夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(41)

2005-10-16 | tale
 その次には電話のベルで目が覚めた。ホテルの電話のベルというものは、音が小さすぎるか、大きすぎるかのどちらかだ。この時には、後者の方で、びくっと飛び起き、電話の向こうで植村がかんかんに怒っているような先入感を持って、 「あ、すみません」と出るなり謝ってしまった。 「伯父さん、どうしたの? おはよ、もう10時だよ」 「ああ、おはよ。二度寝しちゃったよ」 「昨日の晩、遅かったんじゃないの?……まあい . . . 本文を読む

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(40)

2005-10-12 | tale
 宇八は渋谷に向かった。演奏が行われるホールの中の会議室で、打ち合わせが行われるからである。電話で道順を聞いていたにもかかわらず、駅で降りてから道に迷ってしまった。元々方向音痴っぽいところがあるにもかかわらず、こっちからも行けるはずだと、人通りの少ない方をわざと選んだりしているうちにわからなくなり、さらに道を変えるとまた傷口が広がっていく。この時期にはめずらしいかんかん照りである。……早めに到 . . . 本文を読む

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(39)

2005-10-08 | tale
 7月初旬のある日の午前、宇八と月子は仲良く新幹線の座席に座っていた。 「伯父さん、夜あたしに変なことしないでよ」 「おまえ、期待してるのか?」 「お生憎様。夜は別行動だから」 「ふん。そんなところだと思ったよ。……こっちはダシにされてるようなもんだ」 「へへ。……彼ってさ、バンドやってて、すっごくギターうまいんだよ」  『知り合い』が新幹線に乗ったとたんに『彼』になっている。民家がまばらになる . . . 本文を読む

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(38)

2005-10-05 | tale
 8 さらば聖徳太子~アニュス・デイ  1981年2月にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が来日した時は、大騒ぎだった。ルーカス神父を始めとした教会関係者が大忙しだったのはもちろんだが、栄子もあちこち走り回っていた。この時には、日本中ににわか信者、ミーハー信者が大量に発生したのだった。もちろん宇八は、こんな一時的なブームにはそっぽを向いていた。ヴァチカンの実態も、政治的な思惑も知らないおめでたい奴 . . . 本文を読む

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(37)

2005-10-01 | tale
 彼だけを追いかけていると、どうも碌なことがないので、三姉妹間の紛争に戻ろう。さあ、9月になってしまった。菫の結婚式の10月10日までもう1か月しかない。鳥海家から招待状は全部発送した(返事も来始めている)、羽部家を除いては。どうしよう、どうしたらいいのか、夏の間、なんとなく先のことだと先送りしていたのが、9月になったとたんに薫も光子も焦ってしまい、何がなんだかわからなくなってしまった。達子に相 . . . 本文を読む

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(36)

2005-09-27 | tale
 そんなふうに三姉妹の確執を歯牙にも掛けずに、彼はレクイエムのことを考えていた。正月の決心や童に期待されていることが関係したのかしないのか、いずれにしても『怒りの日』の残りの部分に手を付けることにした。第12節から第16節までを三管編成ながら渋めのオーケストレーションで、バスとソプラノの二重唱とし、第13節をこの部分の頂点としてリフレインさせた。第17節以降はうって変わって、地鳴りのような低音 . . . 本文を読む

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(35)

2005-09-24 | tale
 秋の鳥海菫の結婚式にも同じようなことが繰り返されるものと思っていたら、好事魔多しというか、再び三姉妹間で紛争が勃発してしまった。前年2月の中国のヴェトナムへの『懲罰』という名の侵攻、同じく9月のイラン・イラク戦争、12月のソ連のアフガニスタンへの侵攻等々、この頃世界各地で起こった軍事紛争が彼女たちに影響したとは考えにくいが、直接のきっかけに絞って挙げてみれば輪子の不用意な発言だったということに . . . 本文を読む

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(34)

2005-09-20 | tale
 さて、上川一族全体に視野を広げてみると、79年から80年にかけて結婚ラッシュに見舞われていた。本家の上川裕美子と片山暁子が昨年、79年の秋、片山葉子と鳥海菫が今年の春と秋といった具合であった。ことのついでに触れておくと、本家の長男、晃は昔で言えば保が興した上川家の三代目のはずだが、ご多分にもれず、身代をつぶしかねないような人物だった。祖父の保に憧れていて、おれも親や家に頼らずにでかいことをや . . . 本文を読む

歌物語~藤袴

2005-09-18 | tale
 赤い光が明滅するような夢を見たような気がするけれど、「藤原君はどう?」って言われて目が覚めた。にやにや笑っている新任の課長の視線を無視して、まず質問を一つ。やっぱりそこまでしか考えていなかったのねと確認させてくれる答が一つ。座りなおして、2つまですぐに思い浮かんだから、「問題点が3つあります」と言って短すぎず、長すぎもしないように考えながら、撃破していく。  しゃべっているうちに3つ目どころか . . . 本文を読む

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(32)

2005-09-13 | tale
 明けて1979年、1月16日のイランのパファレヴィ国王の亡命、翌日の石油メジャーの対日原油削減の通告、2月11日のイラン革命政権の樹立などいわゆる第2次オイルショックとイラン革命の進行を我らの主人公は、「いいぞ、いいぞ、もっとやれ」と大はしゃぎでテレビにかじりついていた。  3月に入って原油供給逼迫の動きがいよいよ明らかになってくると、欽二に電話した。 「おい、好機到来だ。時木さんに面会の約 . . . 本文を読む

歌物語~白露

2005-09-12 | tale
 最近、和歌にちょっと凝ってまして、たくさん読むわけではないんですが、いくつか気に入ったものからいろいろ場面を想像したりします。伊勢物語や和泉式部日記、源氏物語などなど平安時代の物語の多くには、和歌が出てきます。物語と和歌の関係は様々ですが、そういうのを私も書いてみようかなと思いました。というのは後からつけた説明で、長い物語を書き直しながらブログに載せていると、短いのも書いてみたくなって、そのと . . . 本文を読む

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(31)

2005-09-10 | tale
 その翌日、金曜日は待ちに待った美人姉妹との会食である。ただ今回ばかりは、欽二はともかく、宇八は醒めていた。新幹線の窓から風景を見ているうちに思いついた、いくつかの工夫をすることも決めていた。  出かけようとする時に欽二から電話が入った。 「どうした、下痢か?」 「古いことを言うなよ。おれじゃない、百合さんが遅れるって話だ」 「ふうん、そうか。まあ、いいじゃないか」 「いや、まあいいんだが。… . . . 本文を読む

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(30)

2005-09-06 | tale
 欽二の「重荷」を受け取って、なぜか宇八の方もすっきりして、これまで書いた分を捨て、『オフェルトリウム』を一から書き直し、男声2人、女声2人の四重唱として改めて書き始めた。最初の3行を男声2人で、次の3行を女声2人で歌い、残り4行は2行ずつ、バスとソプラノ、テノールとアルトでそれぞれ分担するという形で作曲した。  出来上がったものをルーカス神父に見せたのは10月の半ばだった。神父はざっと見ただけ . . . 本文を読む

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(29)

2005-09-03 | tale
 それから3週間ほど経った4月半ば頃、仲林から羽部に心配そうな電話がかかってきた。 「おい、時木さんからカネ振り込まれたか?」 「いや」 「あれからもうかなり経つよな。催促しようかな」  宇八は返事しない。 「……あの晩さ、おれ、店の権利書渡しちゃっててさ。おまえは?」 「会社の登記簿だ」 「じゃあ、お互い大変じゃないか。もし……もしもだよ、カネは来ない、権利書は返って来ないってなことになった . . . 本文を読む

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(28)

2005-08-30 | tale
 会いたくて仕方がない相手から連絡があると年がいも何もなく、喜んでしまうものである。それほど電話の向こうから百合から連絡があったことを伝える仲林の声は弾んでいた。  春分の日の前夜にご都合がよろしければまた父がお会いしたいと申している、先日よりもっと具体的詳細に商談として話を進めたい。ついては、いくつか書類もご持参の上、どこそこの中華料理店にご足労願えないか云々といった内容を、欽二は律儀なメッ . . . 本文を読む