
いつまで経っても訪れない寒気に痺れを切らしていると、
いきなり初雪と初冠雪が、どっか~んとやって来た。
札幌に42cmという記録的な大雪をもたらした寒気が、そのまま。
面河道の尾根道は、膝から腰まで埋もれる新雪のラッセルが延々と続いた。
三日間降り続いた雪は、おそらく札幌と変わらないくらいの積雪量だろう。
冒頭の画像を観て頂ければ納得されると思う。
雪は吹き続けた西風のため石鎚南西斜面ばかりに降り積もったようだ。
回り込んだ北斜面と南斜面では、まったく様相が違っていた。
面河登山口から愛大小屋まで五時間。
そして翌朝、夜明け前から登り始めて、石鎚山頂まで五時間を要した。
新雪は積もった分だけ身体が沈む。
いつ果てるとも知れない雪掻きの洗礼に何度も心が折れそうだった(汗)
今回は、ひろぞうさんの写真仲間、masaさんと山頂で待ち合わせの予定。
masaさんとは、今年の一月、夜明峠でお会いしてしている。
ひろざうさんと共に、美しいカワセミの飛翔写真を数多くブログで発表されている。
写真仲間のひろぞうさんの影響で、すっかり石鎚の魅力にハマってしまったようだ。
当初の予定では、一緒に愛大小屋へ下りて、暖かい薪ストーブを囲んで雪山の夜を楽しんでもらうつもりだった。
ところが、この大雪である。
雪山初心者のmasaさんには、あの延々と続くラッセルは辛過ぎるだろう。
雪山の楽しい薪ストーブの側の語らいよりも、
そこに辿り着く前に疲労困憊のため、「もう二度と雪山なんか御免だ」とトラウマ体験をしてもらっても困る。
申し訳ない、masaさん。
幸い、今回は山頂避難小屋にお山の主、福島さんがいたので助かった。
雪山の心細い夜を過ごすには最適の山小屋の同宿者だ。
福島さんにmasaさんのことはお願いして、終日ガスの晴れない山頂を愛大小屋まで下山。
そしてお山の神様は、山頂で過ごしたmasaさんたちに微笑んだ。
夜半、ガスが晴れて、皓々と月光に照らされた雲海に浮かぶ天狗岳が望まれた。
残念ながら私は、愛大小屋からの月光風景に甘んじるしかなかった。
翌朝も私は寝過ごして、夜明け前に山頂へ辿り着くことが叶わなかった。
茜色の朝焼けや月光の雲海を体験したmasaさんの雪山ファーストステップは大成功だったと思う。
まずは一安心。
masaさん次回は、霊峰石鎚の象徴、雲海の朝の日輪ですよ(笑)
masa様のブログ拝見しましたが初チャレンジでこのご褒美とは凄い!
久々こころが震えました(笑)
misaは23日早朝の予報にてご来光は回避
よさこい峠7時過ぎに到着しましたがゲートが閉まっているではありませんか!
こんな事もあろうかと伊吹山もあの感動から数年ぶりの事、ピクニック気分で周回し早々と撤退、夜勤勤務に入りました
軟弱者はこんなものです(画像おくります)
いろんな方が、石鎚を愛し、すばらしい写真を残しているんですね。
改めて皆様方の努力に対して敬意を表します。
山写真が初めてとは思えませんね。
ランスケさんの写眞、モルゲンロート?
月明かり、時系列に堪能しました。
ランスケさんお疲れ様でした!!雪の面河道はかなり
きついものだったのですね。ただ雪の怖さは帰りに
その一部を垣間見ました。まだまだ未熟者なので
特訓を重ねて挑んでいきたいと思います!!
瓶ヶ森林道やよさこい峠までの道は、この大雪で閉鎖になったようですね。
菅さんから情報が入っていました。
スカイラインも、ひょっとすると閉鎖かな?と危惧していました。
まだ土小屋に人がいるということで、なんとか除雪してくれました。
たぶん金曜日に県警の山岳救助隊の訓練があって土小屋に宿泊していたおかげでしょうか?
そして救助隊の猛者たちが土小屋から山頂までの往復で降雪後のトレースをしっかり作ってくれたおかげで、
翌日の登山者たちは楽に山頂まで登れたようです。
misaさんの伊吹山同様、ビギナーズ・ラックは付き物です。
一度、観てしまうと抜けられなくなる世界ですが(汗)
masaさんのブログのカテゴリー「青い鳥」(カワセミ写真)を観て頂ければ、その実力が分かると思います。
ひろざうさん同様、写真のテクニックはあるので、どんどん上手くなって行くでしょう。
楽しみです。
今回は寝坊の功名というか?
鬼城さんお馴染みの面河谷方面からの石鎚南面の朝焼けをたっぷり撮影出来ました。
こんな機会じゃないと、まず撮れない積雪期の裏石鎚です(笑)
出来れば、もう少し上、西ノ冠岳直下あたりで朝焼けを迎えたかった。
笹原に点在する樅の三角帽子とその上のシラベの森の白骨林とモンスター群が茜色に染まる姿を。
さて今週半ばの雨も山では雪でしょう。
堂ヶ森方面もたっぷり雪を被り真っ白です。
面河道と変わらないくらい厳しい行程になりそうですが頑張ってみます。
初めに辛い思いをすると、なかなかその世界に入ってゆくハードルが高くなってしまいます。
せっかく、ひろぞうさんたちと一緒に山岳写真の面白さに目覚めたところです。
出来る限り、いい方向に石鎚山岳写真の後続世代が育ってほしいと願っています。
なにせパイオニアである福島さんや三浦さん世代は、もう70歳を超え、
その後に続く私たちも60過ぎの爺さんばかりですから。
masaさん、ひろぞうさん、ペンタくんたちに頑張ってほしいです。
厳冬期の石鎚はリスクも大きいですが、それを上回る感動も待っています。
家族に心配をかけない程度に、通ってみましょう。
基礎体力のためのトレーニングも忘れずに。
ラッセルがあるから素人は冬山危険と聞いてます。写真
撮影するには行かねばならぬ。ボヘミアンの血のみでは
出来ないと思います。先般の天空回廊のコメントでエイキ
先輩の投稿が残っていました。この事も驚きました。
高知生まれの彼は、歩き遍路は一日20キロコンスタント
に歩ける脚力がないと満願出来ないと教えてくれました。
日本7霊山石鎚山の多様な光景を今後も期待します。
私は山ヤではありませんが、山岳風景を東京在住の頃から20年以上撮り続けています。
故郷に帰って、地元にこんな素晴らしい山があることに驚きました。
厳冬期入山は、それなりにリスクもあります。
でも3000m級の雪山へ入ることを考えると、
なんとか自力で対処できる範囲のリスクだと考えています。
唯、年々加齢と共に体力が衰えてくるのは、如何ともし難いですね(笑)
ぼちぼち身体と相談しながら頑張ってみます。
画像を二枚追加しました。
最後の雪の面河渓は、入山当時の降雪後の風景です。
山水の風景みたいで思いの外、いい感じでした。
もう一枚は、冒頭の画像とほぼ同じ位置から撮影した雪原に点在する樅の三角帽子。
この場所で朝焼けを迎えたかった。残念。
お母様の葬儀の後の言葉。
内田樹 ✔ @levinassien
父が死んだあと、生前よりも父を身近に感じるようになりました。
子どもの頃の断片的な記憶が甦って来て、
「ああ、あのとき父は『こんなこと』を考えていたのか」と
いうことがわかるようになる。
同じように、母についても断片的な記憶が甦ってきて、
母の気持ちがわかるということがあると思います。
死んだあとに「存在するとは別の仕方で」死者が身近に感じられるということは
ほんとうにありますね。
レヴィナス先生の言われる通りです。
そういうことは若いときにはわからなかった。
真に深いテクストの意味はいろいろなものを失ってみないとわからないみたいです。
私たちは死者の記憶を連綿と受け継ぐ形で共同体や社会を築いてきたのだと思います。
ジャレット・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」を再読しています。
http://1000ya.isis.ne.jp/1361.html
たかだか百年や二百年くらいの近視眼的歴史観ではなく、
人類が辿って来た数万年単位(主に氷河期以降の13000年)の歴史の流れの中で見つめると、
また見えて来るものも違ってきます。
21世紀を迎えた0年代最高の書物といわれた「銃・病原菌・鉄」は、
現在の移行期的混乱の時代に最も読まれるべき本だと実感しています
ランスケさんが来るまではドキドキもんでした、山のスペシャリストに見てもらうなんて、嬉しいやら、恥ずかしいやらで、でも短い時間でしたがランスケさんとお話出来て楽しかったです、次回山で飲みながら談義したいですね、ありがとうございました。