Landscape diary ランスケ・ ダイアリー

ランドスケープ ・ダイアリー。
山の風景、野の風景、街の風景そして心象風景…
視線の先にあるの風景の記憶を綴ります。

社会を変えるには / 小熊英二

2012-12-19 | 

 

選挙の結果を受けて、しばらく脱力していた。

自民党の圧勝は、各紙の事前予測である程度覚悟していたが、

原発が、ここまで争点にならなかったことが哀しかったし、情けなかった。

(自民党や維新のような原発を肯定する政党が票を伸ばした)

放射能は目に見えないし5年10年先の脅威より目の前の暮らしが優先されたのだろう。

それは原発事故の脅威に直接曝された 福島や脱原発運動が盛り上がった首都圏でも同様の結果だったのだから余計に哀しい。

開沼博の「この国は、ずっと変わらない」という予断めいた言葉が、そのまま当たったのが輪をかけて腹立たしい。

 

それではなぜ、ここまでこの国は変わらないのか?

どうしたら、この国を変えることができるのか?

その答えを知りたくなった。

新書にしては500頁超の分厚さに尻込みしたまま放置された、小熊英二の「社会を変えるには」を本腰を入れて読み始めた。

 著者の小熊英二は、官邸前デモの代表と野田首相の面談をセッティングした社会学者として広く認知されている。

私自身も官邸前デモについて書かれた新聞の寄稿文から著者の存在を知った。

面白い社会学者が出てきたものだと記憶に残る内容だった。

 

さて本書の内容は、第1章で2011年以降の社会運動として発達してきた脱原発運動を現在の日本の状況からざっと俯瞰します。

第2章3章で戦後の日本の社会運動が、どのように変遷し大衆動員してきたか、その歴史を綴ります。

そして第4章から6章で、民主主義とは何か?古代ギリシャから近代政治哲学、現代思想まで、

われわれの代表を選ぶということがどういうことか?時代と社会状況による変遷を追ってゆきます。

最終章で、それらを現代日本において応用するには?といった内容です。

著者があとがきで念を押すように、ここには残念ながら疑問に対する答えはありません。

個々のケースで応用できそうな理論を並べ、それをお互いが対話しながら答えを探すためのテキストが提示されているだけです。

 

民主主義において大事なのは、多数決としての数の優位ではなく、問題点をお互いが対話のなかで探り、より良い答えを見つけてゆくことです。

それは自分の考えを相手に押し付けることでも、妥協しながら着地点を探ることでもありません。

議論が盛り上がり、みんなで知恵を出し合って決めたという合意を引き出すことが必要だと著者は言及します。

これは私自身、充分思い当るところがあります。

マスコミからの情報が著しく信憑性を欠いていることが露呈した時期だったので、

私自身が一方通行の情報を提供し続けていました。

あれでは確かに、多くの人の共感を得ることは困難だったかもしれない。

今更ながら甚く反省しています。

 

では社会を変えるということは、どういうことなのか?

議会で多数をとることが社会を変えることだという人がいます。

日経平均株価や会社の業績を上げることが社会を変えることだという人がいます。

永田町や霞が関の人脈が変わることが社会を変えることだという人がいます。

ネットで評判になることが社会を変えることだという人がいます。

「社会を変える」という認識は、それぞれの所属している「われわれ」によって違うことが分かります。

 

でも、このポスト工業化社会の現在に共通する問題認識があると著者は指摘します。

作り作られる度合いが高まり安定性をなくすと云う「再帰性の増大」です。

「誰もが自由になってきた」

「誰も自分の言うことを聞いてくれなくなってきた」

「自分が、ないがしろにされている」

という感覚です。

これは首相であろうと高級官僚であろうと非正規雇用労働者であろうと共有されています。

それを変えれば誰でも「社会を変える」ことになるのではないか、と著者は推測します。

 

現代日本語の格差というのは、単に収入や財産の差のことではなく、

「自分が、ないがしろにされている」という感覚の、日本社会の構造に即した表現であるといえます。

プラトンの国家によれば、国家のなかで役割や居場所を失った人が、既得権批判をあげる僭主を支持します。

1920年代のナチスに入党した人のなかには、社会変動のなかで不安に陥ったり、居場所を失ったりした

失業者や帰還兵たちが少なくありませんでした。

現代社会では中央制御室にあたるものがありません。

だから、首相だけ替えても社会は変わりません。

そんな感覚で支持率を乱高下させても、かえって不満が募るだけです。

既得権者を引きずり降ろして、みんなに分け前を与えると宣言する僭主に期待しても、

すぐに期待は裏切られるでしょう。

「誰かが変えてくれる」という意識が、変わらない構造を生んでいるのです。

 

参加者みんなが生き生きとしていて、思わず参加したくなる「まつりごと」が古代ギリシャから民主主義の原点です。

自分たちが自分個人を超えたものを「代表」していると思えるとき、

それと繋がっていると感じられるときは、人は生き生きとします。

 

動くこと、活動すること、他人とともに「社会を作る」ことは楽しいことです。

すてきな社会、すてきな政治は、待っていても、とりかえても、現れません。

自分で作るしかないのです。

社会が変わるには、あなたが変わること。

あなたが変わるには、あなたが動くこと。

言い古された言葉のようですが、いまではそのことの意味が、

新しく活かしなおされる時代になってきつつあるのです。

 

小熊英二は、そう結びます。

 

社会を変えるには (講談社現代新書)
小熊 英二
講談社

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1 コメント

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素晴らしい書評 (ランスケ)
2012-12-21 16:27:07
小熊英二の「社会を変えるには」を扱ったネット上の記事は数多くありますが、
池田信夫に代表されるような具体性に欠いた批判が目につきます。
こういう相手をバカ呼ばわりする石原慎太郎的話法は、正直云って、もう飽き飽きしています。
マスコミを賑わすのは、相変わらずこういう連中です。
威勢のいい啖呵は、もう聞き飽きた。

ブックナビというブログの記事を見つけました。

http://saya.txt-nifty.com/syohyou/2012/10/post-eda4.html

あぁ、こう云う風に人の気持ちを前向きにさせる書き方があったんだ(笑)
相変わらず要領を得ない私の文章よりも数倍、この本の要点を押さえた内容です。

ぜひ御覧ください。
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