夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

ドラマ”山本五十六大将”を見ての疑問2

2013年01月09日 16時41分37秒 | 日記
 このドラマでもう一つ印象に残ったのが”報道”である。”民衆を考える理想に向けて誘導するのが我々の使命だ”と言う意味のことが劇中言われた。そのとき、”自分が報道やメディアを嫌いなのはこのことだな!”と気が着いた。
 現在新聞を二つ購読している。大きい見出しがどのように違うかをザッと見るとその新聞の姿勢が見える。政府の方針の何を重要視、従って国家の在りようをどう考えているかも見える。それでいいのだろうか??場合によってはとんでもない方向に民衆を導き、あの1945年8月15日の崖に立たせることになる。これは国家転覆の大罪にも匹敵するのではないか?
 故に思うに、原則として報道は無色透明、”単に事実を伝える”に徹すべきではないのか?報道が国民を”教育”しようとすると考えるとすればそれは”分を超えた”行いではないか? 教育が方向を誤ればどんなに厄介な結果を招くかはごくごく最近の近隣諸国の姿を見れば解るだろう。
 報道人にならなくて良かった。とんでもない罪作りをするところだった。
 

ドラマ”山本五十六大将”を見ての疑問1

2013年01月09日 16時10分19秒 | 日記
 見ながら”日本人の組織”というものを考え続けた。会社に就職して最初から最後まで内心に微かな苛立ちを覚え続けた特徴、傾向がこのドラマにも垣間見え、やはり苛立ちを覚えながら見た。
 陸海軍があの”八甲田山死の行軍”を吟味していればもう少しはマシな指揮が出来たのではなかろうか?アメリカに敗れた要因は色々あろうが”組織のクセ”もその一要素ではなかっただろうか。組織と言うものの観点から敗戦を吟味してあるのだろうか?不勉強にしてそのような事を論じた書籍などを見た事がない。
 それどころか”組織のクセ、あるパターン”は現在も変わっていないように見える。その同じクセ、パターンでここ20年ばかりの景気の低迷、商品開発の方向錯誤、もっと大きくは政策のズレ、などがあるのではないか?さらに、日本人は集団戦闘に強いと、昔聞いたが、むしろ集団になるとダメになるのではないか?パナソニックもソニーもホンダもオヤジを失ってから輝きが薄れたように思えてならない。
 もしかして日本人はこの重要性に気がついていないのではあるまいか?あまりに解りきった事ゆえに。学生時代、卒業したら企業に就職することが分かっていた我々に大学はこのような方面の何の示唆も言及もなかった。今はどうなっているだろうか?
 経験から、『これらが原因』と考える要素を挙げると次のような点・・・つまり”余りに解りきったこと”なのである。
 1.現場を知らない人々が現場を動かす傾向がある。
 2.決断する立場の人が自らの目・耳で確認しない。伝聞で決定する。
 3、指揮系統が一本に絞られていない。実行者に大して複数の命令系統がある。
 4、秀才が多い。決断者は度胸、決断力と同時に小心で猜疑心が強い、相反する性格を持っていなければならないと思う。典型的な例は織田信長?
 これらに通底する要因として日本人の組織は”学校秀才、試験巧者、弁論巧者、強引者”などが主導する傾向にあるのではないか?
 一方のアメリカは”自分たちはバカだ”、”人間は間違うものである”を出発点としてマニュアル化等を模索、それで月までロケットを飛ばした。
 ”日本再生”と言う場合、一度、”日本人の組織のクセ”を吟味して見る必要がないか??

付記:今日は疲れているからと、人にハンドルを握らせて置いて助手席からぐちゃぐちゃ煩く指図したり雑言を吐く者が居る。”ハンドルを握らせたらドライバーに命を預けろ!”