☆☆☆ おはなし工房イーダの活動
ここ何日か風邪をこじらせ思うように体が動かない私でありますが、昨夜は十時過ぎから爆睡し、そのせいか4時過ぎには目が覚めてしまい、ごそごそとメールのチェックなどをして、今このブログを書いています。
前々から「紙芝居フェスタ」の全国大会を松山で開催したいといわれていた「おはなし工房イーダ」が、生命保険会社の寄附講座に採択され着実な活動をされておられます。
昨日は、その二回目の講座に呼ばれたのですが、その盛況ぶりに驚きました。
そして、講師は紙芝居の世界ではカリスマと呼ばれる右手先生です。
大変失礼な話ですが、私自身、先生の存在を知ったのは、おはなし工房イーダを通してであります。
すごいとは聞いていましたが、子どもの頃、自転車の荷台に紙芝居を積んでやってきたおじさんが笛を吹くと、どこからともなく子供たちが集まってきて、水あめだとかわらび餅をほおばりながら、食い入るように見ていた、そんなイメージしかない紙芝居が。
本当に驚きました。
紙芝居の奥の深さには。
右手先生は、紹介の中で劇団・四季にもおられたようで、そのかたり口調は落語家を髣髴(ほうふつ)させる感じでした。
「紙芝居の語り手は、役者であり演出家でなければなりません。」
その話に吸い込まれるように、聞き入ってしまいました。
場面場面のボードの動かし方、引き抜き方、間のとり方、どれもこれも頷(うなづ)くばかりでした。
そして、気づいたのが、これは立派なコミュニケーション上達のツールになるなと。
思えば、地域力の低下の一つに人と人とのコミュニケーション不足があります。
その原因には、コミュニケーションを交わす時間が足りないとか、うまく表現できないとか、様々だとは思いますが、この紙芝居の上達はコミュニケーションの上達につながると強く感じました。
内心「これは、いける。」
想像をしてみてください。
自分の思いが相手にしっかり伝わる。
右手先生の話の中でアメリカ講演のときに、「絵」と「擬音」だけでも言葉がわからなくとも十分伝わったというお話がありました。
まさに、コミュニケーションは心を伝えることで、そこに感動があれば十分伝わるんだと。
周りの人から、よく「熱くなりすぎ。」と言われるのですが、そうか私は感動を伝えたかったのかと再認識しました。(自己弁護ですが...)
今、松山では「紙芝居のコミュニティ」はありません。
まさにこれから興していくのですが、決して行政の押付けにならないようにしていこうと思っています。
なぜなら、今回の件は、おはなし工房イーダの持ちこみ企画であり、そこに肉付けしていくためには、どのようにネットワークを広げていけばいいのか、また資金調達は行政というよりも社会貢献活動をしてくれている企業の賛同などもいただきながら支援していきたいと思っています。
このことこそが、個人的に言っている「価値観コミュニティ」ではないのかと。
私たちは、この価値観コミュニティを地域コミュニティに取り込むことができれば、新たな地域コミュニティの後継者を育成することができます。
そのためには、途中から自立してもらうのではなく、最初から自立してもらう意識でがんばっていただく。
行政は、そこに自由とともに考える知恵を授ければいいと思うのです。
そして何よりも、この活動は、「わかりやすいし、楽しい」
また、松山の歴史文化に育まれた「語り部力(かたりべりょく)」の底力が発揮できると思います。
心底思うのは、「子どもたちのために」
そして、紙芝居を見ている時の子どもたちの輝く瞳を見てみたいと思いません?
ここ何日か風邪をこじらせ思うように体が動かない私でありますが、昨夜は十時過ぎから爆睡し、そのせいか4時過ぎには目が覚めてしまい、ごそごそとメールのチェックなどをして、今このブログを書いています。
前々から「紙芝居フェスタ」の全国大会を松山で開催したいといわれていた「おはなし工房イーダ」が、生命保険会社の寄附講座に採択され着実な活動をされておられます。
昨日は、その二回目の講座に呼ばれたのですが、その盛況ぶりに驚きました。
そして、講師は紙芝居の世界ではカリスマと呼ばれる右手先生です。
大変失礼な話ですが、私自身、先生の存在を知ったのは、おはなし工房イーダを通してであります。
すごいとは聞いていましたが、子どもの頃、自転車の荷台に紙芝居を積んでやってきたおじさんが笛を吹くと、どこからともなく子供たちが集まってきて、水あめだとかわらび餅をほおばりながら、食い入るように見ていた、そんなイメージしかない紙芝居が。
本当に驚きました。
紙芝居の奥の深さには。
右手先生は、紹介の中で劇団・四季にもおられたようで、そのかたり口調は落語家を髣髴(ほうふつ)させる感じでした。
「紙芝居の語り手は、役者であり演出家でなければなりません。」
その話に吸い込まれるように、聞き入ってしまいました。
場面場面のボードの動かし方、引き抜き方、間のとり方、どれもこれも頷(うなづ)くばかりでした。
そして、気づいたのが、これは立派なコミュニケーション上達のツールになるなと。
思えば、地域力の低下の一つに人と人とのコミュニケーション不足があります。
その原因には、コミュニケーションを交わす時間が足りないとか、うまく表現できないとか、様々だとは思いますが、この紙芝居の上達はコミュニケーションの上達につながると強く感じました。
内心「これは、いける。」
想像をしてみてください。
自分の思いが相手にしっかり伝わる。
右手先生の話の中でアメリカ講演のときに、「絵」と「擬音」だけでも言葉がわからなくとも十分伝わったというお話がありました。
まさに、コミュニケーションは心を伝えることで、そこに感動があれば十分伝わるんだと。
周りの人から、よく「熱くなりすぎ。」と言われるのですが、そうか私は感動を伝えたかったのかと再認識しました。(自己弁護ですが...)
今、松山では「紙芝居のコミュニティ」はありません。
まさにこれから興していくのですが、決して行政の押付けにならないようにしていこうと思っています。
なぜなら、今回の件は、おはなし工房イーダの持ちこみ企画であり、そこに肉付けしていくためには、どのようにネットワークを広げていけばいいのか、また資金調達は行政というよりも社会貢献活動をしてくれている企業の賛同などもいただきながら支援していきたいと思っています。
このことこそが、個人的に言っている「価値観コミュニティ」ではないのかと。
私たちは、この価値観コミュニティを地域コミュニティに取り込むことができれば、新たな地域コミュニティの後継者を育成することができます。
そのためには、途中から自立してもらうのではなく、最初から自立してもらう意識でがんばっていただく。
行政は、そこに自由とともに考える知恵を授ければいいと思うのです。
そして何よりも、この活動は、「わかりやすいし、楽しい」
また、松山の歴史文化に育まれた「語り部力(かたりべりょく)」の底力が発揮できると思います。
心底思うのは、「子どもたちのために」
そして、紙芝居を見ている時の子どもたちの輝く瞳を見てみたいと思いません?