私は元来、臆病な性質(たち)だ。
未知の領域へ足を踏み出すとき、不安でマイナス要因ばかり頭に浮かび慄(おのの)いている。
だから、最もリスクの少ない安全策を講じるかというと、そうでもない。
不安を抑え込んで、いざ決断すると、かなり危ない橋を渡る(苦笑)
意を決した以上、最善のところへ達したい。
そのためのリスクは厭わない。
という至って迷惑な性格のため、こういう選択のときは、いつも単独行になる。
自分自身の我がままなら、そのすべてを個人で引き受けるのが道理だろう。
さて前置きが長くなった。
スノーシューを手に入れたことで(その威力を実感したことで)
長年の夢だった厳冬期瓶ヶ森への入山を決意した。
石鎚信仰の始まりは、この瓶ヶ森からの霊山石鎚遥拝であったと聞いている。
一面の笹原の向こう、雲の上に浮かぶ石鎚を眺めるロケーションは、確かに一級品の眺望だ。
近年は春から秋にかけて簡単に車で行けるため、その風景の持つ本来の価値(意味)を過小評価する傾向があるのが残念だった。
そして深い雪によって閉ざされた冬。
瓶ヶ森は、本来の神話的世界を取り戻す。
石鎚山岳写真の先達たちが捉えた、厳冬期瓶ヶ森の神話世界を、この眼で観てみたい。
週半ばの降雪の後、天候の回復を狙って、東の川から入山した。
テント一式、カメラ機材(重い三脚も)スノーシュー他の足回りの装備、
2泊予定のため、3日分の食糧と水(これが重い)すべてザックにパッキングして荷重を量ると30kgを超えた。
西の川終点でバスを降り、東の川の登山口へ到着したのが12時半。
橋を渡って薄暗い植林帯を縫う旧道へ入る(幾島新道は崩落のため長年閉鎖されたまま)
その、いきなりの急登に、まず驚かされる。
高度差1500mを一気に登るのだ。
旧道新道の分岐までの急登で、かなりの高度をかせいでいるだろう。
雪は、途中から間断なく降り始め、次第に視界を覆うようになってきた。
分岐を過ぎたあたりから雪面が凍結して滑りやすくなったのでアイゼンを装着した。
植林帯を抜け自然林にかかると積雪量も増えてきた。
沢を渡り台ヶ森への上りからは、本来の登山道は雪に埋もれて判らない。
かすかに残る動物の足跡ではない痕跡が、あった。
これとマーキングの赤テープを頼りに手探りのルートファイティングが始まる。
シャクナゲや低木の疎林が、たっぷり雪を被り、行く手を塞ぐ。
背丈を超えるザックで通過する、そのたびに大量の雪を浴びる。
台ヶ森手前でスローシャッターさんから携帯に連絡が入った。
(入山前にスローシャッターさんからたくさんの情報をもらった。そして何度か安否の確認を入れてくれた。感謝です)
台ヶ森には4時前に到着した。
この時間なら暗くなる6時までには瓶ヶ森山上へ辿り着けるだろう。
それに、これから先は何度も行き来しているので大丈夫だろうと思った。
痩せ尾根を辿るまでは良かった。
その先から足跡が消えた。
その上、目印のテープも、視界10m以下の降りしきる吹雪と真っ白の茫漠たる風景のため
まったく見当たらない。
何度か動物の足跡を辿り、とんでもない場所へ行き着き後戻りした。
斜面は急傾斜で谷へ落ちている。
雪崩の痕跡を横切り、雪まみれでルートを探る。
どんどん周囲が薄暗くなってゆく。
周囲を見渡しても、目指すべき方向が判らない。
「あぁー進退窮まったか」と昏い絶望感が込み上げてくる。
「父さん母さんハマノおばあさん助けて」と願った。
薄暗い視界の先に右に巻き込むような尾根を見出した。
「尾根を辿れば上に出れる」そう思った。
急な斜面にアイゼンを蹴り込み、ピッケルで荷重を支え、ひたすら上を目指して這い上がる。
緩斜面に出た。
疎林を縫うように歩を進めると、茫漠たる視界の先に、白い枯れ木が浮かび上がる。
見慣れた風景のように思えるが、何処へ出たのか判らない?
しばらく歩く内、雪原に林立する白骨林に、記憶の焦点が結ばれた。
幾島小屋のテン場に出たのだ。
「助かった」
心の底から安堵した。
そして亡き父母ハマノおばあさんに感謝した。
時計をみると、ちょうど6時になっていた。
幾島小屋の屋根の壊れた避難小屋内にテントを張る予定だったが雪に埋もれて扉が開かない。
諦めて小屋脇の風の当たらない場所を均してテントを設営した。
テント内-6℃。
一晩中吹雪の止まぬ夜だった。
目覚めると風の音が止んでいる。
大量の雪を被った外張りを押し上げ雪を落としてからジッパーを開ける。
しんと夜明け前の青い静寂の世界が広がる。
「晴れている」
慌てて身支度して外へ出た。
夜と朝のあわいで、青い銀世界が月光に照らされ、東雲が黎明の朱に染まろうとしていた。
それからはスノーシューを履いて雪原を、ひたすら歩き続けた。
朝焼けの目も眩む時間から、突然湧き上がった雲の波に呑まれ女山から男山の稜線を辿る五里霧中の樹氷林。
そして一気に視界が開け、目も痛くなるような紺碧の空と一面の白い雪原に林立するモンスター群(樹氷林)。
ついに厳冬期瓶ヶ森の神話的世界を目の当りにして、白昼夢のような時間を夢遊病者のごとく彷徨った。
もう言葉で綴ることが、まだるっこしい。
後は画像の羅列で、この冬の聖地の時間を、みなさんも追体験してください。
石鎚山上から同時刻に連絡を取り合ったkさん。
偶然の出会いが初対面ではなかった、ぴんぼけぎゃらりーさん御夫妻。
NHKの取材で来ていた三浦さん。
皆さん、ありがとうございました。
実は下山時も台ヶ森下から沢へ迷い込み道を失いました。
すぐに見上げる植林帯へ這い上がる斜面を見つけて事無きを得ましたが、危なかった。
う~ん結局私は、方向音痴なのだろうか?
まだ見ぬ神秘の世界を連想しました
もう一度見たい「黎明の朱」
3時出発を試みたものの疲れが溜まっているのか敢え無く断念
唯の記録撮影ではありますが、後日添付します
朝一の斜光での撮影がベストであることは身にしみて解っているだけに何とも歯がゆい
一つ間違えば怪我・遭難もあり得る事で何があるか判らないのが冬山です。
ブログに訪れて見られる方も経験談から安易に冬山に入らないよう感じて頂いたら本望であろう。
とりあえず無事帰還できたことにお互い喜びあいましょう、機会があれば盃を組み合わしたいですね。
今シーズン4勝1敗1分と奇跡的な冬山撮影の勝率を誇っていますが、
そのすべてが運というわけではありません。
同じ場所に13年間も通い続けた、その風景をもたらす気象条件への
長年のデータ収集の蓄積でもあるのです。
今回の瓶ヶ森入山に際しても、相当の情報を集めました。
そして何よりも入山前後の天候を読むことです。
この最後の一番重要なところは結局、運ですが(笑)
本当に無事下山でき何よりです。
私は、あんまり生きることに執着しない方だと自覚していますが、
この山域では死にたくない。
この場所で死ぬと色んな人に迷惑をかける。
(自然死して散骨してもらうなら本望です)
それにしても今日は筋肉痛です。
階段の昇り降りが辛い。
何せ余計な緊張と体力の消耗が堪えました。
さて、次回も瓶ヶ森を目指すかと問われると、
「はい」と即答できません。
もう少し時間をください。
スローシャッターさん高瀑でのビバークの結果を楽しみにしていますよ。
何よりも山は臆病なことが第一ですね。
周りが真っ白な何も見えない状態、臨場感が伝わってきます。
よかった!
それにしても筋肉痛とは・・・
緊張感が原因かもしれませんね。
先日はお疲れ様でした。
下山時も一波乱あったようですね。
でも無事に下山できてよかったですね。
あの景色を見ると・・・少々無理をしないとって気持ちにもなりますよね。
とにかく無事でなによりです。
帰ってから記憶を辿り、頂いた名刺入れを探したら・・・
”満月工房” ありましたよ。
日付は書き忘れていましたが、寒風山の岩場でと裏に記していました。
記憶が正しかったようです。
ありがとうございました。
帰りも大変だったようでお疲れ様でした。
9時前に何度も電話をしましたが連絡が取れませんでした。
東の川ルートは、登る人がいないので夏でも危険です。
反省点は、出発時間が遅かったこと。ガスに巻かれ冷静な判断を失ったこと。
そして荷物が重過ぎます。もっと軽量化しないと。
そうなんです。
歩きなれた石鎚の各ルートなら筋肉痛になることはありませんが、
やっぱり10年ぶりくらいの東の川ルート、それも積雪期ということで、かなりのプレッシャーがあったのだと思います。
緊張感が解けたせいか、風邪でダウンです(笑)
あれは帰郷して3年くらいやっていたデザイン工房でした。
あの頃は、たくさんの人との出会いがありました。
ブログ拝見しました。
良い写真撮っていますね。
また山でお会いできる日を楽しみにしています。
一度瓶の駐車場あたりまで行ったのですが、誰もいなくて諦めて下山しました。
三浦さん、NHKの放送を楽しみにしています。