確かに、どんどん心が萎えてきている。
それに伴って視野も狭まってしまい息苦しさを覚える。
今日は少し気分を変えて、私が風景写真(自然写真)の師と仰ぐ高知在住の写真家、高橋宣之氏について書いてみましょう。
NHK高知放送局が近年、写真家高橋宣之氏をクローズアップして2011年再び一級河川の透明度日本一に返り咲いた仁淀川の特集番組を制作している。
3/25放送の仁淀ブルーを物語の基調とした高橋宣之氏の撮り続ける清流仁淀川の映像は素晴らしかった。
改めて風景の物語を綴る写真家、高橋宣之氏の凄味を再認識させてもらった。
私と高橋宣之氏との出会いは1996年発行の写真集「美しい川」だった。
まだ東京在住だった私は、故郷四国の自然風景を(源流から河口へと辿る川の風景を)美しい物語へと昇華した写真集に衝撃を受けた。
そして私を仁淀川源流域の石鎚山へと目を向けさせたのは、間違いなく高橋宣之氏の撮り続けた斬新な風景写真の数々だった。
例えば、ここにNHK高知放送局の仁淀川映像サイトに収められた高橋宣之氏のフォトギャラリーがある。
ここに収められた写真を見るだけでも、その写真センスの斬新さが判るでしょう。
高橋宣之氏は水の写真家(半水面写真や水滴、氷の虹彩)であると共に、夜の写真家でもある。
フォトギャラリーの半分は月明かりによる夜の風景写真だ。
私の好きなオオミズアオの写真に寄せられた高橋宣之氏のキャプションがある。
「月夜の森。満月を背にして翅を休めるオオミズアオ。学名はアクティスアス・アルテミス。日本語で月の女神という美しい名前を持つ」
なんと美しい夜の世界。もうこれだけで、この写真の背景に深く青い夜の物語が広がってゆく。
「石鎚山の四季」のフォトチャンネル、vol.3 「星の囁き月の声」やvol.5 「森の時間」は、明らかに高橋宣之氏の強い影響の下、撮影されている。
写真集「美しい川」に寄せられた高橋宣之氏の言葉を最後に載せておきましょう。
仁淀川は大河ではない。日本中どこでも見られるごく普通の川である。
特に風光明媚というわけでもなく、流行りのアウトドア・ライフを求める若者で賑わう川でもない。
しかし、この川は「生きている川」である。
上流域では数年前まで焼畑が行われ、今でも多くの職人たちが手すき和紙の仕事にたずさわっている。
大げさにいえば、日本の原風景をとどめた川である。
激しい高度成長の波をかぶらなかったことが幸いしたのか、あるいは源流に広がる原生林のおかげなのか、川は今でも清冽な水の流れをたもっている。
仁淀川を遡り始めて7年が過ぎてしまった。(1996年写真集発行時点で)
最初は海に流れこむ水の姿でも撮ろうかと気ままに始めた撮影であったが、回を重ねるほどに透明な川の魅力に引かれていった。
自在に変貌する水の姿。谷風や水の匂い。あざやかに移り変わる季節や人々の営み。
川の魅力はその流域の自然環境や風土を抜きにして語ることはできない。
そして最後にたどりつくところが森であることも私は川から学んだ。
森がすべての原点のような気がする。本物の森を持たない川は美しい流れをつくりだすことはできない。
つきつめれば「水は森」なのである。
静寂の原生林を一人ゆっくり歩く。立ち止まりまたゆっくり歩く。ゆっくり歩くと微かな水脈の音が聞こえてくるような気がしてくる。
姿勢を正したダケカンバの樹やおおらかに枝を広げたブナの大木。
私は森の樹々に川の姿を思い浮かべながら、深く森に分け入る。
「美しい川」がいつまでも美しい川であることを願いつつ。
美しい川 土佐・仁淀川の四季―高橋宣之写真集 | |
高橋 宣之,坪内 祝義 | |
小学館 |
川烏の軌跡、小さな小さな水玉に秘められたお話、月夜に繰り広げられる舞踏会
心躍らせてページを捲る青年を想像します
写真は夜だと言っても過言ではないと思う今
私が今だからできる表現、捜してみようかなと思えるようになりました(感謝します)
勢いすぎたのか先日の夜勤で風邪をひきまして帰宅早々布団に中です
石鎚をメイン・フィールドとしているので石鎚山岳写真の第一人者、高橋毅さんだと思われがちですが、
私は一枚の写真の存在感よりも風景の背景に物語性を感じさせる
想像力を刺激する写真世界に強く惹かれます。
高橋宣之氏と初めてお会いしたのは、確か8年くらい前の石鎚より(面河道)下山した面河渓だったと記憶しています。
渓流で撮影するカメラマンの姿を見た瞬間、高橋宣之氏だと直感しました。
迷わず声をかけました。
嬉しさの余り興奮して何を喋ったのか定かでありません(苦笑)
でも本当に気さくに御自分の写真世界を語ってくださったことが忘れられません。
2度目は確か仁淀川沿いの桜風景の中でした。
この時も、少年のように楽しそうに風景や写真世界のことを話してくれました。
そろそろ雪解けの森へ入りたい。
私もmisaさん同様、花冷えの鼻風邪でグズグズ。
近頃、山へ行ってませんからね。
最近、すこし注目度が上がってきたようです。写真集、この色合いがたまりません。
仁淀川の沈下橋を主題にしたNHKのドラマ「カゲロウの羽」も良かったです。
森が水を造り、水が森を造ると聞いたことがあります。
全国に先駆け、高知大の林業科に漁業関係の講座が開設されました。
今はどうなっているんだろう。
いよいよ、花咲く春山シーズンですね。
仁淀川は大渡ダムや面河ダムのような大きなダムがあるのに意外と水が綺麗なんですよね。
むしろ四国の清流の代名詞のように云われる四万十川より綺麗なくらいです。
四万十川同様。流域に大きな町がないせいでしょうね。
唯、日本一の清流(一級河川の)と云われると「えっ?」と違和感を抱いてしまいます。
でも東京の甥っ子や姪っ子が夏休みに来るたびに面河川に連れて行って川遊びをさせたことを
思い出すと、こんな昔ながらに泳いだり潜ったりできる川なんて、ちょっとないかもしれません。
それも市街地から一時間足らずの場所で。
そんな意味でも、私が長年テーマとして撮り続けている「石鎚源流域の森と水の風景」は
貴重な記録となるかもしれないと勇気が湧いてきました。
でも、その前に原発を止めなければ。
こんな美しい自然環境と原発のある暮らしは共存できません。
特に昨夜NHKで放送された「巨大地震、メガクエイク」を観た後では。
キャッチフレーズが概ねごまかしが多いのではないかと思いますね。
支流域に行くと確かに清らかな昔の水があるところもあります。が、どんなところでも川の近くの工事現場がある。
気を付けた工事はしていますが、どうしても濁りは取り除けない。一端土砂が入るとなかなか元の清流に帰るのは時の流れが必要だと思います。
その意味で、日本最後の清流、と言われてもそれどこよ、と、そのような川を探していくのは難しいですね。
流域に人家の少ない川は、やっぱり綺麗ですね。
(そして護岸されていない川が多かった)
仁淀川や四万十川のような大きな川(一級河川)でなければ、もっと美しい川は日本国中に沢山あると思います。
kyoichさん、私も川沿いの道を歩いていると気持ちが和みます。
お遍路道中も川沿いの道が印象に残っています。
お互いに、まだ護岸されない前の日本の川の原風景を知る最後の世代なので、
素朴な川の風景に出会うと心和むのでしょうね(笑)
四国でも徳島から高知には、まだ日本の川の原風景が残っていました。