。この2本は親子なのです。このヒバも丈夫です

      

  4つ目は、上の「シダレヒバ(枝垂れヒバ)」とそっくりですが色が違います。「斑入りのシダレヒバ(枝垂れヒバ)です。東側、お母さんのロックガーデンの後にあります。これは買ったもので、買ってから10年ほどです。

    5つ目も買ったもので同じく10年程のものです。

      

  「チャボヒバ」です。いい茶庭に5本とか8本とか寄せて植えてあります。我が家には1本しかありません。チャボの鶏冠(とさか)を連想します。機会があったらもう2本は欲しいのです・・・

   数えたら我が家には、ヒバの種類が5種類ありました。ヒバの刈り込みは出来ますが、枝垂れヒバとチャボヒバの剪定は難しいです。

   庭師はまだ勉強不足です。

   がんばります

 

 ヒバと桧、アスナロの関係はこちらを → へばまた

   

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いよいよ裏庭西側生け垣の刈り込み開始!

2006年09月07日 | Weblog

    

   この伸び放題になっている生け垣を刈り込みます。

   どれ位の高さにするのか随分悩みましたが、やはり空が広く見えるように、今後の刈り込みが楽にできるように、お母さんの意見に従ってかなり低くすることにしました

  

 

    いくらか出来ました

    大きい脚立ではなく、小さい脚立だけで刈り込める高さです。昨年は東側の生け垣がほとんど倒れてしまいました。今年も倒れないように東側の生け垣の刈り込み・剪定は終わっています

   こちら西側は何年もかまわず、伸び放題になっており久々の刈り込み・剪定です

 午後は私もお母さんも「古文書の学習会(市主催月2回年間10回)」があったので、あまりたくさんの刈り込みはできませんでした。

   低い垣根を作るという事は、切り取った上(樹幹)の方が長いということで(150cm位)、電動のこでその幹を切ることが大変、そして切った物の後始末が大変になります

  この仕事を進めるためには、かなりの決心や情熱が必要です。そこで庭師は一工夫、仕事をこまめに後始末まで含めて仕上げてしまうのです。後に仕事を残さないようにします

   こうすることで、途中で雨が降っても、疲れて止めても、いつでも終わった部分は綺麗なのです

   庭づくりは綺麗なものをつくる仕事、綺麗でないものをいつまでも放置するのは良くありません。体力に合わせてこまめに仕上げるようにしています。

  今日はおばあちゃんも大葛温泉にでかけました 

  

 

 

  

 


今日は午前中だけ晴・・・!

2006年09月06日 | Weblog

   庭師の今日の予定は生け垣の刈り込みです。 しかし、この生け垣(裏庭西側)のこのサツキが気になります。

        

   睡蓮鉢の向こうにある大きな玉造のサツキです。

   このサツキの植え込み1つが有ると無いとで、庭の性格が変わります。

  有る時は鑑賞庭園で、無くなると回遊庭園になります。要は無いとここを歩いて小屋の前に通ずる園路ができるのです。入っていけず見ているだけの庭なのか、回って歩ける庭になるのかの違いです。

  午前中はお母さんはお出かけです。

   一人で頑張って堀りました。金属製のスコップに力をいれたら 「エッ、折れたかな」 と思ったら、スコップの 「柄が折れていました」。

                 

    サツキが無くなったので、入って行くことができます。

            

    サツキの行き先は「山っこ」の裏側です。側に垣根や大きな木がないとサツキが大きく見えます

  来春の花後にはしっかり刈り込み整形をしてあげましょう。今は刈ってはいけないのです。7月初めに来年の花芽ができているのです

   植え替えが終わったお母さんが帰ってきて、拍手をして喜んでくれました  

   昼食が終わるとお母さんは早速園路づくりです。ところが雨です。そこで今日も温泉へ、8月20日のお祭りの後は暑いので温泉通いはお休みしていました。

  昨日は雨降り」で半袖ではいられないほどに涼しかったので、久々に大葛温泉に出かけました。

   「どこか旅行でもいったいたの」と温泉友達(20代独身)が・・・昨日は楽しく会話しながらの入浴でした 

 

   今日の「蒸けの湯温泉」行は、の解明のためです。ネットで「蒸けの湯温泉には、川の増水で流されて旧館跡に湯量の多い露天風呂ある」とあったのです。その湯量の多い露天風呂がどこにあるのかを知りたかったのです

   「蒸けの湯温泉」着、今ある旅館の周辺を散策(雨の中を傘をさして・・・)残念ながら該当する露天風呂は発見出来ません。

   旅館内湯に入ることにして、フロントの人(若い女の人)に聞くと、「下(川のそば)の露天風呂の方に昔、こうした建物があって洪水で流されたと聞いています」ということで納得、下の露天風呂3つ(男、女、混浴)のうち、一番大きい露天風呂が「湯量の多い露天風呂」だったと思うのです。

   この混浴の風呂にはまだ入ったことがありません。

   次回はここに挑戦     湯量が多いとのことです

         

   ここ「蒸けの湯温泉の内湯」には問題があります。

  写真をご覧下さい。 一番奥に男湯が、そして右手前に女湯が、そしてその手前に男湯があります。

  何故男湯が2つあるのでしょうか。

  1つは内湯(屋根あり)でもう1つは露天風呂(屋根なし)なのです。女の人の風呂には内湯と露天風呂の両方があるのだそうです

  私が問題にしているのは、内湯と露天風呂の両方に入りたい男性はどうしたら良いのでしょうか。私はこれまで2回、ちゃんと着替えて内湯から露天風呂に移動していました。

   今日一緒に入っていた「澄川地熱発電所」に働いている若い人たち(能代からきてここに泊まり込んでいる)がタオル1枚で移動しているのを見てしまいました

   私も、内湯から廊下を見ると誰もいません。うまく露天風呂まで(4m程)移動出来ました。

    さて帰り、露天風呂から出ようと左を見ると誰もいません。右を見ると誰もいません。しめたと思って廊下に出ると、なんと向かいの物置の戸が開き従業員が出てきたのです。                    ・・・ どうしてこんなにも私は運が悪いのでしょうか

    往復のフラワーロードが綺麗でした 。

         

    長さは何kmあるのでしょうか

 

 

 

 

 

  

  

 

                 

 

 

 

  


休日なのに庭づくりはお休み、今日は雨降りです!

2006年09月05日 | Weblog

 今日は残念ながら朝から雨降りでした。 今日の庭仕事の予定は・・・

         

  この庭西側の生け垣(ここはさわらヒバ、坪庭はひむろヒバです)の刈り込みです。随分と垣根が高いです。

              

  二本の棒が確認頂けるでしょうか

    私はこの2本の棒の高さに合わせて、樹頂部をそろえて刈り込むのです。

    紐を張ったりせず、心の中に紐を張って高さを揃えるのです。

    昨年より行っている方法ですが、完璧に高さは揃います

    昨日ここまで準備したのですが、朝起きたらでした。残念です

    問題は、この棒の高さそのものです。

    お母さんはもっと低い方が良いと言います。低いと高い脚立ではなく、低い脚立で作業ができ、とても楽になります。お母さんは私の今後を考えてくれているのです・・・

    感謝をして、もっと低くすることにします。

   低くすると空が広くみえます ・・・

 

 


今日は庭の大改修を!

2006年09月04日 | Weblog

 今日も庭の改修をしましたが、見かけ上は大きな変化はないかもしれません。 しかし、私とお母さんに午前中はシルバー人材センターの方1名、午後は2名を頼んでの作業でした。

                 

  庭師は、軒下のこうした構造を「犬走り」と言います。         

  これまでの犬走りは中に入っている砕石(お金持ちになったら「那智の黒石」などを使おうと思います)が高い位置にあり、あふれて庭の砂利の上に流れてしまうのです

  そこで、犬走りを15cmほど掘り下げて、玄関前の砕石を運びあふれない程度に入れました。

   

    何故こうした作業をしたのでしょうか

    勿論、砕石が庭に散らばらないようにしたのですが、玄関前の砕石をよせなければならなくなったからです。玄関前に敷石を敷くためです

   さらに、草を防ぐために、裏庭の砂利の部分にコンクリートを敷き、その上に砂利をのせるためです。

  その為には、犬走りは完璧で美的でなければならないのです。半永久的に、この状況は残るからです

    こうすることで、今後玄関前や裏庭の一部の草取りの難儀や費用が必要なくなります。

    今日がその作業の初日でした

    これらの作業は10月末に完成します

    小屋までの通路などもコンクリートで固めるので、石組みも完璧で美的でなければなりません。

 

   庭師とガーディナーは、将来のために10月まで頑張ります 

 

 

          

                         

           今日の綺麗どころさんです

 

 

 


Bフレッツのスピードは?

2006年09月03日 | Weblog

 明日までは何もなく休日です。 今日も午後は刈り込みを、坪庭の生け垣の刈り込みです 

                              

   例の電動の刈り込みバリカンです。かなり刈り込み若干透けて見えますが、まだ9月初旬、間もなく埋まると思います。

   今回はコードを刈ってしまうことはありませんでした

  お母さんの感想は「高過ぎるのでは」と、その通りです

   生け垣(垣根)が高過ぎると空が見えません。やはり空はできるだけ広く見えた方がいいです                         

   (誰かが「そらみろ」といったような気がしますが、それは「そらみみ」かな  )

   先日(8月30日)我が家はBフレッツに移行し、その日のブログに、仕事に来て下さった方が「ISDNから光Bフレッツに代えると100倍ほど速くなると」話したと掲載しました。

   しかし、それには間違いがあることが分かりました

   ブロバイダーのINKOCさんと、NTT東日本秋田支店に電話し、これまでのISDNからBフレッツに代えたことでどれだけスピードが速くなったのかを教えてもらいました。

   ブロバイダーのINKOCさんは、「これまでのISDNの通信速度は64Kbpsで、Bフレッツは10~20Mbps位です」ということでした。

   NTT東日本秋田支店の今次誠意をもって担当して下さったTさんは、「ISDNの通信速度は64K(キロ)bpsで、Bフレッツでは最大100M(メガ)bpsですが、環境によるので50M(メガ)bps位に考えて下さい」という返事でした。

   NTT東日本から委嘱されて来ていた光班の2人の会話に(接続が終わってテスト時に)「56は出ているよ」ということがあり、パソコンの画面に56の数字があったことを私は覚えています。つまり我が家の通信速度は、56M(メガ)bpsなのです。

   見たことを信じ、話をしたAさんを信じなければ良かったのですが・・・、念を押してINKOCさんのM・TさんやNTTのK・Tさんに確かめると、話をしたAさんの単位も数値も間違っているという事でした

  56×1000÷64=875 

   私のパソコンはBフレッツ(光)にしたことで、今までの875倍速くなったということのようでした・・・。

    正しいかな

 

 

 

 

 

 

 


今日はのんびり、庭師は庭に・・・!

2006年09月02日 | Weblog

 研修視察も終わったので、久々にゆっくりの日です。午前中は庭木の刈り込みをしました。

             

  昭和47年におじいちゃんが我が家を新築した時に、記念に植えた「ツゲ」の木です。

   頭が大きすぎるので、大分刈り込みました。まだ上の枝が大き過ぎるので、今後(一気にはできないので)年次で修正していこうと思います・・・

 

                   

   昨日の研修視察旅行の最初は、大鰐町(青森県)の大円寺でした。この真言宗のお寺さんの御本尊は大日如来であるとされています。(大正9年には国宝「大日如来」の指定を、昭和27年には国の重要文化財になっています。)

                    

  正面の黒い仏様が大日如来様です。しかし、この仏様は実は大日如来様ではなく阿弥陀如来様です。

   (その下が御不動様でその右下が大日如来様、左下が愛染明王様です)

  印相(手や指の組み方)が弥陀定印で、この印相は阿弥陀如来しか組みません。

  何故、阿弥陀如来が大日如来として信仰されてきたかは謎と

されていました。私も本当に不思議でなりませんでした

   昨日初対面の和尚様に解説のお願いをしたとき「何故、阿弥陀如来が大日如来として信仰されてきたのかということと、平泉の藤原清衡が外が浜(青森市・油壺付近)までの道(奥大道とか奥の大道という)を作った時、その道は大鰐を通っているので、大日堂(道を守る)として祀られていないかどうか」についても説明をお願いしました

  和尚様は私の方を見て丁寧に説明して下さいました。

    「平安時代の初期では、浄土信仰(本尊は阿弥陀如来)が行われていましたが、最澄・空海の天台・真言宗の密教(本尊は大日如来)が広がり、大日信仰の中でこれまでの阿弥陀如来も大日如来として信仰された」というのです。「藤原文化がこの地に大日信仰をもたらしたのでしょう。新しくコンクリートでお堂を造る前は木造の大日堂として祀れれていた」ということでした

  昨日次の文章(大鰐町史執筆委員長船水潔氏)を見つけました。

  「なぜ阿弥陀如来を大日尊と称したかについて、元禄15年(1702)の『真言行人縁起』に、本尊阿弥陀といえども、俗称大日、即ち不二の瑞(しるし)現る。故に今に於いても大日と称し、自他これを信じると記されている。このように密教寺院では、阿弥陀如来を大日如来とみなすことに不思議はないという。」

  この文章を読んで、先の下調べ時にこの大円寺の受付(お札売り)の方にこの謎について聞いた時「大日如来様はお不動様に姿を変えたり、阿弥陀様に姿を変えたりすると和尚様より聞いています」と話されたのですが、それはこうした意味だったのかと納得しました

  我が師の大先生にお聞きした時、「天台宗には阿弥陀如来と大日如来の合体論があるよ」と教えて下さいましたが、元禄記には確かに阿弥陀如来を大日如来とみなして信仰することが行われていたのだと思います。それほどに密教信仰が強かったのだと思います

                    

    この和尚様はとても面白い方です。陽気な?方です。

    ここではこうして拝むのですよ、と大日如来様(阿弥陀如来様)に向かって、神様を拝むように大きな音で両手を打ったのです。誠に不思議な光景でした。そして笑いながら「向こうで(本堂で)お葬式をする時は手を合わせて拝みますよ」と話したのです。

  ここはお寺、和尚さんが手を打って、仏様を拝んだのです。

 旧比内町(現秋田県大館市)独鈷の大日堂では、神主さんが手を打って、仏様(大日如来様)を拝みました。

   鹿角市小豆沢の大日堂は、大日霊貴(おおひるめむち)神社となっており、神主さんが手を打って拝みます。参拝の方も手を打って拝みます。

  弘前市の久渡寺では、和尚さん(真言宗)が祈祷をし、参拝者は手を打って、オシラ様を拝みます。

   どうにも変ですが、明治新政府の神仏判然令(1868年3月)が、そしてその後の廃仏き釈運動 の産物なのではないでしょうか・・・

    この和尚さんは説明が終わったら、襖絵を見て下さいと案内して下さいました。

  最近檀家さんの寄付でお寺の改修が行われ、白神山地や十和田湖や、奥入瀬などの襖絵を油絵の画家に描いてもらったのだそうです。

   なかなかに素晴らしい絵で、大変素晴らしい和尚様でした

 


研修視察です!

2006年09月01日 | Weblog

 長い時間をかけて準備してきた市文化財保護協会の会員研修視察が、今日実施です。

       

  この方は、弘前市長勝寺の御本尊である釈迦3尊像の左脇におわします「達磨大師」さんです。

  今回の視察の事前調査に3回出かけたのですが、ここ「長勝寺」は拝観料300円ということで当日の予約をし、実際には中には入っていませんでした

   長勝寺は本堂を改修中で、御本尊釈迦3尊像や「達磨大師」他たくさんの仏像は庫裏に仮安置で、触れるほどの超間近にありました。その中でもこの「達磨大師」さんは強烈な印象でした。

   ご存知の通り達磨さんは石の上にも3年、足が無くなるまで座り続けて悟りを開いた人です。

   お釈迦さんのお弟子さんの中には自分の名前も覚えていれないほどに物覚えが悪い人が居り、お釈迦さんは毎日の掃除を言いつけたました。

  そのお弟子さんは掃除に徹することで悟りを開くことができ、お釈迦さんの16人のお弟子さんに加えて頂いたそうです。そのお弟子さんが亡くなり、そのお墓の周りにそれまで無かった植物が育ったそうです。それが「茗荷(みょうが)」だそうです

  「諦めずに頑張ること」の大切さを諭(さと)しておられると思います。

   私も諦めかけている古文書解読を(仕事ではなくなったのですが)、通信教育等で学び続けて行こうと思っています。達磨さんのような顔はしないけど、頑張り続けようと思います

 

              

   長勝寺御本尊釈迦3尊像です。

  出番を遅らせてしまい(脇侍の達磨さんより)申し訳ありませんでした。修復工事が終わるとこんなに間近に拝ませて頂くことは出来ません。・・・工事中であったことに感謝します

  ここ長勝寺は津軽家の菩提寺で、津軽の若殿様のミイラがあったお寺で有名ですが、津軽家代々の霊屋も5つあります。

  津軽初代藩主、津軽為信公のの霊屋(お墓)がありました。しかし津軽為信公ご自身の霊屋(お墓)はここ長勝寺にはありませんでした。

 

                    

  ここは革秀寺(弘前市内)です。

    革秀寺の和尚様が説明をして下さっているのが津軽為信公の霊屋の内部です。中央の石造物が墓石です。

  為信公は京都で亡くなったので、京都で火葬になりこの革秀寺にはお骨が、この墓石の下に埋葬されているのだそうです。

   奥様のお墓は長勝寺に、旦那様の為信公のお墓は6km位離れた革秀寺にありました。

  私は、長勝寺でも革秀寺の和尚様にも、何故そうなのか同じ質問をしました。

    両者の答は双方全く違っていました

  ここでは長くなるので控えますが、どちらが正しいのかは今後検討しなければならない課題となりました。・・・さほどは難しくないと思います。

  今回の研修視察を計画し、下見に行ったりで勉強になりましたが、関わると更に課題が・・・諦めた時が終わり、諦めず楽しんで取り組みたいと思います