毎日ニュースを見る度に「どうしてこんなに~?」
と諦めにも似た嘆息しか出て来ない酷い社会になってしまいました~
ニューズウィークが特集したように国民の貧困は留まることなく深刻化するし、
常軌を逸した犯罪の横行はモラルハザード(心の貧困)を感じます~
養老先生と共に沢山の著作を読み信頼している内田樹の最新ブログ記事が、
その疑問に明解な言説で答えてくれています~♪♪♪
4年連続で首位だったのに今は38位」に滑り落ちた国際的指標とは
もともと日本社会は同調圧力が強い国でしたが、
バブル崩壊以後の「失われた30年」に市民の規格化は過剰なまでに進行したと思います。
これは日本が貧乏になったせいです。
「パイが縮んで来る」と人々は「パイの分配」についてうるさいことを言い出す。
自分の取り分を確保するためには、他人の取り分を削らなくてはならないと考えるからです。
どうやって他人の取り分を減らすか。
そのために、メンバー全員を何らかの基準で格付けして、スコアの高いものにたくさん与え、スコアの低いものの取り分を減らす
それが一番フェアな分配方法だという話になった。
格付けに基づく傾斜配分という発想は、一見すると合理的に見えますけれど、実はかなり危険なものです。
というのは、全員を格付けするためには、あらかじめ同質化する必要があるからです
全員に同じことをやらせないと、数値評価はできません。だから、「誰でもできることを他人よりうまくできる人間」にハイスコアを与えるというルールを採用した。
「生産性」とか「社会的有用性」とか「所得」とかあるいは端的に「成功」を数値化して、それを基準に国民を格付けすることにした
でも、すでに金や権力を持っている人間にハイスコアを与え、貧しい人に罰を与えるような傾斜配分なら、ただ格差が拡大するだけにしかならない。
それに、全員が同じことをやって、ただ相対的な優劣を競っているだけの社会で「新しいもの」が生まれるはずがありません。
お互いの足の引っ張り合いをし、「出る杭」を打ち、「水に落ちた犬」を叩く・・・だけしかやっていないんですから。
そんな社会で自分の見識を貫こうとするのは難事業です。
少しでも人と違うことを言ったり、したりすると弾きだされる。
だから、今の若い人たちは「浮く」ことを病的に恐怖しています。
集団から「浮く」というのは、要するに「競争から脱落する」ことです。
だから、デモもストも起きないのです。
そういう抵抗の運動を始める時は、最初に誰かが「誰もしないことをして、誰も言わないことを言う」というリスクをとらなければなりません。
でも、抵抗の旗を立てても、誰もついてこなければ、その人は一人だけ「浮く」ことになる。
だから、怖くて誰もあえて戦おうとしない。
全員が競争相手の取り分を「減らす」競争をしているわけですから、国が豊かになるはずがありません。
そもそもある国が豊かであるかどうかは、個人資産の総和ではなくて、国民全員がアクセスできる「公共財」の豊かさに基づいて考量されるべきものなんです。
三流の独裁国家では独裁者とその周辺が国富の大半を私財として占有しています。
自然資源が豊富な国だと、独裁者とその取り巻きの私財は天文学的な数字になります。
でも、そんな国を「豊かな国」と呼ぶ人はいません。
国の豊かさは公共財の多寡で決まります。
教育であれ、医療であれ、文化活動であれ、国民が誰でも無償でアクセスできる資源が豊かであれば、
たとえ個人資産が貧しい人でも、不安なく豊かな生活が送ることができます。
でも、公共財が貧しければ、例えば、社会福祉制度がないとか、国民皆保険制度がないとか、学校教育がすべて有償であるとか、
図書館や美術館やコンサートホールが高額の入場料を徴収するとかいう社会だと、
貧困層はひたすら貧困化するだけで、社会的上昇のチャンスがない。
今の日本は公共財がどんどん貧しくなっています。
「民営化」という名の下に公共財を安く売り払って、権力者とその取り巻きたちの私財に付け替えている。
それがすさまじい勢いで進行しています。公共財を自分の私財にした人たちが「成功者」と呼ばれ、
現代日本社会の超富裕層を形成しています。一方、貧しい人たちはそれまでアクセスできた公共財が「立ち入り禁止」になる。
それを歴史用語では「囲い込み」と呼ぶわけですけれども、
公共財が乏しくなると、貧しい市民たちはどれほど劣悪な雇用条件でも受け入れざるを得なくなる。
企業はそうやって人件費削減を行っている。
そうやって学生運動もなくなったし、労働組合も機能しなくなった。
ほとんどの国が貧富の格差が大きくなっている。
それも半端ではない。
そして慢性的なインフレ!
昨日、我が町では地域振興券の交換が始まりました。
郵便局、大混雑でした。
議員さん方、行政の方々こんな風景は知らないでしょうね。
そして言われるように人減らし!
挙げ句の果てに外国人労働者を雇い入れる。
まるでチグハグとんちんかん・・・情けない!
梅雨明けを思わせるような気持ちいい晴天が続きます~でも真夏のようなカラッとした暑さでなく湿度が高いので不快指数の高い身体に堪える暑さです~
消費電力の高いエアコンを使わない生活を一年中しているので、今年初めて扇風機を出して使いました~
昨日は家事を終えてから、近所の石手川公園を散歩~お気に入りの木蔭のベンチで川風に吹かれ夕涼みしながら和みました~
ここがしばらく私の居心地のいい避難場所になりそうです~8500歩歩きました~
前回の鬼城さんからのコメント返信で触れたように、大事なものを忘れてしまったの日本人~
それは、ずっとブログ記事で書き続けてきたように
谷川俊太郎の命の言葉であり、
ササユリの咲く美しく豊かな日本の自然環境です~
その豊かな自然風土が培ってきた日本人の四季の自然と共生して暮らす精神風土です~
豊かな山河は、それだけで人や生き物たちを充分に養って行ける文化的資本なのですから~
何度でも言います~日本の自然環境は一次産業従事者による山野の定期的な手入れによって成り立っています~
それを忘れて、グローバル資本主義の市場原理主義の猛威の前に日本の一次産業は壊滅的被害を受けてしまったのです~
今の国民の留まることのない貧困は、
新自由主義政策の30年間の国の公共財源への
政権に近い貪欲な収奪者による奪い合いの利権政治の結果でした~
グローバル資本主義の格差社会は世界的規模ですが、この30年間、日本の一人負け状態です~
民主主義国家なら当然、起こる危機的状態に対する国民の怒り(政権交代)が30年間起きないのですから~
一番この危機を招いたのは思考停止状態の有権者である日本の大人たちです~
今度こそ変わらないともう後がありませんよ~