(本文と写真との間には、何の関係もありませんし、何の意味もありません)
日本という国は、いつから始まるのか。
なんせ文字も何もない時代の話だから、はっきりしたことはわからない。
しかし、その参考となるものはある。
それは「古事記)であり「日本書紀」である。
というと、この「古事記)にしろ「日本書紀)にしろ、後々の時代になって当時の権力者によって都合のいいように書かれたものであり、あまりあてにはならない、という意見はあるだろうし、それはもっともなことだとは思う。
なんせ、この「記紀」が正しいのだとすれば、神武天皇の即位したのは、弥生時代の話になり、考古学の発掘などから、その時代にそんなことがあったなんてのは、明らかに矛盾しているということは証明されているのだろう。
しかしながら、いくら作り話とはいえ、少なくとも当時の公式な国の歴史である。「火のないところに煙はたたない」というが、それらしいことはあったと思うし、この「記紀」に記述されていることが100%の作り話や嘘ばかりとは思えない。
たとえば、有名な「国譲り」の話にしても、後の大和政権がその勢力圏を拡大していく過程を示しているのではないか、と思うし、そう思えば、天津神と大国主命の息子が力比べをしたという記載があるように、よく言われる話し合いで平和裏に行われたばかりでなく、やはり武力での征服したこともあったのだろう。
さて、そうなると、昨今、聖徳太子の実在の有無が取りざたされることが多いのだが、正直、バカバカしい話で、そんなものは実在しているに決まっていると思っている。
聖徳太子の業績とされる「憲法17条」や「冠位12階」などを、彼一人がやり遂げたということに対する反論には、確かに理解できないものがないではないが、少なくとも、そのモデルとなった人物は、いたのではなかろうか。
また、彼の業績の多くが、彼が成し遂げたものでなかったとしても、少なくとも、そのモデルの人物の監視下やそれに近い形で成し遂げられたものではなかったのか、と思う。
日本という国は、いつから始まるのか。
なんせ文字も何もない時代の話だから、はっきりしたことはわからない。
しかし、その参考となるものはある。
それは「古事記)であり「日本書紀」である。
というと、この「古事記)にしろ「日本書紀)にしろ、後々の時代になって当時の権力者によって都合のいいように書かれたものであり、あまりあてにはならない、という意見はあるだろうし、それはもっともなことだとは思う。
なんせ、この「記紀」が正しいのだとすれば、神武天皇の即位したのは、弥生時代の話になり、考古学の発掘などから、その時代にそんなことがあったなんてのは、明らかに矛盾しているということは証明されているのだろう。
しかしながら、いくら作り話とはいえ、少なくとも当時の公式な国の歴史である。「火のないところに煙はたたない」というが、それらしいことはあったと思うし、この「記紀」に記述されていることが100%の作り話や嘘ばかりとは思えない。
たとえば、有名な「国譲り」の話にしても、後の大和政権がその勢力圏を拡大していく過程を示しているのではないか、と思うし、そう思えば、天津神と大国主命の息子が力比べをしたという記載があるように、よく言われる話し合いで平和裏に行われたばかりでなく、やはり武力での征服したこともあったのだろう。
さて、そうなると、昨今、聖徳太子の実在の有無が取りざたされることが多いのだが、正直、バカバカしい話で、そんなものは実在しているに決まっていると思っている。
聖徳太子の業績とされる「憲法17条」や「冠位12階」などを、彼一人がやり遂げたということに対する反論には、確かに理解できないものがないではないが、少なくとも、そのモデルとなった人物は、いたのではなかろうか。
また、彼の業績の多くが、彼が成し遂げたものでなかったとしても、少なくとも、そのモデルの人物の監視下やそれに近い形で成し遂げられたものではなかったのか、と思う。