走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

江戸時代の教育

2008年10月21日 21時34分08秒 | その他
 教育の原点

 最近、江戸時代の教育にとても関心があります。
 江戸時代は「士農工商」という身分制度が確立され、250年近くもその社会制度が継続されたかのように見えますが、実はこの社会制度は徐々に崩れはじめ、天下泰平になってきた頃には既に実態とは異なってきていたと思うのです。

 身分制度のトップにいた武士が実は経済的にはそれほどゆとりがあったわけではなく、むしろ経済的には一番負担を強いられていたと思われます。
その要因としては、参勤交代などの支出や支給される給金が物価スライドにあっていなかったなど、さまざま考えられます。

 しかもこの頃は、米が基軸通貨だということが武士をさらに経済的に追い込むことになったと思うのです。
 米は、自然環境の変化によってその価値が変動します。
 つまり、同じ一両が天候不順などの影響により価値が変動するということです。
 そして、身分制度の一番下に位置づけられていた商人は、世界最初に米の先物市場を発明し、その変動をうまく利用して利益を得ていました。
さらに、これによって得た利益で金融業を行い、また利益を得るという構図でした。

 でも、商人がなぜこれほどまでに賢かったかです。
 私は、市井の寺子屋の存在が大きかったのではないかと思うのです。
 読み書きと算盤(そろばん)を教えるシンプルな教育機関だったと思うのです。
 寺子屋が商業に若いエネルギーを流入させる役割りを担っていたと思うのです。

 また、最近、この二つ(読み書きと算盤)が本当に大切だと思うようになりました。
 特に低年齢児ほど、算数と漢字の書き取りを徹底的に教えるだけで学力がちがってくるのではないかと思うようになったのです。
何よりも計算と漢字が書けたり、読めるようになるだけで身近な世界がグーンと広がるのです。

 なぜ、このような能書きを並べるかというと、今取り組んでいるアフタースクール(放課後子ども教室)で、このことが学べる環境を整備しようと思っているからです。
アフタースクールは、放課後の子どもたちの安心安全な居場所づくりとしてスタートしたのですが、その場所で子どもたちの夢の可能性が膨らむためには何をすべきかを、今、一生懸命考えています。