勃ちあがった象の白い涙の物語

ロックンロールにゃ老だけど死ぬにはチョイと若すぎる

再就職活動 苦悩編

2019-10-21 03:50:25 | Weblog
(本文と写真との間には、何の関係もありませんし、何の意味もありません)

2度目の再就職活動も4か月目。
正直、結果だけ見れば、一回目のそれより順調だとは思う。
週に数度は面接予定が入っているし、たぶんこのまま続ければ内定がもらえただろうけど、途中で辞退したところや、実際に内定ももらえたところなどの数を数えたら、二桁になるんではなかろうか。
しかし、まだ、就職先は決まらない。
条件面で折り合わなかったり、実際に面接で話をさせていただいての印象が、個人的には合わなかったりで、せっかくの内定を辞退したりしてしまっている。
正直、自分でも、本当に就職する気があるんだろうか、と疑問に思えるような態度であり、少し、自己嫌悪に陥ったりしてしまう。
また、ここは条件面もバッチリだし、印象もなかなかいいところは、総じてダメだったりして、なかなかうまくいかない。また、次の選考先が本命で、そこで内定を勝ち取ることに賭けて、せっかく内定をもらったのに辞退しながら、その次の選考先が、実際に面接を受けてみるとイマイチだったり、また、不採用だったりして、内定を辞退したことを後悔したりすることもあったりする。
なかなか、やはり、厳しいものだなぁ、とは思う。

最近読んだ本

2019-10-20 03:03:37 | 書籍
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「天才」石原慎太郎
ちょっと以前に、田中角栄再評価ブームみたいなものがあったが、そのきっかけになった本。
面白いことは面白かったが、正直、あまり目新しい内容はなく、そういう意味では、あのタイミングで書籍化する意味があったのかどうか、疑問が残る。


「誰か Somebody」宮部みゆき

宮部みゆきは、ストーリーテラーとしては超一流であると思う。
彼女の作品は、何作か読んだが、総じてハズレという感じがするものがない。
この作品も、彼女の作品としては、あまり有名なものではないと思うが、それでも十分に楽しめる。


「寝ずの番」中島らも
映画化もされた作品ではある。
正直、表題作は面白い、しかし、その他は、イマイチである。
その表題作の面白さも、落語的な面白さであって、小説としては、どうかな、と思う部分はある。


「早雲の軍配者」「謙信の軍配者」富樫倫太郎
川中島の戦いを描いた「謙信の軍配者」は面白い。しかし、「早雲の軍配者」はイマイチな内容である。
ただ、困るのは、この「早雲の軍配者」を読まないと「謙信の軍配者」の人間関係が分からない部分があることである。
「謙信の軍配者」は、歴史上有名な川中島の戦いの第一次から第四次までを描いた作品で、元の素材となる川中島の戦いじたいが、かなり物語としての面白い要素を含んだものだけに、このことをエンターテイメントな要素を含んで小説化すれば、それなりに面白くなるのは当然だとは思うが、やはり、面白くよくできた小説であるとは思う。


「しゃべれども しゃべれども」佐藤多佳子

何でも「本の雑誌が選ぶ年間ベストテン」第一位になった小説らしい。
確か、ドラマ化もされていたように記憶してる。
話としては、やはりそれなりの内容があるものではある。
強いて言うなれば、語り口が、江戸落語調の語り口になっていて、個人的にはそれがすごくいい感じに思えたのだが、一般的には、これを嫌う人もいるんじゃないかな、と思わないでもない。


「信長の血脈」「信長の棺」「秀吉の枷」加藤廣

「秀吉の枷」は面白い。
個人的には、豊臣秀吉には、優秀な官吏で、(信長に比べればだが)あまり残虐なこともしない、どちらかというといい人というイメージのある信長の一武将時代と、それに比べ、天下人になってからは、同じ人物とは思えないほど残虐で嫌な奴というイメージを持っていたのだが、この小説の秀吉像は、そんな個人的なイメージに近いものがあって、なぜそうなったのかも、割と納得のいくかたちで説明されている。
また「信長の棺」は、正直、話の内容としてはイマイチながら、世間一般に思われている冷酷で残虐一辺倒の信長像とは、また違った姿が描かれていて、これも、個人的に思っていた信長像に近いものがあったので、そういう意味では、すこし楽しめたかな、という感じである。
一応、同一作者の同時代を描いた小説ということで、この三作には共通した歴史認識があり、そういう意味では、三作とも読んだほうが、理解は深まるし、楽しめる部分はあると思うが、個人的には、面白かったのは、「秀吉の枷」のみではある。


「闇の子供たち」梁石日
幼児売春、臓器売買などを題材とした小説。
一応、小説であるだけにフィクションであるのではあろうが、ここに描かれた世界観は、全くの作り話ではなく、真実、今も世界で起こっていることなのであろうと思われ、それなだけに、考えさせられるものはある。


「影法師」「プリズム」「モンスター」百田尚樹
最近は、すっかり右翼的なコメンテーターとしてのイメージが定着しつつあるように思う百田尚樹だが、現在の日本において、最も売れる作品を世に送り続けている作家である。
百田尚樹の小説というと、「永遠の0」があまりに有名であり、そのイメージで他の著作を手にすると、その世界観が違うだけに、ちょっと戸惑うかもしれない。
しかし、非常に豊富な知識や情報に基づいて、丁寧でキチンとした文章で書かれていて、どの作品も、それぞれに読みどころがあって、楽しめるものになっている、と思う。
ちなみに「影法師」は時代物、「プリズム」は多重人格者との恋愛もの、「モンスター」は整形を題材とした復讐もの、とそれぞれ世界観はバラバラだが、どれも、それなりの面白い。
個人的には、この3作のなかでは、「プリズム」が、一番、楽しめた。
古くはジキルとハイド氏の話があるように、多重人格そのものは、題材として、決して目新しいものではないが、それを、こういう形で悲哀の恋愛ものにしてしまうところが、すごく面白く、楽しめた。





聖徳太子実在説

2019-10-16 02:09:08 | 歴史
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日本という国は、いつから始まるのか。
なんせ文字も何もない時代の話だから、はっきりしたことはわからない。
しかし、その参考となるものはある。
それは「古事記)であり「日本書紀」である。
というと、この「古事記)にしろ「日本書紀)にしろ、後々の時代になって当時の権力者によって都合のいいように書かれたものであり、あまりあてにはならない、という意見はあるだろうし、それはもっともなことだとは思う。
なんせ、この「記紀」が正しいのだとすれば、神武天皇の即位したのは、弥生時代の話になり、考古学の発掘などから、その時代にそんなことがあったなんてのは、明らかに矛盾しているということは証明されているのだろう。

しかしながら、いくら作り話とはいえ、少なくとも当時の公式な国の歴史である。「火のないところに煙はたたない」というが、それらしいことはあったと思うし、この「記紀」に記述されていることが100%の作り話や嘘ばかりとは思えない。
たとえば、有名な「国譲り」の話にしても、後の大和政権がその勢力圏を拡大していく過程を示しているのではないか、と思うし、そう思えば、天津神と大国主命の息子が力比べをしたという記載があるように、よく言われる話し合いで平和裏に行われたばかりでなく、やはり武力での征服したこともあったのだろう。

さて、そうなると、昨今、聖徳太子の実在の有無が取りざたされることが多いのだが、正直、バカバカしい話で、そんなものは実在しているに決まっていると思っている。
聖徳太子の業績とされる「憲法17条」や「冠位12階」などを、彼一人がやり遂げたということに対する反論には、確かに理解できないものがないではないが、少なくとも、そのモデルとなった人物は、いたのではなかろうか。
また、彼の業績の多くが、彼が成し遂げたものでなかったとしても、少なくとも、そのモデルの人物の監視下やそれに近い形で成し遂げられたものではなかったのか、と思う。

邪馬台国なんてなかった

2019-10-15 01:45:29 | 歴史
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日本の歴史はどこから始まるのか。
学校では縄文時代から歴史の授業は始まるが、この段階では、まだまだ国らしいものであったとはいえず、とりあえず、国ようなものがあったとされるはじめは、やはり邪馬台国であったのではないだろうか。
しかしながら、この邪馬台国、個人的には、本当に実在したのかどうか、疑問に思っている。
また、その所在地において、大きく畿内説と北九州説があるようだが、その議論じたい、少し不毛な気がしている。

邪馬台国の証拠としては、「魏志倭人伝」に記されたものが、その根拠となっている。
しかし、この「魏志倭人伝」は、その名が示すように「魏志」つまり「魏」の書物であり、「魏」とは今の中国の一部の国名であり、あの「三国志」で有名な「魏」のことである。つまりは、この「魏志倭人伝」は、あくまで当時の中国の人々に読ませることを前提とした書物である。

この「魏志倭人伝」に記載されている邪馬台国の位置は、記述通りだとすると、沖縄と台湾の間くらいの位置の海の中になるようで、とても、記述通りの国が、そんな海の中にあったなんて考えられない、というところから、その記述が間違っているとして、畿内説や北九州説などが出てくるわけである。
しかし、その記述通りの位置の対岸の中国大陸側には何があったかというと、それは「魏」のライバル国である「呉」が存在していたわけで、この「魏志倭人伝」が当時の中国の人々が読むことを前提に書かれたものであるとするならば、対岸に同盟国があるぞ、という「魏」の「呉」に対する牽制ではなかったのか、と思う。

本当に邪馬台国があったのか、なかったのか。そして、それはどこにあったのか。
考古学の発掘によって、それは、いずれははっきりするのだろうが、個人的には、邪馬台国なんてなかったように思う。