Kさんは風を読む。
真冬の石鎚山上に吹く風を、ほぼ百発百中で的中させる。
それは気象データを駆使した各天気予報サイトが発表する風向きとは、ほとんど異なっている。
ということは、気象のプロフェショナルたちの発表する風向きが、かなりの確率で間違っているということだ。
誤解のないように云っておくと、
これは西日本で一番高い場所である石鎚山上に限定された気象予報だ。
Kさんは「漁師の風読み」だと云う。
どういう方法であるかは、ちょっと言えないが、聞けば「成るほど」と納得する。
さて週半ばの寒気団の南下で四国の山間部にも、かなりの降雪があったようだ。
その後の天候の回復が早く、週末まで白い風景が保つか、ヤキモキさせられた。
石鎚方面の日曜日の朝、どの気象サイトも北西か南西の風を予報する。
ところがKさんは「北から北東の風が吹く」と予測する。
この週末は、石鎚か瓶ヶ森にするか迷っていたが、Kさんの言葉を聞いて石鎚に決めた。
北ないし北東の風が吹けば、石鎚山上に日輪(虹色の光環)の発生する確率が、ぐっと高くなる。
8:00発、始発のロープウェイで成就社へ。
思ったほど雪は積もっていない。
馴染みの駐車場のおやじさんは、「昨日登った人は雪が深くて、みんな夜明峠までで撤退した」と云っていた。
成就社あたりの屋根に積もった雪をみても、1mと積もっていない。
白石旅館に立ち寄り足回りを整えながらI さん聞いても「そんなに降っていない」と答える。
買ったばかりのスノーシューの出番はないかなと思案しながら出発。
先行者が10人くらいいる。
おかげで、ずっと楽な行程となった。
前社ヶ森手前でアイゼンを着けて、弥山には正午過ぎ到着。
二の鎖あたりから雲が切れ始め、山上では見渡す雲海の中に石鎚だけが、ぽっかり浮かんでいた。
「これは夕映えの石鎚と巡り会えそうだ」と期待感が膨らむ。
午後3時過ぎには石鎚山写楽の木下さん到着。
木下さんがガスを運んで来たように(笑)、その後山上は、すっぽり白い雲の底に沈んでしまう。
あえなく薔薇色の夕映えは白い闇のなかに没し、Kさん、木下さん、私の3人の避難小屋の夜が更ける。
Kさんは、またしても重い食材を担ぎ上げ、山小屋の夜を囲む温かい鍋料理に腕をふるってくれた(感謝)
アルコールも入って身体も暖まり、好い心持で寝袋に包まる。
深夜にゴソゴソする物音で目覚めると、
木下さんが「満天の星空だ」と戸外へ撮影に出かける。
それではと私も後を追う。
空を覆う雲が切れて、ふり仰ぐ群青の夜空一面に、きらきら冬の凍て星が氷の光を放っていた。
「ほーっ」とい白い息を吐いて、しばし見惚れる。
(残念、私の撮影した星空は風にぶれて使えませんでした。石鎚山写楽でお楽しみください)
この晴天は、朝まで続いた。
すっきり晴れ上がった冬の朝。
風は北風だが、空にほとんど雲がない。
これでは日輪(虹色の光環)が発生しない。
「あ~ぁ」溜息が洩れる。
朝焼けは期待できるが日輪はダメか…
(はは…人の欲望は果てしない)
ところが、日の出と共に、瀬戸内沖から雲の波が押し寄せてきた。
北東の風に乗ってガスが北壁を吹き上がる。
朝日にオレンジ色の薄紗が輝きを放つ。
神がかりのような風景を一変させる現象に我が目を疑った。
確かにこの冬は、こんな状況を一変させるような現象が続いている。
この幸運を逃すものか。
この神々の舞い降りた時間を風景を記録に留める。
すっかり陽も高くなって、夢のような「黄金の時間」は終わった。
まだ時間も、早いので、久しぶりに三角点方面の樹氷林まで足を延ばしてみることにした。
購入したスノーシューを試すのにも、ちょうど好い機会だ。
以前2度行ったときと較べて、樹氷(蔵王のモンスターのような)つきかたが物足りなかったが、
スノーシューの雪面歩きの威力には、正直びっくりした。
さて次は、リベンジ面河尾根か?
写心を撮る時間が思うように撮れない悔しさ、ジレンマがダイレクトに伝わってきます。
状況が好転するまで辛い充電期間ですね。
昔の職場の社長さんが高知のかたでよく遊びにこられていた親戚の女性はいごっそうより豪快なはちきんでした。
ついその方とイメージが重なりました。
ホッホさん、自分で返信しなさい。
はちきんとは女性に対しての言い回しにて
いごっそうがmisaにはあてはまる
つまり女として扱われた事が無い
そうでなければ真夜中の登山道を何時間も登れるはずも無く、物事ずばり発言するので敵も多い!今日も何人かを敵に回したのではないかと確信しつつストレッチに余念が無い中性生物です
最も撮りたい写真が就職に寄り狙えなくなったもどかしさもありますね
でも、あなたが小野不一さんの最新記事「強姦から生まれた子供たち、ルワンダ・ジェノサイドから生まて」の凄惨な内容を読めば理解できると思います。
そして私が寄せたコメント、「何故でしょう? この子たちの瞳が、聖性を湛えるように美しいのは…」に対する小野さんの応えが秀逸。
「多分、欲望を持つことさえ拒まれているからでしょう」
あなたが引用した作家からは、決してこんな回答は返ってきませんよ。
冬の神話から連続4回も続けて奇跡の写神!。
巡り合わせとはいえ・・・misaさん(最近キャラ変わりました?「はちきん」に)や皆さんの応援や期待以上の成果がでてますね。
もうそろそろスライドショーが観たいな。
知ったかぶりする生意気な子供だったのでしょうね。
まぁ、こんなガキは虐められて当然か。
確かに、虐められてもしょうがない性格に問題ありの子供もいます。
今夜は盛況ですね(笑)
石鎚でKさんからも言われました。
「また日輪の写真を載せると、簡単に日輪が撮れるように思われるよ」
鬼城さんもコメントで触れたように、この現象を写真に撮ることは非常に困難なのです。
私が石鎚へ通い始めて13年。
その内、日輪に遭遇したのが3回から4回くらい。
そして今シーズンのように天狗岳の真横に綺麗に浮かぶものを撮影できたことは皆無でした。
いかに今シーズンが幸運の連続であるか理解してほしい。
百姓モドキさん、撮っている本人が一番不思議なのです(笑)
この風景の流れに自然界の命を感じます。
どうすれば、こんなのが撮れるんだろう、ただただ、不思議の世界です。
どれも同じような横並びのブログなんて観たくもない。
木下さん、少なくとも私は、あなたの視点を面白いと思っています。
これからも、あなたの文章を綴ってください。
叔母の葬儀から帰って来て一息つきました。
午後からの葬儀のために自宅を10時前に出発し、山越えの道にかかる頃から雪が舞い始めました。
中山から内子にかかる頃には真っ白。
大洲から山鳥坂の上りにかかりチェーン装着を覚悟していました。
ところがトンネルを抜けて宇和町に入ると、空が開けて暖かな陽射しが射している別世界。
おかげで、穏やかな叔母とのお別れの儀式となりました。
さて、たいそうなことを書き綴りましたが、
これも母と同じように私自身の消えない後悔が発端です。
ネットでみつけた「虐め」についての記事を読み進める内に、
否、記事を掲載してコメントを書いている最中だったかもしれません。
私は小学6年生の時に受けた虐めの記憶が甦ってきました。
この小学校に転校して間もない頃、近郊の山を歩く遠足で赴任して間もない校長先生と出会いました。
この先生は自然科学教室を指導されていた方で、この遠足でも子供たちに
周囲の自然に対する好奇心を刺激するような問いかけをされていました。
私は以前から県立博物館の主催する自然科学教室に通っていたので先生の質問に、
すらすらと答えられました。
その後も理科教室や校長室へ出入りするようになり、この校長先生に可愛がられることになります。
転校生が、こういう目立ち方をすることは当然反感を招きます。
「虐め」の経緯について思い出すのは辛いものがあります(結局、弱い私は虐めに負けたのです)
でも一番辛かったのは、「虐め」が発覚して校長先生が転任(島の小学校へ)されることが決まった時です。
校長室へ呼び出され、先生と二人でお話しました。
私にとって、植物、昆虫、鉱物、天体、あらゆる自然界へ目を開かせてくれた恩人です。
その人から「残念です」と言われた時の消え入るそうな恥ずかしさは、今でも生々しく甦ります。
子供だからといって逃げてはいけない。
「孤独」であることを恐れない姿勢は、村上春樹の文章のなかには一貫して貫かれています。
短編「沈黙」は、その結晶です。
私が、この人の文章に魅かれるのは、この姿勢だと思います。
「虐め」は加害者ばかりを糾弾しても解決には至らない。
これは虐められた本人の心の問題だからです。
私は虐めた加害者の子供たちに謝られても、まったく嬉しくもなかった。
日輪を撮影するのと同じくらい難しいです。
よく分かるだけに頭が下がる。
人それぞれだが、耐えることができない精神的に弱き人間も居る。
その味方になることができないか?
自問自答・・・
ランスケさん、完全復活ですね。
山も思考もまさにランスケワールド。
自然を傘下に収めることができる粘り、ほとほと感心します。
山岳会から石鎚冬合宿の誘いがありました。
残念ながらお仕事・・・(しくしく)
記事の末尾にコメント欄でも触れた、鴻上尚史の成人の日に向けたメッセージを張っておきます。
ツイッターでも話題になったという愛媛新聞に寄稿された「孤独」についての発言は、
まだ読んでない人たちにも、是非読んでほしい内容です。
「虐め」は子供の世界ばかりではありません。
もっとも酷かったのが、イラク人質事件における高遠さんたちに対する
政府、マスコミそして日本国民の大多数を巻き込んだリンチでした。
検察、警察による冤罪も決して他人事ではない。
孤立無援の状況に陥ったとき、それに耐ええる自分でありたいと思っています。
木下さんが20代の頃に体験した世界を巡る旅の話を聞いた。
これは面白いので、是非ブログで公開してほしいと提案した。
その記録が、早速「石鎚山写楽」に掲載されてます。
皆さん、是非御覧ください。
以前、HP「石鎚山の四季」に載せた木下さんの体験記「雪山で出会った老婆」
でも見られた、あの心象を語る面白い視点が随所に散見します。
それでもシコクバイカオウレンやユキワリイチゲの逸早い春告げ花の情報に頬が緩みます。
御免なさい。
なかなかコメントする機会を逸していますが、ほぼ毎日観ていますよ(笑)
誤字脱字は私など毎度のこと、どうか気にしないでください。
一足早い、のんびり山歩さんの瓶ヶ森山行の画像を観ました。
これは石鎚以上に霧氷が見事。
スローシャッターさんのアップが楽しみです。
予告していた面河尾根、残念ながら延期です。
父方の叔母が今夜亡くなり葬儀に出席します。
この寒い冬は長患いの叔母の命の灯を消し去ったようです。
父、母そして叔母と相次いで近しい人が逝ってしまいます。
昨年の天狗高原の画像を思わせる雪山の感動が素直に伝わってくる好い写真でしたよ。
ちなみに、どう見ても富士山にみえない「伊予富士」の由来が判りました。
これも釣りが趣味のKさんからの情報です。
なんと海から見ると綺麗なシンメトリーをなす三角錐の山容だということです。
なるほど納得でした(笑)
これで長年の疑問が氷解しました。
「日輪ドンピシャ!」misaさんと同じことを思いました。一度は見たいけれども体力不足の私はここで楽しませて頂くのみです。
気象条件は経験なしでは予想できませんね、日の出の時間に雲海も広がらないかとあきらめていましたが、石鎚の周りを巻いてくる蛇のような雲海、これがこの日のショーの幕開けでした。
白い細い線は少しづつ大きくなり谷間を埋め尽くしてやがては稜線を超えて何処かへ去って行きました。
この情景をベテランならばジ~ト見据えているのでしょうが瓶ケ森デビューの新人には自然の営みが理解できなかったですね。
又リベンジの機会はありますので<次・・・行こう>長さんではありませんが次回に期待です。
自然現象を写心に取られるランスケさん、お見事でした。
振り返ってこの日の情景をショーでたとえるならば私は手が痛くなるほど拍手を送る観客だったのでしょう。
見事に日輪ドンピシャ!男だったら隣に立ちたかったですよ
この画像を目の前にするとなんにも言えません
山は夜明けの数分が勝負
出来ればもういちど見てみたい