勃ちあがった象の白い涙の物語

ロックンロールにゃ老だけど死ぬにはチョイと若すぎる

GのM

2012-03-24 21:07:31 | 風俗
店自体が大衆店なので、まぁこんなものといえばそうなのだが、なんか久々に地雷を踏んだ気分である。

今回行ってきたのはGで、この店は、数年前にKという、本来ならば高級店にいるべきスキルをもった姫がいて、彼女がいた頃は何度か通ったことがあるのだが、ここしばらくは、これといった気になる姫がいなかったのだが、今回、HPをチェックしていてプロフィールにある東京の高級店出身という文句にひかれてMに入ってきた。

このM、とてもじゃないが元高級店にいたとは思えないルックスである。
幼児体型といえばまだ聞こえがいいが、要は、ペチャパイのぽっこりお腹で、しかもそのお腹には、セルライトが存在する。もちろん、全体的にでかい体型である。
これで、まだ顔がそこそこならば、まだ我慢できるが、HPの写真とは別人と思えるような顔である。

せめてもの救いは、フェラがそれなりにできることだが、それ以外はさっぱりである。

PのS

2012-03-20 19:04:23 | 風俗
久々に雄琴に行ってきた。
今回のお相手は、PのSである。

以前からその巨乳のプロフィールが気になっていた姫なのだが、思い立ったときに登楼する傾向のある私としては、その思い立った時にはすでに予約で埋まっているような状況で、なかなかタイミングが合わず、今回、たまたま私の思い立ったときに空きがあったようで、運よく登楼することができた。

今回の登楼の結論から言えば、まぁこんなものか、という感じである。
なかなかタイミングが合わないほどの人気の姫としては、期待したほどのサービスはない。
中級店のそれとしては、本当に合格点ではあるが、さほど取り立ててのものがあるわけではない。
ただ、ルックス的は、すごく可愛いし、胸はプロフィール通りの巨乳だし、スタイルもまぁまぁいい。


「A LONG VACATION」 大滝詠一

2012-03-19 07:52:05 | 音楽
このアルバムが発表されるまでの大滝詠一は、本当にドン底の状況にあったらしい。
今となっては伝説のバンドとなったはっぴいえんどのメンバーとして世間に認知されながらも、はっぴいえんど解散後は、ナイアガラ・レーベルをつくり、自分の思い通りの音楽ができる状況を作るが、それが故に、全くリスナーの存在を無視したような他人には理解しがたい自分の趣味性の強い音楽性を持ったアルバムを連発し、当然のことながらセールス的には惨敗、山下達郎を擁するシュガー・ベイブをデビューさせるも、これも時代と合わなかったのか宣伝が足りなかったのか、これもセールス的に惨敗し、そうこうするうちに、レーベル運営も、経済的に成り立たなくなってくる。
うわさでは、この時期の大滝詠一の家では、お粥をすすって飢えをしのいでいたらしい。

そんな彼が、1981年に発表した起死回生の名盤である。
よく聞けば、それまでのアルバムと同じように、彼の趣味であるアメリカン・ポップスの影響の色濃いものであるが、それまでの作品と大きく違うのは、それまでの作品が、あまりに内向きで聞き手のことを考えていなかったのに対し、これは、その方向性を180度転換し、大きく聞き手に考慮したものになっている。

ただ、よく言われるように、このアルバムに詰まっている美しいメロディの多くは、アメリカン・ポップスからパクリで、そういう意味では、本当は盗作だといえるのだが、パクリも、ここまでこだわったり凝ったりすれば、だれも非難しないわけである。

現在におけるまで売れ続けている日本を代表するロングセラー・アルバムであり、本当に珠玉のメロディが詰まった名盤になっていると思う。
何でも、大滝は、このアルバム制作以前から、その生活の困窮をみかねた周りの人にこういうアルバムの制作を進められていたのだが、頑なに、自分の趣味に忠実で内向きの音楽を作り続けていたらしい。まったく頑固なというか、変わった人である。

あの震災から一年

2012-03-11 00:04:04 | 社会
あの震災から一年が過ぎた。
東北に足を運んだことはないので、本当のところは良くわからないのだけれど、TVなんかからの情報を信じるならば、復旧・復興の進捗具合は、誰もが納得のいかない状況のようだ。
その原因を政府の対応や原発事故に求めて、それらを糾弾するのは簡単だが、個人的には、この震災から得たものが、そういう負の要素のものだけであってほしくないな、と思う。
昨年を象徴する漢字に「絆」が選ばれたように、震災直後の行動が世界から賞賛されたように、我々日本人が持っていた本来の美質を、あの震災は思い出させてくれたりもしたわけで、震災でなにもかも無くしてしまった方々のことを考えれば不謹慎なことかもしれないが、そういう、本来、我々日本人が持っていた美質を思い出させてくれたことを、せめて、あの震災からの得られたもののひとつとして数えたいし、この思いを、我々は忘れてはいけないと思う。