Landscape diary ランスケ・ ダイアリー

ランドスケープ ・ダイアリー。
山の風景、野の風景、街の風景そして心象風景…
視線の先にあるの風景の記憶を綴ります。

通り雨の午睡Siesta ・ 星空の褥

2012-08-20 | 風景

 

八月も半ばを過ぎると、夏は駆け足で過ぎてゆく。

夏が終わらない内に、少々草臥れた頭を休ませにゆこう。

涼やかな緑の風渡る高原にテントを一張り。

その傍らの木蔭で日がな一日、ぼーっと本を読んで過ごしたい。

 

 

正午過ぎに瓶ヶ森のテン場に到着した。

お盆明けの平日とはいえ、まだ夏休み。

下界の酷暑を避けて足を延ばす人は多い。

 

ゴロゴロ遠雷が轟き、積乱雲がグイグイ空の高みへ伸び上ってゆく。

にわかに視界が昏くなり、風に乗って微かに水の気配がツンと鼻腔を刺激する。

ど~んと云う音と共に、パラパラパラ雨音が地を叩く。

慌てて裏白樅の葉陰に逃げ込み、そのままその場でテントの設営にかかる。

夏の驟雨は容赦ない。激しい雨が背中を16ビートのリズムで叩き続ける。

みるみるTシャツは、びっしょり背中に張りつき、頭の先から水をくぐり抜けたように全身濡れ鼠。

フライシートの張り綱を確認して、テント内へもぐり込む。

肌に張りつく衣類に寒気が走る。

乾いたTシャッやスエットバンツに着替え人心地。

ちなみにテント内の気温は20℃を切っている。

天幕を叩く雨音の合間に聴こえる雷鳴が一気に距離を縮めた気配。

ド~ン落雷音が尾を引くように走り、バリバリバリ~耳をつんざくような雷鳴が空気を震わす。

「あぁ~、ここは樹の下。落ちたら終わりだな」妙に冷めた想いで雷鳴を聴いていた。

なんだろう?「こういう死に方も有かな」という死に対する淡泊さも持ち合わせている。

犬死みたいな、あっけらかんとした思いを残さない最期も好いよね。

 

また話が、あらぬ方向へ行ってしまう(苦笑)

とにかく下界の酷暑が嘘のように涼しい。

持参した津原泰水の短編集を、膨らませたエアマットを枕にしてゴロリ寝転んで読み耽った。

食べるという行為が、食材を洗練の極みにおいて食するのではなく、

本来の素材の持つ旨味をそのままシンプルに口に入れるときの、悪食すれすれの肌が粟立つような戦慄を描く。

こういう酸っぱい唾液が込み上げてくるような究極の味覚は、確か開高健も書いていたよなぁ。

今回は津原泰水と梨木香歩の「不思議な羅針盤」(再読)の2冊を持ってきた。

本のチョイスは正解だった。好い心持ちで二泊三日を過ごせた。

次第に雷鳴も遠のき、吹き込む涼やかな風にうっとり。うつらうつらたゆたうように午睡の微睡(まどろみ)に落ちていった。

 

 

雨上がりの虹は架からなかったけれど、たっぷりと水蒸気を含んだ夕空は赤々と空を焦がすstay Goldな夕映えだった。

小屋裏の冷たい沢水で冷やしておいた麦酒を咽喉に流し込む幸せな夏の余韻。

そして今夜は新月。

とっぴり日の暮れた夜空には、くっきり天の川が北の山の端から仰ぎ見る天頂を跨いで南の地平へ。

プレアデスの宝珠の煌めきに天の川銀河を挟んだ牽牛と織女の逢瀬。

日付の変わる頃には東の空からオリオンの三ツ星も粛々と昇ってきた。

 

 

さて今回の山行のもう一つの目的は浅黄斑蝶(アサギマダラ)の撮影だった。

この浅黄色(空色)に透けた美しい翅を持つ斑蝶が、子供の頃から好きだった。

お城山の照葉樹林に射す木洩れ陽に透けて舞う水色の翅の美しさに、甚く心を奪われた記憶がある。

近年は渡りの蝶として有名になり過ぎたため、あの過剰なマーキング禍に晒されているようだ。

あの美しい翅が醜い刺青のような刻印に晒されるのは正直我慢がならない。

虫ヤの中でも蝶を専門に採集する蝶ヤは、自己本位と至って虫ヤ内での評判が悪い。

皿ヶ嶺で新種発見されたベニモンカラスシジミも蝶ヤが根こそぎ食性の植物を持ち帰ったため絶滅したと云われている。

私も昆虫のなかでも特に美しい蝶に魅せられていたので、この蝶ヤの自己チュー判らないでもない(苦笑)

その美しい浅黄斑蝶を写すには、何よりも透過光しかない。

ヒヨドリバナへと舞移ろう姿を追い求め、ひたすら光を待った。

 

少し話は横道へ逸れるが、虫ヤの話は面白い。

今森光彦や養老孟司は、云わばそんな面白い虫ヤの代表格だ。

四国カルストの欅平で出会った若い虫ヤさんも面白かった。

彼は茸に依存する虫を専門としている(何せ種類が多過ぎるので、より細かい専門化が進んでいる)

彼と養老孟司が専門とするゾウムシの話に及んだ。

とたんに話が膨らんでゆく。

ゾウムシは極端にいえば谷ごとに、その分布が異なってしまうほど夥しい種類に分かれてしまう。

例えば高縄山系から石鎚山系にかけて、それが顕著であると熱弁をふるう。

まぁ一般の人には、とても話がカルトでついてゆけないと思うかもしれない。

それが虫ヤの話は少し違うのだ。

今回も瓶ヶ森で出会った高知の虫ヤさんは、また格別だった(笑)

虫ヤはその性格上、卵を産んだ植物がそのまま幼虫の食用となるので周囲の生態系全体に通じるようになってゆく。

環境の変化にもとても敏感だ。そのまんま彼らはエコネイティブなのだ。

そして虫の特異な行動原理や生態は、驚くような物語に満ちている。

彼らは好奇心の命ずるままにその物語世界に生きているともいえる。

例えば、こんな話。

 

瓶ヶ森山上には、紫陽花のような白い花を咲かせるノリウツギが満開の兆度今頃、

風に乗って小さな虫が空の高みから次々と舞い降りてくる。

まるで風に乗って旅する蜘蛛のように。

それも愛媛県側の西や南からの風が吹かないとダメらしい。

高知県側の東よりの風では、やってこない。

その名は、フタコブルリハナカミキリ。

ルリボシカミキリのような美しい瑠璃色のカミキリムシらしい。

一度その姿を見てみたいものだ。

 

エメラルドグリーンの宝石、ギリシャ神話の西風の神ゼフィルスに因んだミドリシジミも、

六月の初夏の風に乗って瓶ヶ森山上を舞うという。

また月の女神アルテミスに因んだオオミズアオの話。

あの高橋宣之さん撮影の幻想的な月明かりに映えるオオミズアオは、この高知の虫ヤさんが捕獲したものらしい。

オオミズアオ関連の情報もたくさん頂いた。

来季は、森の生態系がいっそう豊かに広がりそうだ。

 

またテン場では岡山からの鳥ヤさんたちと楽しい時間を過ごせた。

どうも話に引きずり込んで肝心のホシガラスの撮影が疎かになったようで御免なさい。

また九月になると渡りの途中のノビタキもやって来ます。

こんなに生き物たちを通じて物語が膨らみ、人と繋がってゆけることが嬉しい。

そんな生命の循環に目を凝らしながら、これからも風景と向き合ってゆけると幸せだろう。

 


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9 コメント

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Unknown (山野貴公子)
2012-08-20 22:28:45
 溜息の洩れるような写真を充分楽しみました。ありがとうございました。

 アサギマダラにマーキングがなかったのでホッとしました。
それと、ワンゲル部のふるさと氷見二千石原に、これからの農作業を前にして癒されました。
返信する
四国№1のテン場 (ランスケ)
2012-08-21 00:02:43
貴公子さんの学生時代のホームグランド、瓶ヶ森ですね。

広々とした笹原と雲湧く石鎚の眺望、四国№1のテン場はここだと確信しています。
林道のおかげで車で簡単に行けるので多くの山関係の人は誤解しているようですが、こんな場所は、ちょっとありません。
その分、林道が閉鎖される冬期は、貴公子さんたちが通っていた本来の静かで荘厳な信仰の地、瓶ヶ森に戻ります。

夏の終わりに、ここで数日をのんびり過ごすと本当に頭が軽くなります。
またこれで山と向き合えそうな気がします。
さて次回は、何処へ?
返信する
自然 (鬼城)
2012-08-21 11:37:50
愛媛は素晴らしい!石鎚の恵があるから・・・
ランスケさんの造詣の深さに何時も驚かされます。
山、川、植物、鳥、昆虫などなど。
小さい頃からそのような環境の中で育ったんでしょうね。私も同じような環境ですが、感性が違うような気がしています。(苦笑)
また、読書家でもあり、音楽、映画と趣味は多岐にわたられているようです。
今回の写真も文章も息吹が感じられます。
各方面の自然便り期待しています。
返信する
衆縁所生 (ランスケ)
2012-08-21 12:32:06
鬼城さん、尾田さんからの問い合わせに対する御丁寧な回答ありがとうございます。

まさかホッホさんの尾田龍馬に対する書き込みに、その近親者からコメントが入るとは思いませんでした(汗)
どんなキーワードで引っ掛かるか判らないので、迂闊なことは書けませんね。
ほとんど何時も言いたい放題書いているので、少し自重しなければ(苦笑)

3月から停滞していた震災以降の風景との向き合い方に、ひとつの道筋を見つけたような気がします。
なかなか物事をシンプルに割り切ることが出来ない不器用さが、いつまで経っても直らないようで今回も紆余曲折を繰り返しました。

そして結局、行き着いたのは仏教の教え諭す「衆生」または「衆縁所生」でした。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%86%E7%94%9F

私たちの生きる、この大きな生命の連鎖は、ここに辿り着いてしまいます。
小野不一さんが示してきれた「縁起」でもあります。
私たちを取り巻く自然界は、よく目を凝らすと生命の連鎖に尽きます。
その一部を切り取って、これが山岳写真と云っても虚しいばかりです。

でも厄介なテーマに首を突っ込んでしまいました。
三浦さんも言っていたように対象が大きすぎて、正直ビビッています(苦笑)
どうも自身を鼓舞するために大風呂敷を広げてしまう悪癖があるようです(汗)
まぁ、残された時間もあんまりないので性根を入れて取り組んでみます。
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判明! (鬼城)
2012-08-23 18:47:55
尾田龍馬で検索にかかり、問い合わせがあった内容、全て判明しました。これぞまさしくネットワークのたまものですね。問い合わせで判明することは90%の確率でありません。今回は本当に良かった。終わりよければ全てよしです。(爆)ホッホさんのおかげですね。
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これも縁でしょうね (ランスケ)
2012-08-23 23:05:34
あぁ、鬼城さん、ご苦労様でした。

検索で知れることは、その端緒だと思っています。
それ以降は、やっぱり人の繋がりです。
そのことは皆さんを巻き込んだ母の郷愁の風景探しで痛感しています。

今回もそれが上手く繋がったようですね。
キーワードはホッホさんの書き込みでしたが、それ以降は鬼城さんの半端でないネットワークのおかげです。
尾田さんも、放った矢がどんぴしゃり的中でした(笑)
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感謝 (尾田)
2012-08-24 11:48:23
もうひとかた御礼するかたがおられました。ホッホさん、あなたがコメントしてなかったら、こんなに速く判明できなかったでしょう。心より感謝します。しかし、判明するとなぜか龍馬やその父が私らににているように思えますね。ありがとうございました。
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ルーツ (ホッホ)
2012-08-25 09:38:39
尾田さん初めまして、お役にたてて嬉しいです。

尾田龍馬の<自画像>がネットに無くて残念です。
芸術新潮の1998年9月号に「無言館」の特集があり
そこに尾田龍馬の<自画像>があります。

紹介文には、昭和18年東京美術学校を繰り上げ卒業して出征、関東州の陸軍病院で25歳の生をとじた尾田龍馬当時のアカデミズムを精一杯吸収しつつ、自己の内面や愛する故郷の風土をまっすぐ見つめる眼初々しかった。・・・とあります。

<尾田龍馬の自画像>は、深い慈愛に満ちた眼差しと優しさと意志の強さを秘めた口許。
尾田さん、よく似ているとの事。
お会いすれば直ぐ分かりますね。

尾田さんに郷愁という詩を捧げます

ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ(ドイツ)

郷愁 
                      訳:生田春月

遠き旅路にゆくひとは
いとしきものをともなへよ、
よろこびうたふよそびとの
などかへりみん旅人を。

くらき梢よ、いにしへの
うるはしかりし日を知るか、
ああ、ふるさとははるかなる
山のかなたにあるものを。

君をたずねし夜をば知る
星をみるこそたのしけれ、
こひしき君の窓になく
夜鶯こそうれしけれ。

朝よ、うれしきわが友よ、
静けき朝をかなたなる
山にのぼりて、心より
言を告げてん、ふるさとに。
返信する
大感謝 (尾田)
2012-08-25 12:17:41
ホッホさん、ありがとうございます。
無言館へは、実はいったことないのですが、来月にでも行ってみたいとおもいます。多分、見方が違ってくるとおもいます。自画像はどこかのHPで見たことがあります。龍馬の写真一枚だけ(本の表紙のようですが)コピーをもっています。私は母似なので、あまり似てないと自分では思いますが、祖父の写真などみると、「やはりそうか」とおもいます。これを機会に宜しくお願いします。
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