Landscape diary ランスケ・ ダイアリー

ランドスケープ ・ダイアリー。
山の風景、野の風景、街の風景そして心象風景…
視線の先にあるの風景の記憶を綴ります。

坂本龍一、震災12年目の原発回帰にメッセージ~大江健三郎の訃報とその反原発メッセージ

2023-03-15 | 生活、環境

坂本龍一さん 政府の原発回帰に「なぜ」「なぜ」「なぜ」 本紙に寄せたメッセージ全文

東京新聞web

2011年の原発事故から12年、人々の記憶は薄れているかもしれないけれど、いつまでたっても原発は危険だ。
いやむしろ時間が経てば経つほど危険性は増す。
コンクリートの劣化、人為的ミスの可能性の増大、他国からのテロやミサイル攻撃の可能性など。
なぜこの国を運営する人たちはこれほどまでに原発に固執するのだろう。
ロシアによるエネルギー危機を契機にヨーロッパの国々では一時的に化石燃料に依存しながらも、持続可能エネルギーへの投資が飛躍的に伸びているというのに。
わが国では、なぜ未完成で最も危険な発電方法を推進しようとするのか分からない。
発電によってうまれる放射性廃棄物の処理の仕方が未解決で増えるばかり。
埋める場所もない。
事故の汚染水・処理水も増えるばかり。事故のリスクはこれからも続く。
それなのに何かいいことがあるのだろうか。
世界一の地震国で国民を危険にさらし、自分たちの首もしめるというのに、そこまで執着するのはなぜだろう。
 
さすが教授です~♪♪♪
ロシアのウクライナ侵攻の時もいち早く、
混乱する私たちに「戦争は外交の失敗である」と力強いメッセージを届けてくれました~
こういう信頼できる知性の存在は、声高で幼稚な反知性主義的主張ばかりがメデイアを賑わす今の日本では有難い~♪♪♪
 
 
そして、もう一人、信頼できる知性が先日、亡くなりました~
我が郷土の生んだノーベル文学賞作家、大江健三郎です。
(自我に目覚めた高校生の頃、ずいぶん読みました)
大江健三郎も生前、原子力発電は国を滅ぼすとメッセージを残しています~♪♪♪
 
原発や護憲運動で行動を共にしてきた作家の落合恵子さんは、そう落胆する。
 「大江さんが大切にしてきた平和や人権、脱原発などへの思いを、非力だけれどもあらん限りの力で、ずっと離さない気持ちでいます」。
大江さんがスピーチで「原発を持たないことが何よりも大事だ。
原発にミサイル攻撃されたら終わりだ」と語っていた言葉が忘れられない。
ウクライナ危機でそれは現実的な問題として、世界に恐怖を与え続けている。
 

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2 コメント

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煽り (鬼城)
2023-03-16 09:46:37
電力不足、何処が?
パーセントで煽る・・・不安視させることに他ならない。
電気料金値上げも同様・・・
結論は原子力発電容認へ繋げる。
燃料廃棄はどうするの?
咲きのことは考えない。
福島はこれからどうなっていくのか検証もされていない。
もう12年、まだ12年です。
返信する
正常性バイアスからの覚醒 (ランスケ)
2023-03-16 12:44:29
昨日は愛大医学部での検査診療の日でした。
毎回、私の病気に対する新たな気づきがあり、
脳の機能障害という厄介な病と向き合う日常を生きるための学びがあります~
通院途中の郊外電車から眺める車窓の風景に、
訪れる春を感じるのも楽しみです~♪♪♪

さて、12年目の3月11日を迎え、
内田樹が、自身のブログに「3.11から学ぶこと」というタイムリーな記事を投稿しています~
目の前の厭なことから、すぐ目を背ける日本人の
宿痾とも思える病(正常性バイアス)から
覚醒してもらわないともう後がないので、
大事なところを抜粋引用します~

日本列島は、全世界のマグニチュード6以上の地震の20%が周辺で発生する世界有数の地震多発地帯である。
世界標準を超えるレベルの安全基準を採用するのが当然だと私は思うが、原発を建てた人たちはそうは思わなかったらしい。
 東電の旧経営陣3人が業務上過失致死傷で起訴された裁判で、東京高裁は「巨大津波の襲来を予測することはできず、事故を回避するために原発の運転を停止するほどの義務があったとはいえない」と判断して、一審に続いて全員に無罪を言い渡した。
「想定外」だったからどれほどシリアスな事故を起こしてもとがめることはできないというのは法理としては通るかも知れないが、常識では通らない。
万一事故が起きたら広範囲の土地が半永久的に居住不能になるほどのリスクのあるテクノロジーを扱うときに、「想定外のことが起きたのだから自分には責任がない」という言い訳をすらっと口にできるような人間はそもそもそのような危険なシステムの管理者になるべきではない。
そのような危険なテクノロジーを扱う技術者に最も求められる知的資質は「起こる可能性のある最悪の事態」についての想像力だからである。
たしかに「最悪の事態」に備えて安全性を配慮すれば、その分だけコストは高くなる。
けれども、こう言ってよければ、それはたかが銭金の問題である。
リスクを低く見積もったせいで失われるものと、
リスクを高く見積もったせいで失われるものは桁が違う。ほとんど天文学的に違う。
 私はこういう致命的な計算違いを犯す人間を
「リアリスト」と呼ぶことに同意できない。
こういう致命的な計算違いをした人間は、仮に法的な処罰を逃れ得たとしても、以後社会人としては「まるで使い物にならない」というスティグマを刻印されることを甘受すべきだろう。
彼らはそれほど邪悪な人間ではなかったかも知れないが、
犯罪的なまでに無能な人間ではあったのだから。

福島の原発事故は半ば「人災」だと私は思う。
天変地異は自然現象であるから、人間には制御できない。でも、自然現象のリスクを予測して、それがもたらす被害を最小化することはできる。
「起こり得る最悪の事態を想定してそれに備える」ということが日本人はほんとうに苦手である。
それよりは「目論見がすべて成功して、巨大な利益が転がり込む」という皮算用で盛り上がることを喜ぶ。
五輪も、万博も、カジノも、リニアもどれもそうである。
それが失敗した時に何が起きるかについては誰も何も考えない。
 たしかに、「最悪の事態」というのは、それを事前に想定すれば防げ、想定しなければ到来するというほど簡単なものではない。
最悪の事態を事前に想定しても、最悪の事態が到来することはある。
でも、被害を最小化する努力をしておけば、被害はその分だけは抑制される。当たり前の話である。
 私たちが3.11から学ぶことがあるとすれば、その教えに尽くされると思う。
だが、日本人はそれさえ学んでいない。
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