走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

日本の文化

2008年02月08日 22時28分38秒 | その他
☆★☆ 文化が及ぼす動機

 今、消費の世界で変化が起こっているといわれています。
というのも、どうやら今までのようなマスで売る売り方には限界がきているというのです。
今まではマスマーケットを前提としたQ(品質)・C(コスト)・D(納期)を追求すれば商品は売れると信じていた感があります。
確かに高度成長期のように、作った端から売れる時代ならそれでもよかったのでしょう。

 我が国の消費市場は、一億総中流といわれたマス市場は、今や二極分化しつつあり、アッパー(上位層)とアッパーミドル層(中産階級の上位の層)はモノの高機能と低価格だけでは満足しなくなったというのです。
では、何によって購買動向につながるのでしょうか。
それは、自分にとって美しく楽しい、癒されるといった彼らの感性に訴えるものだといわれています。

 つまり、異なる文化を融合させ、新たな「美」を創造したものに対して心動かされるということだと思うのです。いわゆる「心の時代」に入ってきたのだと思うのです。それが消費者を魅了するというのです。

 ここで言う「美」とは、感性が捉えるものという意味でしょうか。
ある本で、江戸時代に我々の祖先が生み出した文化というのは、当時のヨーロッパの最先端を走るデザイナーたちをハッとさせるような高度の文化に達していたといわれています。
 また、現代、日本のアニメが先進国、途上国を問わず広く受け入れられています。「日本はかわいい(ジャパンクール)」という評価が高まっています。
それは日本人が伝統的に育んできた自然と、そして人と人とが共生するという考え方「共生の思想」とそれに基づく深い精神性に世界の人たちが気づき、共感し始めたということではないでしょうか。

明治維新以降、私たちは欧米文化を良しとして「美」をおざなりにしてきたと思うのです。

 文化は、新しいものを取り入れ純化させていく仕組みと、頑なに守り続けるという仕組みの融合だと私は思います。
このことは、地域活動につながっていると思っています。
時として、新しいものを拒み、一方で新しいものを取り入れようとするメカニズムが地域の体質の中にはっきりと存在すると思います。

 今、地域活動を元気にしようとしていますが、その中に深い精神性といった「美」を絡める必要があると思う今日この頃です。

北風と太陽(そのⅡ)

2008年02月07日 04時31分39秒 | その他
☆☆☆ 格差社会の弊害

 格差社会が広がりつつあります。
 それによって何を一番心配しているかというと、格差社会が子どもたちの学力格差に直接影響してきているということであります。
 例えば、教育費は一定割合支出するとしても所得が異なると教育費の額は自ずとちがってきます。
問題なのは、社会が生み出した格差社会により、子どもの未来の可能性にも格差がつくということです。
これは由々しき問題ではないでしょうか。


★☆☆ なぜ格差社会は生まれたか?

 そもそも格差社会が生まれた原因については諸説ありますが、日本という国は、平等は経済という市場から生まれると誤解していたからではないかと思うのです。
というのも、私は前職が経済部門でしたから、自らを自戒すると、そう考えることが多かったからです。
そして、バブル後の経済の停滞、そして市場原理優先主義や非正規労働者の増加が重なった結果、格差社会が生まれたのではないでしょうか。

 それは、まるで右肩上がりを前提とした米国のサブプライムローンに似ていませんか。
なにが言いたいかというと、日本という国は所得の平等ということをおざなりにして、成長に邁進しすぎていないでしょうか。
 一方で既得権ばかりを主張し、所得の不平等さに目を背けているような気がします。
 恐らく、成長と所得の平等は両立できないと思い込んでいるためではないでしょうか。

 我が国の雇用の確保と所得の平等は、企業に依存してきたと思うのです。
当然、企業は自己実現のためにありとあらゆる手法でそれを目指すのです。
これは当たり前のことなのです。

 大切なことは、雇用の創出拡大政策は、行政が取り組まなければならない最重要課題なのです。
そして、それを行動に起こす時に、前提として所得の平等を意識しておかなければならないということです。
実は、どのような有能な経営者でも、この両立を意識して経営にあたる人は皆無に等しいのです。(考えると経営が破綻する可能性があります。)
このことこそが、利害を有しない行政の立場の人間が考えることだと思うのです。

 では、本当に両立できるのかと問われれば自信を持ってできると言えます。
先進事例として、北欧(スウェーデンしか知らないのですか、最近、他の国も少しですが調べてて思うのです。)では、地域社会システムの中にワークシェアリング(失業者数を減らすために,一人当たりの実労働時間を減少することで,有給の雇用労働の総量を多くの人で分かち合うこと。)を上手に組み合わせていました。

 地域再生は、歳入をいかに増やすかにあるのですが、間接的には雇用の創出拡大は消費の拡大につながるという大事な政策なのですが、労働行政は国を中心に都道府県までしか権限が及びません。
 でも、市民に一番近い市町村こそ、このことに真剣に取り組む必要があると思うのです。
具体的なプログラムは行政秘密(企業秘密に対して行政も都市間競争をしているわけですから有効なプログラムを全部公開する必要はないという持論からこの言葉をあえて使っています。)ですから、まだ明かすことはできませんが、大事なことは格差社会の是正に取り組むということは、子どもたちの未来の可能性を広げるということです。

北風と太陽(そのⅠ)

2008年02月06日 22時33分38秒 | その他
★★☆ 童話から学ぶ

 難しい話は苦手であります。
 ですから、部下などを指導するときには、できるだけわかりやすく話すようにしています。
 例えば、時に童話から引用したり、下ネタ系であったりします。(下ネタ系は結構受けます。)

 そして、最近、よく例えるのが「北風と太陽」です。
北風と太陽が旅人のコートをいかに脱がせるかを競う話なのですが、人の心を動かすのにどうすればいいかという例えによく使います。
なぜなら、地域活動は一人でも多くの人の心を動かすかにあるからです。

どのように引用するかと言いますと、こうです。
 「ええかい、『北風と太陽』という話を知っとるか?寒い北風をいくら
  吹かせても旅人はかえってコートを着込むんよ。コートを脱がすため
  には、温かい太陽の日差しをポカポカ当てんとコートを脱いでくれん
  のじゃが。ええか?人の心も旅人のコートと同じじゃけん。嫌がる心
  を嫌がる方法でいくら押してもコートは脱がんのぜぇ。旅人がコート
  を脱ぐとしたら、自らが知らん間にコートを脱ぐような方法を一生懸
  命考えないかん。人にはプライドちゅうもんがあり、それを傷つけた
  り、脅かすとコートを着込むんで。」

そして、落ちは必ずこう続ける。
 「ワシらの仕事はどこにおっても、何をやってもまちづくりじゃがな。
  税金をいかにうまくとるかを考えるより、いかに税金を納めがいが
  ある地域やと思ってくれるまちにするかに、かかとるんじゃないか
  あ。」と
  

「蟻とキリギリス」のキリギリス

2008年02月05日 00時11分23秒 | その他
★★★ 本当に怖いこと

 ここのところ中国の加工食品が物議をかもしていますが、日本人はどうしても自分たちと同じ顔かたちをしていると考え方まで同じだと誤解してしまいます。
でも、日本から一歩でも出れば同じアジア人でも考え方は全くちがうということに気づくべきでしよう。

 日本人のような超アナログ民族は世界的にも稀有なのであります。
例えば、何も書いていない行間を読み取るなんてわざは日本人しかできないんじゃないかと思う時があります。
「阿吽(あうん)」の関係、外国では通じない人間関係のような気がします。

 この中国の問題がどう決着するのかはわかりませんが、間違いなく中国は国家レベルで対応してくることでしょう。
そして、最後は我が国は何にも悪くないと言い張ることでしょう。
その時に日本は国として何をするのでしょうか。

 私たちは知らない間に中国にたくさんのことを依存しています。
 なぜ、そのようなことになったのでしょうか。

 スウェーデンに行ったときに、食料自給率を聴いて驚きました。
ほとんど自国で賄えるだけの自給率を達成していたからです。
一方、我が国の自給率は40%を切ってしまいました。
なぜ自給率をそこまであげる必要があったのか尋ねたところ、「私たちの幸せは、中国の不幸せの上に成り立っていた。そして、これから中国は幸せになっていくことだろう。今度は我々が不幸になる番だからだ。」

 日本は自分たちの幸せのために中国を踏み台にしてきました。
そして、そのツケが、今じわりじわりとにじり寄って来たと思うのですが、われわれはどのような防衛策をとってきたのでしょうか。
これじゃあ、イソップ物語の「蟻とキリギリス」のキリギリスだと思いませんか。

超えたいハードル

2008年02月04日 00時05分57秒 | その他
★★★ 父親の存在

 先に紹介した映画「結婚しようよ」の中の台詞に「昔、父親という存在は壁でした。それは、高くて超えれそうもない壁でした。その見えない壁に向かって乗り越えるために必死でがんばったような気がします。」というのがありました。

 私は、今年、父が死んだ同じ年に並ぼうとしています。
実は、私もいつも届かぬ親父という壁に向かってがんばっているような気がします。
いつになったら、抜けるのだろうかと。
ある時から、諦めともつかぬ答を自分なりに出してしまいました。
「追い抜けんでも、追いつこう。なら近づけるためにがんばれる。」と。

 父は、学歴がないことをハンディキャップに思ってた感があります。
私が小学校の時、始めてローマ字を習い、家で練習をしていたら、その傍らで父もローマ字を書いていました。
「奉さん、教えてや。」
私はびっくりしました。
父は何でもできる人だと、その時までそう思っていたからです。
私は子どもでしたから、自慢げに父にローマ字を教えたものです。
後で気づいたのですが、父の仕事は外国から木材を輸入し、製材所に卸すという仕事の現場でしたから、木材にも書類にもアルファベットだらけだったのです。
ちょうどその会社に転職した頃でしたから、かなり困っていたんだろうと思います。

 父がその現場で事故死した後、遺品の手帳を繰ってみると、小学校時代の私が書いたローマ字を書いた紙が出てきました。

 父は、家族に対し自分の仕事がどれだけ危険で大変なのか、一度も感じさせたことがありません。
そして、勉強をすることに関してはお金を惜しまない人でした。(決して裕福ではなかったのに)
「人は、頭に入れたら盗まれんのやから、どんどん頭に詰め込んでいき。」
勉強したくともできなかった父の重みのある言葉です。


北条地区文化祭

2008年02月03日 16時54分46秒 | その他
★☆☆ 現場力の勝利

 今日は、北条地区で文化祭がありました。
 実は、北条地区の文化祭は二回目で、昨年から立ち上げたのですが、昨年と比べると比べようもないくらい盛況で、驚きました。

 昨年、同公民館の西原リーダーが、「今年は立ち上げでしたから、至らぬところがたくさんありましたが、来年はもっとがんばってにぎやかにしてみせますから。」と断言していたのが印象的でした。
 北条地区は、旧北条市の中で都市化が最も進み、地域の人たちの地域に対する帰属意識が希薄化し始めており、このようなイベントをしようとすると難しいことがたくさんあります。

 そのことを誰よりも感じていたのは、現場にいる西原君でしょう。
でも、彼はそういう環境の中でよくがんばったと思います。
あいにく、彼が裏方に回っていたので会うことが出来ませんでしたが、去年の彼の言葉をしっかりと受け止めて帰りました。

夢より大切なもの

2008年02月02日 22時55分06秒 | その他
☆☆☆ 映画「結婚しようよ」

 今日、オールナイトで映画「結婚しようよ(http://www.kekkon-movie.com/)」を見てきました。
 出演者としては、三宅裕司・真野響子・藤澤恵麻・AYAKO(中ノ森BAND)、金井勇太・中ノ森BAND(YUCCO・CHEETA・SHINAMON)、コザック前田(ガガガSP)・岩城滉一・モト冬樹・入江若葉、松方弘樹さんたちが出ていました。
監督は、佐々部清さんです。

 観ながら感じたことは、「平成版 小津安次郎監督の映画だ。」と。
日常の何気ないことをテーマに、何が大切かを笑いと涙で仕上げています。
(ここらあたりの表現は、むしろ山田洋二監督に似ているかな)
テーマは、「家族愛」。とても素敵な映画でした。
 そして、その反面、自分の半生にクロスオーバーした時に自分の至らなさや未熟さを思い知らされました。

 今、私は、社会教育や青少年の健全育成に携わる者として、大いに恥じなければならないことをやってきました。
そんな私でいいのかと思いながら、仕事をすることがあります。
でも、私が家族にしてやれなかったことを地域社会の中で増やすことはできるかもしれない。
そう思いながら、日々仕事をしています。

 そして、この映画の全編に流れていた吉田拓郎さんの懐かしいメドレーについ口ずさんでいました。
本当にいい映画ですよ。
40代、50代の方は、必見ですよ。

 映画のキャッチコピー
 「夢を捨てたんじゃない。夢より大切なものを見つけただけなんだ。」

新しいコミュニティ

2008年02月01日 04時39分40秒 | その他
☆☆☆ おはなし工房イーダの活動

 ここ何日か風邪をこじらせ思うように体が動かない私でありますが、昨夜は十時過ぎから爆睡し、そのせいか4時過ぎには目が覚めてしまい、ごそごそとメールのチェックなどをして、今このブログを書いています。

 前々から「紙芝居フェスタ」の全国大会を松山で開催したいといわれていた「おはなし工房イーダ」が、生命保険会社の寄附講座に採択され着実な活動をされておられます。
昨日は、その二回目の講座に呼ばれたのですが、その盛況ぶりに驚きました。
そして、講師は紙芝居の世界ではカリスマと呼ばれる右手先生です。
 大変失礼な話ですが、私自身、先生の存在を知ったのは、おはなし工房イーダを通してであります。

 すごいとは聞いていましたが、子どもの頃、自転車の荷台に紙芝居を積んでやってきたおじさんが笛を吹くと、どこからともなく子供たちが集まってきて、水あめだとかわらび餅をほおばりながら、食い入るように見ていた、そんなイメージしかない紙芝居が。

 本当に驚きました。
紙芝居の奥の深さには。
右手先生は、紹介の中で劇団・四季にもおられたようで、そのかたり口調は落語家を髣髴(ほうふつ)させる感じでした。

 「紙芝居の語り手は、役者であり演出家でなければなりません。」
 その話に吸い込まれるように、聞き入ってしまいました。

 場面場面のボードの動かし方、引き抜き方、間のとり方、どれもこれも頷(うなづ)くばかりでした。
そして、気づいたのが、これは立派なコミュニケーション上達のツールになるなと。

 思えば、地域力の低下の一つに人と人とのコミュニケーション不足があります。
その原因には、コミュニケーションを交わす時間が足りないとか、うまく表現できないとか、様々だとは思いますが、この紙芝居の上達はコミュニケーションの上達につながると強く感じました。
内心「これは、いける。」
 想像をしてみてください。
自分の思いが相手にしっかり伝わる。
右手先生の話の中でアメリカ講演のときに、「絵」と「擬音」だけでも言葉がわからなくとも十分伝わったというお話がありました。
まさに、コミュニケーションは心を伝えることで、そこに感動があれば十分伝わるんだと。
 周りの人から、よく「熱くなりすぎ。」と言われるのですが、そうか私は感動を伝えたかったのかと再認識しました。(自己弁護ですが...)

 今、松山では「紙芝居のコミュニティ」はありません。
まさにこれから興していくのですが、決して行政の押付けにならないようにしていこうと思っています。
なぜなら、今回の件は、おはなし工房イーダの持ちこみ企画であり、そこに肉付けしていくためには、どのようにネットワークを広げていけばいいのか、また資金調達は行政というよりも社会貢献活動をしてくれている企業の賛同などもいただきながら支援していきたいと思っています。

 このことこそが、個人的に言っている「価値観コミュニティ」ではないのかと。
私たちは、この価値観コミュニティを地域コミュニティに取り込むことができれば、新たな地域コミュニティの後継者を育成することができます。
そのためには、途中から自立してもらうのではなく、最初から自立してもらう意識でがんばっていただく。
行政は、そこに自由とともに考える知恵を授ければいいと思うのです。

 そして何よりも、この活動は、「わかりやすいし、楽しい」
 また、松山の歴史文化に育まれた「語り部力(かたりべりょく)」の底力が発揮できると思います。

 心底思うのは、「子どもたちのために」
 そして、紙芝居を見ている時の子どもたちの輝く瞳を見てみたいと思いません?