容疑者Xの献身
昨夜、映画「容疑者Xの献身」を観て来ました。
あらすじは、サイト(http://www.bunshun.co.jp/galileo/yougisha-x/index.html)から引用すると次のとおりです。
「天才数学者でありながら不遇な日々を送っていた高校教師の石神(堤 真一)は、
アパートの隣室に一人娘と暮らす靖子(松雪泰子)に秘かな想いを寄せていた。
靖子は、元夫の富樫にしつこくつきまとわれ、発作的に自室で彼を
殺してしまう。
警察への自首を覚悟した靖子だったが、殺害に気づいた石神は、
彼女たちを救うため、完全犯罪を企てる。
そして、靖子にこう言うのだった。「私の論理的思考にまかせて
ください」草薙刑事(北村一輝)から事件のあらましを聞いた帝都大学理学部の
助教授、ガリレオこと湯川 学(福山雅治)は、関係者の中に懐かしい名前が
混じっていることに気づく。
帝都大学の同期生で、湯川が唯一天才と認めた男、石神哲哉だった。」
この映画の中で印象的だったのは、主人公の湯川(福山雅治)が言った台詞です。
「数学は、理論を論理的に考察していけばいいから、さまざまな角度から物事が見れるが、物理学は立てた仮説を一つづつ実証し、積み上げていかなければならない。」
そのとおりだと思いました。
一方、今回ノーベル物理学賞を日本人が3人受賞し、さらに化学賞も日本人が受賞しました。
本当に快挙です。
そして、ある報道では、今の教育ではノーベル賞はもらえなくなるだろうと嘆く記事も目にしました。
でも、今回物理学賞を受賞された科学者の功績は、基礎理論であり、それを全世界の彼らよりも若い科学者が実証してきた結果なのではないでしょうか。
たしかに、理論がなければ応用へとは広がりません。
しかし、ノーベル賞を受賞する科学者も素晴らしいのですが、その仮説を実証していった科学者も素晴らしいと思いませんか。
名もなき科学者を育てるのも教育であるということですよね。
昨夜、映画「容疑者Xの献身」を観て来ました。
あらすじは、サイト(http://www.bunshun.co.jp/galileo/yougisha-x/index.html)から引用すると次のとおりです。
「天才数学者でありながら不遇な日々を送っていた高校教師の石神(堤 真一)は、
アパートの隣室に一人娘と暮らす靖子(松雪泰子)に秘かな想いを寄せていた。
靖子は、元夫の富樫にしつこくつきまとわれ、発作的に自室で彼を
殺してしまう。
警察への自首を覚悟した靖子だったが、殺害に気づいた石神は、
彼女たちを救うため、完全犯罪を企てる。
そして、靖子にこう言うのだった。「私の論理的思考にまかせて
ください」草薙刑事(北村一輝)から事件のあらましを聞いた帝都大学理学部の
助教授、ガリレオこと湯川 学(福山雅治)は、関係者の中に懐かしい名前が
混じっていることに気づく。
帝都大学の同期生で、湯川が唯一天才と認めた男、石神哲哉だった。」
この映画の中で印象的だったのは、主人公の湯川(福山雅治)が言った台詞です。
「数学は、理論を論理的に考察していけばいいから、さまざまな角度から物事が見れるが、物理学は立てた仮説を一つづつ実証し、積み上げていかなければならない。」
そのとおりだと思いました。
一方、今回ノーベル物理学賞を日本人が3人受賞し、さらに化学賞も日本人が受賞しました。
本当に快挙です。
そして、ある報道では、今の教育ではノーベル賞はもらえなくなるだろうと嘆く記事も目にしました。
でも、今回物理学賞を受賞された科学者の功績は、基礎理論であり、それを全世界の彼らよりも若い科学者が実証してきた結果なのではないでしょうか。
たしかに、理論がなければ応用へとは広がりません。
しかし、ノーベル賞を受賞する科学者も素晴らしいのですが、その仮説を実証していった科学者も素晴らしいと思いませんか。
名もなき科学者を育てるのも教育であるということですよね。